ミニマリズムと価値観の変容

私にとって、ミニマリズムへの興味の入り口は

佐々木典士『ぼくたちに、もうモノは必要ない。増補版』

だった。

 

いまとなっては、自分が求めるものは

この1冊におさまっていると感じるし、

その後仕入れてきた情報は

「最近のミニマリズム事情」だったと思う。

 

といっても、最近のミニマリズム事情に

異を唱えたいわけではない。

 

私がそこから余計な刺激を受けていたことが問題なのだ。

 

その問題は、佐々木さんが本で書いておられたことと

見事に反対の方向で符合する。

 

佐々木さんは、モノを手放して思うこととして、

何かを成し遂げたり、何者かになる必要はない

ということについて書いておられた。

いつもの家事を、毎日の生活をまっとうするだけで、

自分が好きになれ、充分な喜びを感じられる、と。

 

一方、ミニマリストとして発信されている方は

それぞれにキャラクターがあり、

ミニマリストという何者かになっているのみならず

ミニマリストとしての個性を発揮して、

より強力な何者かになっている。

 

ちなみに「ミニマリストとして稼ぐなんてけしからん!」

なんてことは微塵も思っていない。

 

むしろ、上記のようなことを考えずに

発信者になっているケースがあるとしたら、

そちらのほうが不自然だと感じる。

 

なお、ブログに関していえば、私もそうであるように

収益を得ることを目的とせず書いている人は

めずらしくないかもしれない。

 

ただ、そういう人のブログには

よほどの何かがないとたどりつけないと思うのだ。

 

ラクにたどりつけるサイトなり動画なりは

すでに何者かになっている人、

あるいはなろうとしている人の発信の場だと思う。

 

そして、そのような発信を継続的に行うには

何者かであろうとする強いモチベーションが

必要ではないかと想像している。

 

ということは、そのような情報には

何者かであろうとする意志が強く含まれており、

その情報に継続的に触れるということは、

何者かであろうとする強い意志に

継続的に触れるということになる。

しかも、自分のものではない意志に。


これまでネット上で別のジャンルで

「何者か」になっている人たちはたくさん見てきて、

そういう人たちを見ていても

なんのもやもやもなかったのに、

ことミニマリズムに関する情報については、

なぜだか妙な刺激を受けていた。

 

どうしてなのだろう?

 

ひとつ考えられるのは、

こちらの姿勢が違ったということ。

 

情報収集のつもりだったのが

いつのまにかミニマリストさんたちの個性に

触れることになっていた、

という面はあると思う。

 

そこが、最初から

エンターテイメントとして

触れているものとは事情が変わってくる。

 

もうひとつ考えられるのは、

情報の流通はモノの流通と同様、

現在の経済のうえに成り立っていることと

ミニマリズムの関係性のこともあるのかもしれない。

 

それは、むかしシンプルライフに興味を持っていたころ、

「シンプルライフが消費されると、

 他のものが消費されるより話がややこしくなる」

と思っていたのに近い。

 

ただ、時代の流れとミニマリズムと私で書いたように、

まったく同じでもない。

 

いずれにせよ、この半年の私の情報収集のもやもやは、

ネットを受動的に使ってきた結果だと思う。

 

そのような行動をとると

結果的に現在の主流の価値観に触れることになり、

現在の主流の価値観は

ミニマリズムが言うほど変化していないのではないか?

ということを

皮肉なことにミニマリズムから考えさせられた気がする

この半年だった。