保存したデータは役に立っているのか

ScanSnapのおかげで紙物はだいぶ減ったけれど、

当然のことながら保存したデータの量は

けっこうなものになっている。

 

苦労しながらスキャンしたこれらのデータを

私はこの先使うことがあるのだろうか?

 

と思いつつスキャン作業にいそしんできたのだが、

それらが役に立ったのかどうか

とりあえずこの数ヶ月をふりかえってみることにした。

 

まず、取扱説明書。

予想はしていたが、やっぱり使った記憶がない。

数ヶ月くらいではそんな機会がないだけかもしれないが。

 

ちなみにこんなできごとがあった。

 

あるとき洗濯機の終了ブザーが鳴らなくなり、

以前も同じことがあったので、取説を見れば

もとにもどせることはわかっていたのだけれど

(操作方法は覚えていなかった)

データを開くのが億劫だったし

鳴らなくても特に困ることはないから、

まあ、いいか、とそのままにしていた。

 

そうしたら、しばらくたったころ、

いつのまにか元にもどっていた。

 

鳴らなくなったのも鳴るようになったのも、

何かのはずみでそういう操作をしてしまったのだろう。

 

もう少し困った事態だったら違ったかもしれないが、

とりあえずそんなものらしい。

 

次に、ライフログノートなどの記録もの。

 

これについては、何かの用事で見返した覚えがある。

なければないですむことだったろうけれど、

記録があればあったで少しうれしいので、

がんばってスキャンしたかいがあったかもしれない。

 

で、意外とすぐに役立ったのが写真のデータ。

 

スキャンしていたころは、
データになったアルバムを見返すことがあるかなぁ
なんて思っていたのだけれど、

ひょんなことから役に立った。

 

それはいつかというと、親戚からの依頼で、
とある条件の写真をいくつかピックアップして
メールで送る必要が生じたとき。

 

長い年月のなかから選ぶ必要があり、

スキャンしたときに

ある程度年代別に整理していたので、

ざーっと見返しながらなピックアップし、

それほど時間はかからずにメールで送ることができた。

紙のままだったらけっこう大変だったと思う。

 

そっかぁ、こういう役に立ち方があるのかぁ、

と思うことであった。

 

「使う」ということのニュアンスには

いろいろあると思うけれども、やっぱり自分の場合、

思い出というより記録としての紙物の意味あいが強く、

だからこそ手放せなかったんだろうとあらためて思う。

 

そして、親戚に頼まれて写真を送る作業により

結果的に自分もこれまでの写真を見返すことになり、

「いつか見返すことがあるのかなぁ」

と思っていた「いつか」はわりとすぐやってきた。

 

「見返す」という機会も、

思い出に浸ろうと自ら思って開くというより、

こういうふうに何かの用事のついでに

やってくるものなのかもしれない。

それでいいと思う。