40代で始めた歯列矯正のその後
私は44歳で歯列矯正を始め、
その経過をブログで書いてきた。
>カテゴリー:40代の歯列矯正

歯が整うまでに4年くらいかかり、
保定期間に入ってからもうすぐ5年だが、
いまでも2日に一度は、寝るときに
リテーナー(保定装置)をつけていて、
1年に1〜2回は検診に通っている。

ちなみに、最初に作ったリテーナーは、
紛失することなく現在も稼働中。

矯正が終わってからしばらくは、
ほんの少しの歯の動き、
あるいは動いているのではないかという不安が
生じることがあったが、
いまはほとんど気にならない。

ただ、せっかく矯正したのだから、
できるだけもとにもどらないようにとは思っていて、
言われたようにリテーナーをつけ、
検診に通っている。

ふりかえるにつけ、
あのとき矯正をしてよかったと思う。

見た目の問題はもちろん、
歯のメンテナンスもしやすくなっているように思うし、
歯医者さんに行くのが特別ではなくなっているし。

かつて、歯医者に通うと人生を考える
と思ったことがあるのだが、
いまもしみじみそう思う。

人生には限りがあり、
歯は消耗品であるということ。
そして、歯は使うものであるということ。

たとえば、現在の歯に関する懸念の1つに
着色のことがあるのだけれど、
もし歯に色をつけたくないのであれば
歯に色がつくものを
口に入れないのがいちばん。

しかし、私はコーヒーが好きなのだ。
コーヒーを飲みながら好きなことをするひとときは
人生のなかで大切な時間。

ならば、コーヒーのあとで水を飲めば
着色がおさえられるという話もあるようなのだが、
コーヒーが飲みたいときにはコーヒーが飲みたいのだ。

その場合、コーヒーを選ぶか、非着色を選ぶか、
ということになる。

さらに、ついてしまった汚れへの対応にもいくつか道があり、
歯への負担と経済的負担を考えて選んでいくことになる。

要は、そのバランスをどうするかということなんだと思う。

何をどこまで大切にして、
何を少しあきらめるかということ。

それがつまりは、人生というと大げさだけど、
限りある時間の過ごし方、暮らし方を
考えて選んでいくことなんだろうなぁ…
なんてことをあらためて思うのだった。

 2017.09.21 Thursday 16:04 40代の歯列矯正 permalink  
「願いごと手帖」、10年めに突入
2008年の9月に始めた「願いごと手帖」が、
9年の月日を経て、ついに10年めに入った。
>カテゴリー:願いごと手帖
最初の記事はこちら→『「願いごと手帖」のつくり方』

同じノートをずっと使っていて、
これまでの願いごとは全部で595個。

願いの数自体は通し番号でわかるのだが、
かなった願いの数を数えたい気持ちがもはやない。
数の問題ではないといまは思う。

何度も書いていることだけれど、
もうほとんど「思い出手帖」。

たまに見返すと、
そのとき自分が何を望んでいたのか、
何が負担だったのかよくわかる。

日記とは別の濃さで
「そのとき」が刻まれているように思う。

そしてこのたび、新しいペンの○が加わった。
それはつまり新しい意味の○ということになる。

これまでは基本的に、
かなった願いに赤系の○、
かなってはいないが少し変化があったものに
青系の○をつけていたのだが
それに太緑の○が加わった。

何かというと、願いそのものは消えていないが、
それを願いごと手帖に書きたいという気持ちが解消したもの。

なお、かなわなかったものや
望みが消えたものは線で消しているのだが、
太緑の場合、私が知らないところで
かなっているとうれしいけれど
それを確かめられなくてもよしとする、
という意味での解消。

書き方がまずかったことに気づいたものなども。

なんのことはない、そのほとんど…というか、
もしかしたらすべてが
強迫神経症的気質の自分の「不安」からくるものだと、
あらためてわかった。

過去には細い緑のペンを別の用途で使っていたこともあり
もはや色がいりみだれて
全体的にはよくわからないことになっているのだが
そういうことも含めて過去の記録になっているように思う。

