ミニマリズムはどうなるか

4月中旬に次の記事を見つけた。

PRESIDENT Online
アフターコロナの世界は「ミニマリスト」から「備蓄」の時代になる

たしか「アフターコロナ」で検索して
見つけたのだったと思う。

佐々木俊尚さんのことは
twitterでフォローしているのだが
タイムラインではキャッチできなかった。
(ツイートされていたかどうかは不明)

私はミニマリズムに憧れているだけで
ミニマリストでもなんでもないので
どうこう言える立場ではないけれど、
世の中の価値観や傾向が
変わるということはあるだろうな、と思う。

その一方で、自分のミニマリズムに対する憧れは、
あまり変わらないだろうな、とも思う。

もちろん、一度こういう思いをすると
自分の話でいえば、
トイレットペーパーをはじめとして
生活必需品のストックは
余裕をもって持つようになると思う。

しかし、私がなかなか手放せないものたちは、
非常時にも使えそうにない。

いずれにせよ日本においては、
シェルターを作ったり農場を持ったりするのは
あまり現実的ではないと思う。

畑を持つことや、
ある程度、自給自足に近い生活をするのは
その気になれば可能かもしれないが。
どれくらいの人ができるかはおいておいて。

しかし、そこまでいかないとしても、
「ある程度の準備をしておく」人が増えれば
いざというときの買いだめがなくなって
モノ不足に陥らなくてすむ可能性が
原理的には高くなると考えることもできるので、
それはいいことだと思う……

……と、考えたいのだが、そうなるだろうか?

自宅にそれなりの量の
マスクやトイレットペーパーがあっても、
今回のように先行きが見えない時期がある場合、
どれくらいが「十分」なのかわからず、
結局、やっぱり、不安になって、
つい買い足してしまう、
ということが起こらないだろうか?

だとしたらやっぱりプレッパ―くらい
きっちりとした備蓄が必要になるのかもしれない。

とにもかくにも、日本のミニマリスト界隈の事情は
通常の意味での波はあっても、
基本はあまり変わらない気がする。

モノの管理に苦労することや
片づけたい人の気持ちは
不変なんじゃないかな、と思うから。

それはひとまずおいといて、
ミニマリズムのこと。

佐々木俊尚さんのミニマリストの説明は
なるほど確かにそうだと思う。
それがミニマリストってものだろう。

ということは結局、
私はミニマリズムに憧れているというより
部屋をもうちょっと片づけたい、
ただそれだけのことなのかもしれない。

重ねて少し気になったのは、
この記事のいちばん大きな見出しのタイトルが
”「ミニマリスト」から「備蓄」の時代になる”
であることについて。

プレッパ―という言葉が使われていないのは
わかりにくいからだろうか?

ミニマリズムという言葉でないのも
わかりにくいからだろうか?
わかりにくいというよりも、
そもそも流行したのはミニマリズムではなく
ミニマリストだったから?

備蓄は行動だけれど、
ミニマリストは「人」(の属性)。

結局、現在のミニマリズム事情に対する
私の違和感、息苦しさのようなものは、
このあたりに根があった気がする。

さすがにもうそろそろ、
そこからは解き放たれたい。