1冊にまとめるノート術を3年間続けてみた感想

2016年4月から2019年3月まで、 1冊にまとめるノート術をやっていた。

 

  情報は1冊のノートにまとめなさい[完全版]

 

を参考にして、結果的には自己流で。

(ちなみに人生編、読書編も購入)

 

Kindle版を買ったけれど、

この本は紙のほうがよかったかもしれないと

買ったあとで思った。

画像をもっとちゃんと見たかったので。

 

やめようと思った直接の理由は

ミニマリズムに気持ちが向かったことだけれども、

それより少し前にノートが入手しづらくなったのが

小さなきっかけになったように思う。

同じノートで統一していたので。

 

使っていたのは、A5サイズ100枚のノート。

3年間で22冊。

 

3年やってみた感想をひとことでいうならば、「楽しかった」となる。

ほんとになんでもいろいろ書いてきたし、あれこれ貼ってきた。

日記でもあり、家計簿でもあり、メモ帳でもあり、落書き帳でもあり。

 

ただ、このノートを意味あるものにするには

やはり定期的に見返す作業が必須だと思う。

一応自分もやろうとはしたけれど、薄かった。

また、パソコンで見出し一覧を作る気力もなかった。

 

私にとっては、書いているそのときに

意味があるノートだったと言える。

 

ならば保存せずにその場で書き捨てでいいかというと、

そうもいかない。

見返したくなったらいつでも見返すことのできるノートだから、

書くことが楽しかったのだと思う。

 

書いているそのときに意味があるとしても、

書き溜めるという意識もあった。

 

で、どんどん増えていくこのノートを

これから先どうしていくつもりなんだ???

と当初から思ってはいたのだけれど、

「とにかくいまやりたいからやるのだ、

 あとのことはあとで考えよう」

と思いつつ続けていて、

ついにその「あと」が来たわけなのだ。

 

一時はどうしたものかと頭を抱えたのだけれども、

結局、全部スキャンして廃棄することにした。

(途中で気がかわらなければの話だが)

 

こうなることを予想して

貼るものを重ねなければよかったと後悔しても

時すでに遅し。

 

貼っていたもののうちレシートなどはそのまま処分して、

とっておきたいものは剥がして単独でスキャンしている。

 

ノートがA5サイズなので見開きにするとA4になり、

貼っているものを剥がす作業があることからも

このスキャン作業は手動に向いていると思う。

というか、手作業でするしかない。

 

時間をはかってみておおよその見当をつけたら、

1日1時間作業をしても、

全部スキャンするには軽く1か月はかかることがわかった。

それだけの時間をかける意味がある作業かどうかわからないけれど、

そのまま捨てるにはしのびないので、

他の紙物を渡り歩きつつ、地道に作業を続けている。

 

なお、いまやっていることには「老い支度」の意味も含まれていて、

私のこのノートは自分がいなくなったあと

残して意味のあるものではないので

(というかむしろ残したくないので)

処分する機会が得られてよかったといまは思う。

 

古いアルバムの写真をスキャンしながら思うこと

2019年春にミニマリズムに気持ちが向かったのをきっかけに、

紙類はできるだけ処分していくことにした。

 

そのまま捨てるのに抵抗があるものは、

スキャンしてから処分することにしたのだが、

そのなかのひとつに写真がある。

 

これまでもアルバム整理は幾度となくやってきたものの、

スキャンしてデータとして残すという選択肢はなかった。

 

しかし、今年の春に実家の荷物の最終整理をして、

そこから持ち帰ったものに昔の自分のアルバム数冊があり、

さすがの重量感に圧倒されて、

スキャンという道を選ぶことにしたのだった。

 

なにしろ立派なアルバムで、

大きな金属の螺旋リングで閉じられているものもあり、

アルバムそのものに趣があるので、

その趣を味わう人ならばこのままとっておくかもしれない。

 

しかし私の場合、趣を味わうというより溜息が出る。

どうしたものか、と。

 

モノとしての写真の大切さやアルバムの雰囲気よりも

自分にとっての負担の大きさが増すのであれば、

手放したほうがいい。

 

というわけで、スキャンという道を選んだ。

古い写真だということもあり、

手作業で1枚ずつスキャンしている。

 

そうして時間をかけて作業をしていると、

その作業自体に意味があるように思えてくる。

 

1枚1枚見ながらの作業なので、

写真そのものを見返す時間になるわけなのだ。

 

そのうち写真に写っている自分よりも、

写している人、アルバムに整理した人を

見ている気分になる。

 

特に母とは晩年いろいろありすぎて

気持ちがこじれていたけれど、

小さいころの自分の写真を見るにつけ、

愛されていたこと、

大事にされていたことを感じる。

 

そうなると晩年のこじれが少しほどけていく。

 

もしアルバムをそのままとっておいたら、

こんな感覚は味わわなかったかもしれない。

 

スキャンしてデータ化したものを次にいつ見返すのか、

そもそも見返すかどうかもわからないけれど、

いまの作業そのものが私に変遷をもたらすのであれば、

やはり意味のある行為ということになると思う。

 

こういう「ふりかえり」の作業は、

それが意味をなす年齢というものがあるような気がする。

 

実家を引き払うときにも同じような作業をしており、

同じことを思ったのだが、古い写真の整理も、

50代半ばの私には有効だと感じた。

 

これが70過ぎてからだと、

そもそもアルバムを整理する体力がなかったかもしれないし、

ふりかえりの意味がいまとは違うものになる気がする。

まあ、そのときになってみないとわからないけれど。

 

今回も、スキャンした写真そのものより、

その作業の時間に大きな意味があったのかもしれず、

スキャンして処分しようとしていなかったら

この時間は生じていなかったわけなので、

そういう意味でもよかったと思う。

 

紙物を手放すのがとにかく苦手

2019年春からミニマリズムに気持ちが向かい、

モノの処分に拍車がかかっているきょうこのごろ。

 

そのなかにあって、自分の場合、

手放すハードルがどうにもこうにも高いのが「紙物」。

 

思うに、印刷物や紙に書かれたものは

基本、残すために存在していると思うのだ。

だから捨てにくくても仕方がないと思うのだ。(涙目)

 

その残す期間と意味が紙によって違う。

もともとの意味も違うし、自分にとっての意味も違う。

 

意味が異なれば対応の仕方も異なるわけであり、

その判断が難しい。

 

各種書類、写真、日記、ノート類、本。

 

ミニマリズムに気持ちが向かう前から

紙物についてはどうにかしたいと思っていたのだが、

いよいよはずみがついて、どうにかすることにした。

 

選んだ道は、手放せないものはスキャンして処分するという方法。

 

紙そのものではなく

その上にのっている情報に意味があるとしたら、

その情報のみを残して紙を処分すればよいのではなかろうか。

 

もちろん、モノそのものに意味があると感じる場合や、

間違ってデータを削除したときにすごく後悔しそうなものは

そのまま残すことにして。

 

ミニマリズムに憧れる人なら真っ先に捨てそうな

取扱説明書の類も含め、

いろいろなものをスキャンしているので、

データとしてはけっこうな量になるが、

部屋のなかで占める物理的な量はかなり減る。

 

もっと思い切って そのまま捨ててもいいのかもしれないけれど、

自分としてはこれでも前進だと思う。

 

これでいいのかどうか悩んでいても先に進まないので、

「やれば終わる」を合言葉に

スキャン作業に精進する日々なのだった。