それはそうとしても、やっぱりこれは、
過去の「思い出」ではなく
未来へ向けた「願いごと手帖」として
続けていきたいなぁとあらためて思う。

 2017.09.08 Friday 09:46 願いごと手帖 permalink  
50代のダイエットを一石三鳥でやる

この夏、これまで見たことのない数値が
体重計に認められる日が続いた。
そしてそれは確実にのびている予感があった。

まずい。

運動不足は認めるものの、
特に食べ過ぎている自覚はない。

で、あれこれ調べたり考えたりした結果、
いちばんの原因は加齢だろうという結論にいたる。
これはなんとかしたほうがいいかもしれない。

過去に何度かダイエットに挑戦したことはあり、
体重を落とすという意味で成功したことはあるのだが、
それらの方法はいまの年齢には適していない気がした。

その結果、とてもオーソドックスなやり方で、
ダイエットを始めることになった。

まず、すぐにはかれる場所に体重計を置き、
朝起きてすぐとお風呂上がりのほか、
思いついたときに体重をはかるようにした。
(洋服がどのくらいの重さになるかは最初にはかっておく)

あとはとても単純な話で、
摂取カロリーと消費カロリーを記録している。
あくまでもざっくりと。
いままでこういうことをやったことがないのだが
けっこう性に合っているらしい。

商品に示してあるカロリーのほか、
料理したものについては、
ネットで調べてだいたいの見当をつけている。

夕食を7割程度にしておくと、
3食はそれぞれ350〜450kcalになることがわかった。

最初は夜に多少の空腹感があったが、
いまではちょうどいい。
これまでが多かったんだろうと思う。

ちなみに、私の基礎代謝量は1200kcalくらいらしい。
ということは、いまの感じで1日3食少なめに食べていれば、
生命は維持できることになる。

しかしもちろん、それだけでは終わっていない。
お菓子やら飲み物やらをけっこう体に入れている。

たとえば、私のいちばんのおやつはミックスナッツで、
一見、健康によさそうだが、1小袋で54kcalなので、
大袋を2日で消費すると、1日に432kcalとることになる。
食事1食分。

それ以外にも、砂糖入りのカフェオレを飲んだり、
チョコレートやらアイスクリームやらを食べたりすると、
どんどんカロリーは増えていき、
結局、1日5食分くらい食べていることになってしまう。

もちろん、必要なカロリーのほうも、
1200kcalですむわけではないのだが、
1日の運動量が少ない私の場合、
1900kcalカロリーもあれば足りそう。

オーバーした分で太ってしまうんだな、きっと。

そうなると、次はどう消費するか、だ。

これについては、『最後のダイエット』で知った
「メッツ」という単位を手がかりにしている。

  本の感想をnoteで書いています↓
  石川善樹『最後のダイエット』を、まずは読む。

「メッツ」というのは、運動の消費カロリーを算出させる単位。
厚生労働省のサイトより↓
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/11/s1109-5g.html

これに時間と体重をかけると消費カロリーが出る↓
http://club.panasonic.jp/diet/exercise/mets/about_mets.html

『最後のダイエット』では、
「掃除機をかける」や「調理や食事の準備」など、
日常的な家事についてもメッツが示してあるのだが、
細かくやるとたいへんなので、
きわめてざっくりと使っている。

たとえば、基本の家事は2.5メッツで扱うことにして、
多少、体力を使うような掃除系は3メッツにしている。

時間は、1/2時間、1/3時間、1時間という感じ。

体重を60kgとすると、基本の家事1時間で
2.5×60×1=150(kcal)消費することになる。
(本来はこれに1.05をかけるらしい)

