なぜミニマリストブームに気がつかなかったのか

私がミニマリズムに興味を持ち始めたのは

2019年4月だった。

 

そうなってみてはじめて、2015年頃に

ミニマリストブームがあったらしいことを知った。

 

流行にはとても疎い自分だから

ふつうなら不思議ではないのだけれど、

この方面については

どこかで接触していてもよさそうなものなのに、

流行語大賞にノミネートされたことも知らなかった。

 

2015年頃、私は何をしていたのだろう?

 

特に忙しかった覚えはないし、

ネットからはなれていた記憶もない。

 

ひとつ心あたりがあるのは、

とあるWebサービスに夢中になっていたこと。

 

こちらはこちらで首を傾げていた。

 

なぜなら、自分としてはめずらしく、

比較的新しいWebサービスを利用していたから。

 

普通ならまず気がつかないし、

気がついても興味をもたないか、

興味をもってもしばらく様子をみると思う。

そして、もし利用する気になったとしても、

そのまえにかなり検討すると思う。

 

ということをやった覚えがない。

 

いったいどうしたことだ?と思いつつも、

きっかけはあったので、

それで自分を納得させていた。

 

もしかするとそちらに気持ちをとられて

ミニマリストブームに気がつかなかったのかもしれない。

 

だとすると、なんとなく辻褄があうなぁといまは思う。

 

そのサービスを使い始めたばかりのころ、

けっこうな高揚感があった。

この10年間のうちでいちばんといってもいいくらい、

テンションがあがっていたと思う。

 

が、しばらくするとその高揚感はすぼみ、

かわりにかすかな違和感が生じるようになり、

違和感は少しずつ膨らんでいった。

 

あの違和感はなんだったのか

ふりかえってひとことで名づけるとしたら、

アウェー感だったのだと思う。

 

といっても、敵に囲まれていたわけではなく、

ちょっと大げさだけど、文化のアウェー感のようなもの。

 

そのサービス自体は意義深いと今でも思っている。

ひょっとすると昔より思っているかもしれない。

ただ、自分の使い方が違ったのだ。

 

そして、そこから距離をとるようになってしばらくしたころ、

たぶん佐々木典士さんのことを知った。

 

ミニマリストとしてではなく、

『ぼくたちは習慣で、できている。』

の著者として知ったのだったと思う。

 

本が発行されたばかりのころの紹介ツイートだったとすると、

2018年6月頃ということになる。

 

twitter経由で知ったと推測され、

どの方を経由したのかは覚えていないものの、

可能性があるとしたらあの人だな、という察しはつく。


この方を仮にAさんとする。

 

で、佐々木さんのミニマリズムの本がよかったので

習慣の本も買って読んだら、

Bさんの名前が急に出てきて、

私もBさんのことが好きだから少し驚いた。

Bさんのことを私はAさん経由で知った。

 

さらに、佐々木さん経由で興味をもったCさんを経由して、

ミニマリズムとはまったく関係のないDさんに興味をもち、

Dさんの本を買ったらAさんと対談していた。

 

おまけに、おなじくミニマリズムとは

まったく関係のない分野の方として

twitterでフォローしていたEさんが、

Dさんとつながっていることを知った。

 

全員、知っている人は知っている有名人なので

名前を出せば「ああ、なるほどね」という感じで

特に不思議なことはないかもしれない。

 

が、あえてイニシャルとも関係ない

アルファベットで示してみた。

 

何が言いたいかというと、

「そういうつもりではなかったのに、  

 ミニマリズムを経由して文化のホームにもどってきた」

感じがするのだ。

 

佐々木さんを含め、AさんからEさんまで、

活躍しているジャンルや活動のしかたは違うし、

主張や意見が近いということもないと思う。

 

でも、おそらく深いところの何かが

つながっているのだろう。

 

仕入れる情報をミニマルにできるか?

でまとめたもやもやのもとは、

おそらくここに関わっていたのだと思う。

 

つまり、上記の価値観、私のホームは、

そのまんまイコールミニマリズムではなかったということ。

ミニマリズムはひとつの側面にすぎないということ。

 

もちろん、近いとは思う。

そして、正反対でもなく、無関係でもない。

 

角度でいえば、180度でもなく90度でもなく、

0度から30度くらいの間だろうか。

 

30度は向きとしては遠くない。

しかし、しばらくいくとはなれてしまう。

いまの自分の関心に近いようで、

実はあまり自分とは関係のない話になっていく。

 

そういう角度だから、

逆に距離がとりにくかったのかもしれない。

 

私にとってミニマリズムの核は、

「自分について自分で考えて自分で選択すること」

にある。

 

情報は、それが一般化されればされるほど、

あるいはだれかの個性を強くまとえばまとうほど、

そことどうつきあうかを

それこそ自分で考えていかなくてはならない。

 

最初からエンターテイメントとして観ている情報でもなく

単発的な目的で探した情報でもないもののほうが、

かえって心をもやもやさせるということを

今回知ったのだった。