原因と結果

からだにまつわるあれこれのことを考えていると、
「原因と結果」「対策と結果」
で動こうとしている自分に気がつく。

何か不具合があったとき、原因をつきとめて、
その原因を排除することにより
不具合をなくしたいと願う。

何かよいことを起こそうとするとき、
それをもたらしてくれる事柄を探してきて、
とりあえず試してみる。

もっともこれは、自分だけの問題ではなく、
一般的なことだろうとは思う。

そういう「原因と結果」「対策と結果」
について考えていると、
次の4つのことにいきつく。


1.因果関係を見つけるのは意外と難しい
2.複合作用があるのではないか
3.私ならではの問題があるのではないか
4.結局わからないことはわからない


何かの状況をよくしたいとき、
それによいと思われることを
複数実行することが多い。

それで願いが叶うならばそれでいいのだけれど、
いっしょにやるとどれが有効だったのかわからない。

1つのことの効果を知りたければ
他の条件をそろえる必要があるけれど、
日常生活では難しい。

早起き対策については
自分で推測してみたけれど、
実際に何がよかったのかはわからない。

また、原因にしろ対策にしろ、
複合作用があるのではないか、
ということも思う。

あとは「相性」というものもあると思うのだ。

人間のからだと機能は共通しているから
あの人によかったことは
自分にもよい可能性が高いはずなのだが、
「わたしには向いていた」
「わたしにはあっていなかった」
ということは往々にしてあるものだと思う。

で、つきつめていくと、
結局、わからないことはわからない、
というところにいきつく。

ある程度の推測ができるときもあるけれど、
ほんとうにそうだったかどうかはわからないし、
推測もできないときがある。

推測できる場合はもう一度同じことをして
確かめる道もあるけれど、
白髪染めトリートメントの一件のようなことは
わざわざ確かめたくはない。

また、その他の小さいことであれば、
もう一度やっても再現できなかったりして、
「じゃあ、違ったのね」ということになる。

こういうことを繰り返しつつ
日常生活を送っている。

上記の話はたぶん、
科学的であることはどういうことか、
という話につながることだと思うけれど、
4については日常生活ならではかもしれない。

だから、科学の恩恵にあずかりつつ、
「対策と結果」を楽しみつつ、
あとは「わからなさ」とつきあったり
受け入れたりするしかないんだろうな、
と思う。

ちなみに私の場合、最近はいろいろなことを
「加齢」のせいにしている。

そして、娘が何か(病院に行かないレベルの)
不具合を訴えてきたときには
「季節」のせいにすることが多い。