たった150kcalではあるけれど、
「カフェオレ+ミックスナッツ1つ」とか
「アイスバー1本」くらいのおやつを
ちゃらにしてくれるのだ。

しかも、家事も進む。
いままでもやっていたことではあるが、
消費カロリーを意識すると、ちょっとやる気がふえる。

買物に行って夕食をつくれば−150kcal、
気になるところの掃除は3メッツの30分で−90kcal
という具合に。

すべてにおいて数字がテキトーなので、
積み重ねればけっこうな誤差になってしまうだろうけれど、
とりあえずいまのところその記録が苦痛ではない。

過去には、高いお金を払って
ダイエット食品を買ったこともあったけれど、
もう、そんなことはしない。

かけるのは時間だけ。

お金をかけない(ある意味ほんの少し減る?)
家事の苦痛が減る、
生活習慣の見直しができる。

そんな一石三鳥の50代ダイエットを
ゆるゆると続けている。

さて、結果はいかに。

 2017.09.06 Wednesday 09:12 健康 permalink  
「願いごと手帖」8年めに入っています

このブログで、
カテゴリー:願いごと手帖を作って
経過を書いてきた「願いごと手帖」が、
はや8年めに入った。

こうなるとますます、
記録帳みたいな存在になってきて、
読み返すと懐かしい。

同じMDノートをいまも使っている。

「使う」といっても、
開く機会は限られているのだけれど。

8年数ヶ月のあいだに書いた願いごとは541個。
2015年の願いごとは55個。
うち赤丸がついているのは20個、
青丸がついているのが9個。

ちなみに青丸は、
そのまま叶ったわけではないけど
動きがあったもの、
気持ちがおさまったものなどにつけている。

いまだに思うことは、
ペンの色をどうしたものか、
ということ。

統一したほうがきれいなんだけど、
年を越して叶う願いもあると思うので、
その場合、年によって色を変えたほうが、
今年叶ったものがわかって楽しいのではないか?
と思ってみたり。

ただ、すでにいろんなペンを使ってしまっているので、
いまから決めてもあまり意味はなさそう。
しばらくは赤&青でつけようと思う。

なお、約2年前の段階では、
で、願いごと手帖をしばらく経験したのち、
私が自分に課していることは、
かなわないとすごく困ることは逆に書かない、
不安解消のためにこの手帖を利用しない、
ということ。
という状態だったけど、
もういまはあまりそういうことも考えず、
書きたいことを書いている。

その結果、今年一年の願いごとの根底には、
共通して私の不安のクセが含まれていると感じる。

昨年以前のものを見返してみても、
丸がついていない願いごとには
ある種の傾向がある気がする。

これらの願いごとを、
そのまま願いごとにしておくのもいいけれど、
具体的な対策を立てるのもいいかもなぁ…
と思っているところ。

と同時に、棚ぼた精神も忘れずにいたい。

さすがに8年めに入ると、
以前のような葛藤もなく、
静かに淡々と続けている感じ。

このMDノートを使い終わるころ、
いくつの願いごとが叶っているかな?
 2016.01.01 Friday 14:14 願いごと手帖 permalink  
はじめての大腸内視鏡検査
ブログは検索性の高い記録の場になるということを
いまさらのように感じるきょうこのごろ。

どうせならもっとはやく書いておけばよかったけれど
いまからでも遅くないかもしれないと思い立ち、
記憶をたどりつつ書いてみる「はじめての大腸内視鏡検査」。
(あいまいになっているところもあるので
 おおよその記録になってしまうけれど)

まずは病院選び。

自宅からそれほど遠くない距離にある病院を
ネットで2つほど見つけて検討して、
ようやく1つに心が決まって電話してみれば、
予約がとれるのがだいぶ先とのこと。

あんまり先だと予定が立たないので、
その病院はあきらめることにして、
自宅から歩いていける距離にある
別の病院を見つけて予約。
1ヶ月以内の予約がとれた。

大腸の内視鏡検査の場合、
出すものを出すという準備がいるわけで、
私が予約した病院の場合、
検査の1週間くらい前までに一度病院に行って説明を受け、
検査食や下剤をもらって
自宅で大腸をからっぽにしてから病院にいくというシステム。

「どちらかというと便秘ぎみ」と申請したせいか、
検査の3日前から飲む、便をやわらかくする薬も処方された。

下剤は前日の夜と当日の午前中に分けて飲んだのだったのだと思う。

チェックをつけていくスケジュール表を渡されたのだが、
検査のときに病院に提出したのでいま手元に残っておらず。

下剤は確かマグコロールPだった。
飲みにくくはなかったので、
ものすごく苦労はしなかったけれど、
「ぜんぜん平気〜」と言えるほどでもなかったと記憶している。
何しろ、特に飲みたくもない液体を、
間隔をあけつつも飲み続けなくてはいけないので。

