「人間万事塞翁が馬」

「人間万事塞翁が馬」という言葉がある。

禍が転じて福となったり、
福が転じて禍となったりして、
人生の幸不幸は予測がつかない
という意味だと理解している。

昔からよく思い浮かぶ言葉ではあったが、
ミーニング・ノートを始めて3週間くらいの頃、
ノートを見返しているときに
いつもより強くこの言葉が頭に浮かんだ。

というわけで、この言葉について
少し調べることにしたのだが、
それがきっかけとなって
kindle版の本を3冊を買うことになり、
どれも正解で、
久しぶりの考えごともできて面白かった。

このことだけでも
ミーニング・ノートを始めた意味が
あるような気がする。

その後はまだ大きな発見はないけれど、
1年に数回でもこういうことがあれば
やる意味はあるのかな、と思っている。

ところで。

「人間万事塞翁が馬」
という言葉を意識するようになったのは、
娘が小学生のときに
この言葉を気にしていたからだったと思う。

どうしてこの言葉が気になったのか
最近、あらためて聞いてみたところ、
「夢があるのかないのかわからない
 微妙な言葉だと思ったから」
という返事がかえってきた。

なるほど確かに。

「塞翁が馬」とは少し違うけれど、
「人生、いいこともあればわるいこともあるよ、
 そのどちらもずっとは続かないよ」
という考え方もあるかと思う。

ゲンキンなもので、
よくない状態のときにはこの言葉を信じたくなり、
よい状態のときにはこの言葉を忘れたいと思う。
というか。たぶん忘れてる。

「塞翁が馬」の場合は、
いいこともわることもあるというより、
“転じる”ところがミソのような気もする。

直接関係のないことで
いいことやわるいことがあるのは
あたりまえだと思えても、
禍と思えたことが福となったり、
福と思えたことが福となったりというのが
「塞翁が馬」のもとの話なのではなかろうか。

ちなみに『ミーニング・ノート』では、
チャンスが3種類に分類してあり、
そのなかにスパイシー・チャンスというものがある。

普通はチャンスに思えないような
心がネガティブに傾く出来事を
チャンスとして捉えて次に活かそうというもの。

これもある意味、転じさせる作業かもしれない。

ただし、「塞翁が馬」の場合は
転じさせるというふうに
働きかけるものでもないと思う。

しかも、逆に転じる場合もあるわけだし。

とにかく、 ミーニング・ノートをやるようになって、
自分に起こる出来事を
以前より俯瞰するようになった気がする。

福は素直に福として喜び、
禍は素直に禍として受け入れるとしても、
「塞翁が馬」のような視点があると、
何かとジタバタしがちな自分も
少しは冷静になれるかなぁと期待している。