コントロールしやすいこと、しにくいこと

「部屋」と「からだ」のことを
交互に考えていて思うことは、
部屋のほうがからだよりも
変えやすいのだろうな、ということ。

もちろん、
部屋だってコントロールに苦労するわけだけれども、
「基本的には」からだよりはモノのほうが
管理しやすいと思う。

不要な贅肉を1kg落とすよりも
不要なモノを1kg捨てるほうが簡単だし、
経年劣化したモノは取り換えられても
経年劣化したからだは取り換えられない。

こんまりさんは、
片づけは自分と向き合う行為、
掃除は自然と向き合う行為
と本に書いておられたが、
ここでいう「自然」は
自分の外にある自然だと思う。

一方、からだは
自然そのものとしての自分、
自分そのものとしての自然
なのではなかろうか?

だとすると、からだと向き合うことは、
「自分」と「自然」に
同時に向き合うことになる。

それは確かにたいへんなことだろう。

そんなことを考えていたら、
またまた森田療法のことを思い出した。

森田療法の話のなかで、
「外相整えば、内相おのずから熟す」
という言葉が出てくることがある。

原典があるのではないかと思うのだが
誰がいったのか、何に書いてあるのかは
調べきれていない。

検索してさがそうとすると、
森田療法関係のサイトばかりひっかかってくる。
それだけ森田療法の本質に近い言葉なのだろう。

手元にある本では

 高良武久『森田療法のすすめ―ノイローゼ克服法

に出てくる。
ほんのちょっとだけ言い回しが違うけれど↓
「外相整いて内相おのずから熟する」
高良さんは仏教語と書いている

すごく簡単にいえば、
「形から入れば中身がともなう」
ということだと理解している。

森田療法でいうところの
この言葉の意味はひとまずおいといて、
部屋とからだの話でいうならば、
部屋をすっきりさせればからだもすっきりする、
ということが言えるのではないかと思う。

さらに、心がどんよりしているときには
からだからアプローチするといいのかもしれない。

心がどこにあるのかはわからないけれど、
自分にいちばん近そうなところが
ある意味、自分からいちばん遠いというのが、
ちょっと面白いな、と思う。