排便もわりとスムーズだったんじゃないかと思う。
(はじめてのことだし、人と比較のしようもないけれど)
少なくとも、なかなか出ないとか、
出るものがきれいにならないとかいうことはなかった。
病院に行く時間は 13:20 。

検査着に着替えて待合室で待つ。

1人用のゆったりしたソファーが
カーテンで仕切られている場所。

準備も終わっているので、
すぐに検査なのかな?と思いきや、
待ち時間が思ったよりも長かった。

といっても、1時間以内だったとは思うけれど。

そして検査。

確か注射をしたが、なんの注射が覚えておらず。

検査後に休んでから帰るということもなかったので、
鎮静剤というわけでもなかったのだろうか?

でもそれにしては検査の違和感がなかった。

子宮筋腫のことはあらかじめ伝えてあったのだが、
もしかすると筋腫の影響で
ちょっと入りにくいところがあったのかもしれない。
先生がそんなことをつぶやいていたような気がする。

検査の時間は、時計は確認しなかったけれど、
感覚としては15分くらいだった。

ポリープや癌はなかったが、
炎症を起こしているところがあったので、
その検査をすることになり、
結果を聞きに後日病院へ。
 
そのときにはじめて自分の大腸の写真を見た。
(リアルタイムでは見なかった)
 
とにかく全編(編?)通して
いちばん大変…というか緊張したのは、
「検査のための準備の手順の説明」
を聞いたときだったような気がする。

いま思えば特に難しいことはないのだけれど、
説明をきいたときには、
スケジュール通りにできるかなぁ…と
プレッシャーを感じてしまったしだい。

結局、その気持ちのほうが、
下剤や実際の検査よりも負担だった気がする。

一度経験したから、次回のときは、
もう少し余裕をもって取り組めるかな!?

ちなみに同じ大腸内視鏡検査でも、
病院によって、あるいは患者さんによって、
準備のしかたにはいろいろあるのだろう。

私にはこの方式が向いていた気がする。
 2015.10.04 Sunday 15:24 健康 permalink  
強迫行為と告白とSNS
昨年12月に、

不安神経症・心配性を自分で治す実践ノート
(高田明和/リヨン社)

という本を買った。

熟読はしておらず、
ノートの「実践」もしていないのだけれど、
p.92〜97に示してある「強迫行為の分類」の
次の一項目にハッとして、
それがひとつの収穫になった。

2.何かを言わなくてはいけない、告白しなくてはいけないと思い、行動する。

(p.97)

そんな強迫行為があるなんて、初めて知った。

確かにそう言われれば、
ほんの少し心あたりがある。

  ただ、検索してみると、
  ニュアンスの違う「告白」行為が
  示されているサイトもあるので、
  「強迫」と「告白」の関係については
  もうちょっと深めて考えてみたいところ。
 
私はふだん、とても「話したがり」だ。
でもそれは、上記のような「強迫行為」ではなく、
単なる「おしゃべり」だと自分では思っている。

しかし、そんな私も、
web上に書く記事に対しては、
ある程度、配慮するようにしている。

何事も相対的なものだと思うので、
web上で発信していない人からすれば、
ブログを書いたり、
SNSをしたりしていることそのものが
「無用心」に思えるかもしれないが、
少なくともリアルな生活のように
「おしゃべり」ではないつもりでいる。
(あたりまえのことですが)

しかし、過去をふりかえってみると、
直接書く文章の内容とは別のことで、
「あっ、あれ、強迫行為としての告白だったかも…」
と思える出来事がある。

それは何かというと、
自分のブログなりnoteなりtwitterなりで
どなたかの記事をリンクしたときや
文章に言及したときに、
「(その事実を)知らせなきゃ」と思う気持ちが
生じる場合があること。

いつでもそうなるわけではない。

たとえば、このブログの左側のサイドバーにある本、
つまりブログで本格的に感想を書いている本の著者に対して、
自分からコンタクトをとろうとしたことはない。

 むしろ、更新をツイートすると著者が見つけてくれて、
 先方から何らかのリアクションをいただいたりする。
 (RTという形で「使って」もらったり…)

