ミーニング・ノートのその後

ミーニング・ノートを始めてもうすぐ半年になる。
日記と合体させて
パソコンに記録するようになってからは
3ヶ月ほどだろうか。

活用できているかどうかというと、
微妙な感じ。

チャンスを書くというより
単に出来事を書く形感になってしまっている。

もちろん、心が動いたのなら
その出来事を書けばいいのだけれど、
それをチャンスを見なそうとするところに
このノート術の意味があると思う。

ただ、とにかく日記をよく読み返すようにはなった。

「人間万事塞翁が馬」のように
福に禍に、禍が福に転じているわけではないが
その瞬間では気が重いできごとも
過ぎてしまえば大したことではなかったな、
と思えることが多い。

この経験はおそらく、
強迫性障害の症状緩和にも役に立つ。

いまはしんどいけれど、しばらくするとラクになる
という経験を重ねていくと
そのときのしんどさをかわせるようになると思う。

もちろん、
わかっちゃいるけどやめられないのが強迫の常だから、
そううまくはいかないかもしれない。

俯瞰している自分をどれだけ信じられるか、
というところがミソになるだろうか。

以前、林吉夫『森田式ダイアリーのすすめ』
という本を買ったことがある。

私にはあまり向いていなかったのだけれど、
結局、こういうことだったのかな、といまは思う。

書くことと書き方、使い方は違うとはいえ、
時間をおいて自分を客観視するという点では
共通点があるのではないかと思う。

あとは、新型コロナとは別のことで
1〜3月それなりに大変だったので、
日記を見返していると、よくやれたよなー、
という肯定感のようなものも生まれてくる。

そういえば、永谷研一『できたことノート』
という本を買ったこともある。
(ほんとにノート術が好きなのだ。)

買ったからにはやろうとしたと思うのだが、
よく覚えていないということは
続かなかったのだろう。

とにもかくにも、ミーニング・ノートを見返していると、
自分のテーマのようなものが見えてくるし、
それはそんなに多くないことがわかってくる。

なお、ミーニング・ノートの本には
「願い欄」を設ける話も出てくるのだけれど、
私は、願いごとは「願いごと手帖」
書くことにしている。