ミニマリストとモノへのこだわり

佐々木典士
『ぼくたちに、もうモノは必要ない。[増補版]』に、
哲学者ディオゲネスの話が出てくる。

布1枚を身にまとい、
水を飲む椀だけを持っていたと言われているそう。
ある日、子どもが手で水をすくって飲むのを見て、
そのたった1つ持っていた椀すら叩き割ったのだとか。

佐々木さんがディオゲネスの名を出したのは、
チャンピオンはすでに決まっているのだから
「モノが少ない対決」には意味がない、
というような話をするため。

なるほど確かに。

一方、ディオゲネス方向の
究極のミニマリストでない場合、
逆に、いいものを少なく持とうとするので、
結果的にモノにこだわる姿勢が
強くなるように思う。

少ないモノで生活するために、
どんなモノを持てばいいのか。

より厳選して、何を選ぶのか。

考えてみれば、
モノにこだわるのはマキシマリストではなく
ミニマリストのほうではなかろうか。

マキシマリストは
モノを手放せないという意味の執着はあっても、
それはひとつひとつのモノへの
こだわりとはいえない。

なので、ミニマリズムに憧れていると、
「結局はモノの選択なんだな」と思えてくる。

私の場合、憧れているだけで実行はできず、
ScanSnapをはじめとして
紙物を減らすためのモノが増えているだけの
現状ではある。

が、その現状のなかで上記のようなことを考え、
ミニマリズムを(ある方向に)きわめると
結局は「モノへのこだわり」に行きつくというのが
逆説的でちょっとおもしろいなと思ったしだい。

そういう意味で、ミニマリズムであっても
いや、ミニマリズムであればこそなおさら
お金をかけようと思えば
実はいくらでもかけられるのではないかと感じる
きょうこのごろなのだった。

ちなみにその場合、
比較対象はマキシマリストではなく
普通の人。