不思議なもので、
そのレベルまでいかない言及やリンクのときに、
ちょっと報告したくなってしまうことがあるのだ。

あったのだ。

なんというのか、そうしないと、内容に関わらず、
「陰口」を言っているような
そんな気分になってしまうから…
だったのではないかと思う。

リンクしたそのときは気にならなかったのに、
あとから心配になったりするのでタチがわるい。

ちなみに、いまだに
無断でOKなのか判断できないのは、
ツイートの埋め込み。
twitterにそういう機能がついているんだから
勝手にやっていいような気もするが、
いいんでしょうかね?

読む側からすると、リンク先を開くより、
直接読めたほうがいいですよね。

気になるなら、URLをリンクして、
「引用」すればいいのかしらん?

記憶にある限りでは、
過去に2回埋め込みをして、
どちらも報告をした。

あらためて考えてみると、
面識がない人や有名人と、
簡単にコンタクトをとることができる、
そういう時代だからこそ、
「報告しておこうかどうしようか」
と迷うことができるんだよなぁ、
と、しみじみ思う。

もちろん、相手がweb上に
連絡経路を作ってくれていればの話なのだが、
twitterをやっていてもらえれば、
すぐに「報告」ができてしまうわけであり。

自分が書いた記事を読んでほしいというより、
ある種の「義務感」がそうさせている。

しかし、知らせるということは、
一般的に、「読んでほしい」ということの
意思表示とみなされるだろう。

ともすれば相手のリアクションを求める行為にもなるし、
場合によっては、許可を求める形にもなる。

なので、下手すりゃ先方に負担をかけてしまう。
いや、下手しなくても、確実に負担をかけてしまうだろう。

じゃあ、自分だったらどうだろうか?

立場を入れ替えて考えてみた。

私は有名人ではないので、
自分のブログの記事やツイートに対して
言及されることはほとんどなく、
したがって「報告」を受けることもないわけだが、
エゴサーチしてみるとゼロではなくて、
たまに見つけることがある。

そういうとき、
「報告もなしに勝手にリンク(言及)してぇ…!」
と思ったことはない。思うわけがない。

大抵、
「わあ、読んでもらっているんだ、うれしい!」
と感じる。

また、場合によってはむしろ、
報告ナシで助かることもある。
報告されるとリアクションしなくちゃいけないから…
(義務はないだろうが、心情的に)

web上で発信されたものは、
どんなものであっても、
「どうぞご自由に読んでください」
「どうぞご自由にリンクして、
 ご自由に言及してください」
ということを前提としているのではなかろうか?

先ほども書いたように、このご時勢、
逆に「エゴサーチ」というものができる。

ということは、
自分が放った文章に言及している人がいるかどうか、
どういうふうに言及されているのか、
どういうふうに読まれているのかについて、
ものすごく興味がある人は、
自分で見つけようとするだろう。
知らせるまでもなく。

そして、そういうことに興味がない人は、
エゴサーチもしないだろう。

また、エゴサーチしたい気分のときと、
そうじゃない気分のときもあるのではなかろうか?

だから、いちいち報告しなくていいんじゃないかな…
と、思うようにしようかな…
と最近は思っている。

もちろん、ケースバイケースだと思うので、
「あ、これ、告白したい強迫行為だな」
と感じたときに、
「報告」を控えるといいのかもしれないなぁ、
と自分に言っているところ。

読んでいることを知らせたい!
触発されて記事を書いたことを知らせたい!
そして読んでほしい!
と思うことも確かにあるので、
そういうときに控える必要もないだろうて。

ところで。

先ほど、面識がない相手でも有名人でも、
「こちらの存在をお手軽に知らせることができる」、
そういう時代なんだということを書いたが、
そもそもそういう時代であればこそ、
私のような一般人が、不特定多数を相手に、
何かを紹介したり、何かに言及したりすることが
できるわけなんだよなぁ、ということも思う。



ちょっと関連した話題として、
少し前にこういう興味深い話を知ったので、
よろしければどうぞ…↓

ニュースサイトのリンク条件の不思議
 2015.03.21 Saturday 13:14 強迫神経症 permalink  
頚椎椎間板ヘルニア発症中
2月初め、頚椎椎間板ヘルニアを発症してしまった。

発症する少し前くらいから、
首を横に倒したときに痛みを感じるようになっていて、
一応、人並みに肩こりや首こりはあるほうだから、
その延長かなぁ…なんて思っていた。

で、ネットで検索をかけて、
いくつかの体操をしてみたのだけれど、
たぶん、これがいけなかった。
最後のひとおしをしちゃったんだと思う。

ある朝、左肩から左腕のあたりに
これまで経験したことのないような
痛みが生じて目が覚める。

「強い鈍痛」という、矛盾した表現をしたいような痛み。

手持ちの鎮痛剤を飲んでみたが、効果がない。

どうにもこうにも身の置き所がなくて
救急車を呼ぼうかと思ったくらい。

なんとか耐えて、
以前、娘がお世話になった整形外科へ歩いて行く。

レントゲンを撮ってもらったところ、
首の骨と骨の間が狭くなっている…と、
言われたような気がするんだけど、
よく覚えていない。

で、ヘルニアがあるかどうかを確認するため、
MRIのある医療機関を紹介され、
予約をとってもらい、タクシーで向かう。
首固定のカラーをつけて。

MRIの順番を待つあいだ、
処方された薬を飲む。

そして初のMRI体験。

なんだかみょーに眠くて、
ガッタンガッタン聞こえているなか、
3回は寝た。

ふと目が覚めて
「何やってるんだろう私…」
と思ってみたり。

「ここなら熟睡できるかも…」とも。

あとでわかったのだが、
4種類ある薬のうち、
痛み止めの2種類を、
1錠×1日2回飲めばよいのに、
2錠ずつ飲んでしまったのだ。
たぶんその影響だと思う。

MRIが終わったあとも眠かったし、
少しふらついたし。

薬は注意して飲まなくては…!

MRIの結果を聞けたのは6日後。
結局、ヘルニアだったらしい。

原因はわからないとのこと。

ううむ。

ひっこむのに3ヶ月くらいかかるそうだが、
薬の処方と首固定のカラーだけでなんとかなるようで、
手術やリハビリは必要ないらしく、そこは一安心。

最初の1週間くらいは、
それなりに痛みが続いたのだけれど、
だんだんとおさまってきて、
発症して1ヶ月と1週間の現在は、
だいぶラクになって、
いまはほとんど痛みはない。

薬を少しずつ減らしていくということで、
現在、1段階減ったところ。

4月いっぱい
首固定カラーをつけることになるわけだけれど、
夏じゃなくてホントよかったですー。

 でも、そろそろ髪を切りに行きたいなぁ…

ちなみに首固定のカラーが水色で目立つので
伸縮性のあるモノトーンの生地で
姉にカバーを作ってもらったのだが、
単独でも太めのネックウォーマーに見えるし、
マフラーをすればほとんど違和感がないので、
こちらか言わないとカラーとわからず、
逆に、「実は首のヘルニアになっちゃってねー」と
こちらから報告をする状況になっている。

こりゃ目立ったほうが話がはやいかしらん!?

ちなみに、水色の本体に水色のカバーがついているのだが、
けっこう汚れる。

病院で購入したとき、
ガーゼなどをはさむとよいという
アドバイスがあったので、
うちではミニタオルを巻いている。

カバーの替え、売ってないかな?

・・・じゃなくて、
これが一時的なものですむようにしたいよーー

とはいえ、原因不明だと、
対処のしようもないのだけれど。

少なくとも、
自己判断で余計なことをすることはやめよう、うん。
 
 2015.03.11 Wednesday 10:16 健康 permalink  
歯列矯正、保定期間3年めの状況
久しぶりに歯列矯正の話をば。

 カテゴリー名が「40代の…」になっておりますが、
 昨年、50歳になりましたです〜

矯正を始めたのが2008年の夏、44歳のとき。
ブラケットがはずれたのが2012年11月、48歳のとき。
そしてリテーナーによる保定期間が3年目となる。

保定期間のはじめの1年は、
食べるとき以外は24時間装着が基本。

次の1年は夜寝るときだけでOK。

しかし、どうも上の前歯の左側が
もとにもどろうとしているらしく、
上だけまた24時間装着になった。

点で接している部分に余計な力がかかっているらしく、
再びきれいに並んだら、点の部分を少し削るとのこと。

ところが不真面目な私、
起きている間はほとんどリテーナーを装着していなくて、
次の段階にうつれそうにない。

それよりも何よりも!

11月の一般歯科の検診で異常ナシだったのに、
12月のある日、急に歯が痛くなったのでございます。

夕方、めずらしくりんごをおやつとして食べたとき、
別に鉄製のりんごを食べたわけじゃないのに、
食べたあと右上の歯のどこかがみょーに痛くなったのだ。

しばらくするとおさまったが、夕食後にまた痛む。

どこが痛いのかよくわからないような痛み方で、
強いていえば、右の上の外側が痛い。

かみ合わせの問題かもしれないと思い、
まずは矯正歯科に行ってみた。

コンコンと歯をたたかれると、右下が痛いことが判明。

で、かみ合わせを調整することはしてもらったんだけど、
結局、これといった原因がわからず、
もしかしたら歯そのものの問題かもしれないので、
念のため一般歯科に行ってみてください、
ということになった。

痛いのは右下6番だということもはっきりした。

矯正歯科で刺激が加わったせいか、
右下6番の痛みが増して、
そのあと痛みに途切れがなくなり、
痛み止めなしではいられない状態に。

一般歯科で診てもらったところ、
もともと神経ぎりぎりまで治療をしていた歯が、
限界にきたということのよう。

こんなに急に限界がくるんですねぇ…

なお、約1年半前に治療した歯で、
外から虫歯になったとか、
そういうことでもないらしい。

で、神経を抜くことになったしだい。

神経を抜くとなると、けっこう日数がかかるですよね。

あと1回で終わりなんだけど、
歯1本で計7回通うことになった。

リテーナーは不真面目だけど、
検診と歯磨きはきわめて真面目な私。
(こわがりだから)

が、足しげく歯医者さんに通っても、
毎日、歯磨きやフロスをしていても、
痛くなるときには痛くなるんだなぁと、
あきらめの境地。

でも、痛くなったのが年末年始じゃなくて、
本当によかった。

 2015.01.10 Saturday 10:00 40代の歯列矯正 permalink  
母を送る夏(気持ち篇)
母を送る夏(概要篇)



母の訃報をきいて空港に向かう間、
自分のなかに妙な感情が生じていた。

悔しさと言うと大げさだが、
ある種の″ヤラレタ感″。

それは、母がベストなタイミングで
逝ったことに対して。

姉の仕事が忙しくない時期だったこと。
娘がまだ夏休み中だったこと。
そして、8月上旬に私と娘は母に会えている。
私の仕事も一段落していた。
これがたとえば娘の高校入試の直前だったりしたら、
大変だっただろう。

私の勝手な妄想のなかで
「tataちゃんどうよ?」という
母のドヤ顔が浮かんでくるような気がした。

それが今度はそのまま
自分へのプレッシャーとなる。

私はこんなふうに、
ベストのタイミングで逝けるだろうか?



病院の霊安室で眠る母に会ってから
お葬式のすべてが終わるまで
私が泣いたのは4回くらいだったと記憶している。
(時折、鼻くらいはすすっただろうが)

母との別れを惜しんでというより、
母との別れを惜しむ人のこみあげる悲しみに
感応しての涙だった。

うち2回は、母とつきあいの深かった
教師仲間の方々の悲しみ。

1回は、参列してくださった
老人ホームのスタッフの方の悲しみ。

そして告別式のあとの姉の挨拶中には、
さすがに涙の筋が頬を伝った。

しかし、母の顔を見ても、遺影を見ても、
直接的な悲しみはこみあげてこない。

なぜなのか。

まず、祖母・父のときと違って、
亡くなるまでの数ヶ月を
ともに過ごしていない、
そのことがとても大きいと思った。

それに加えて言えることは、
私は時間をかけて少しずつ、
母とお別れをしてきたということ。

8月上旬に会ったとき、
ずいぶん衰えてきたなとは感じていたものの、
これが最後になるとは思っていなかったので、
急といえば急なことだったのだが、
それでもやはり私は5年ほどかけて、
母とゆっくりお別れをしていったように思う。

晩年、母と私の間では、
いろいろなことがありすぎた。

遺影の母はもういないということを、
私はだいぶ前から知っていた。

さらにもうひとつ、
祖母・父のときと違う事情がある。

それは、私の年齢。

祖母・父のときには、
まだまだこれから生きていくものとして
近しい人との別れを悲しんでいたと思うが、
今回はそんな若さはない。

ぼちぼち自分のことも考えていかないとなぁ…
そんなことを時折思ったのだった。

母に最後にかけたことばは
「ありがとう」だったと思うが、
そのひとつまえ、お棺に花を入れているときに
「いろいろあったけど、まあ引き継いでいくよ」
という言葉が、口をついて出たように記憶している。

なお、私は母に似ているらしく、
何人かの方からそう声をかけられた。

もしかすると棺のなかの母の顔より、
今の私の顔のほうが、
参列した方々が接していた頃の母の面影を
濃く宿していたかもしれない。

何をどう受け継ぐのか自分でもよくわからないが、
すでに受け継ぐともなく受け継いでいるような、
いやおうなく意識せず受け継いでいるような、
そんな気がしている。
 2014.08.30 Saturday 09:04 生と死について考える permalink  
母を送る夏(概要篇)
8月22日深夜、携帯電話の呼び出し音が鳴る。
発信者は母がお世話になっている老人ホーム。

時間帯から考えてただごとではないとわかるが、
ただごとのなさにもいろいろあるわけであり。

約1時間後、最大級のただごとのなさだと確定。

姉と連絡をとりあいながら帰省の準備。
遺影にできそうな写真を選び、
荷物をまとめる。

朝、娘を起こし、空港で姉と合流。

病院で親戚と合流。

霊安室で眠っている母に会えたのは
お昼前後だった。

 なお、このときの病院の対応が、
 その後も、姉と私のなかであとをひくことになる。

実家はもうないので、斎場内にて仮通夜。

葬儀社の対応は完璧。
迅速かつ滞りがなく、説明もわかりやすい。
細やかな気遣いとあたたかさ。



翌日の午前中、
母がお世話になった老人ホームに行き、
いそいで荷物の整理をする。
お葬式のあとでもかまわないとのことだったが、
相談の結果、この日の午前中に行くことにした。

午後、斎場にて「湯灌の儀」。

身体を洗い清めていただき、装束を着て、
口元を整え、お化粧をしていただく。

納棺。

通夜、葬儀・告別式。

葬儀は父のときと同様、神式にて。
 
 というわけで、
 お坊さんではなく宮司さん、
 木魚や磬子ではなく太鼓、
 お経ではなく祭詞、
 焼香ではなく玉串奉奠。
(ちなみにどれも正式名称はよくわからず)

仏式に慣れた方にとっては
少し不思議な雰囲気かもしれない。

そして最後のお別れ。

出棺。

火葬場へ。

祖母のとき、ボタンを押したのは私。
今回、母のボタンを押したのは娘。

いちど式場にもどり、
不浄払いと繰り上げ十日祭。

火葬場にもどり、拾骨。

葬儀場にもどり、お葬式はおわる。



翌日と翌々日は、
市役所での各種手続きのほか、
あれこれ相談。

東京へ。



「気持ち篇」を別に書こうと思っているので
淡々とした書き方になったが、
実際、終わってみれば、
あっというまの4泊5日だった。

一睡もせずに故郷入りして迎えた仮通夜では、
これから先、各種行事を乗り切れるだろうかと
体力的に少し不安だったが、
結局、夜は十分に眠ることができたし、
体調をくずすことなく、
務めを果たせてよかった。
 2014.08.28 Thursday 22:06 生と死について考える permalink