「あきらめる」健康法

小林弘幸さんの本を、もう1冊取り上げたい。

 

   自律神経を整える 「あきらめる」健康法

 

「ゆっくり」のほうと同様、

タイトルだけで「あ!」と思った人は、

タイトルだけで十分な本かもしれない。

 

私もタイトルだけで「あ!」と思ったのだけれど

そのココロを知りたくてKindle版を購入した。

 

この本で出てくる「あきらめる」を

他の言葉に言い換えるとしたら、

「切り替える」「変えられないことに執着しない」

「現状を受け入れる」「人のせいにしない」

というふうになるかと思う。

 

でも、「あきらめる」という一見ネガティブっぽい言葉のほうが

むしろ潔くて効果があるような気がしている。


ただし、森田療法の「ありのまま」と同様、

捉え方を間違えると反対の意味になってしまうかもしれない。

 

ここでいう「あきらめる」とは、もちろん、

投げやりになるとか、夢も希望もすてるとか、

そういう意味での「あきらめる」ではない。

 

また、「がんばってあきらめよう」とか、

「あきらめなくちゃ!」と思うこととも

少し違うと思う。

 

先ほど言い換えの言葉には含めなかったけれど、

たぶん、「次に行こう」がいちばん近い。


と、なんだか「あきらめる」という

言葉だけに注目してしまっているけれど、

実際、何か望まないことが起きて

その事態が変えられそうにないとき、

「あきらめる」という言葉を思い起こすと、

ほんの少しすっと心がラクになるのがわかる。

 

と同時に、もっと大事なことに目を向けようという気持ちになる。

あるいは、それは手段のひとつにすぎなかったことを思い出す。

 

結局「あきらめる」というのは、

状況をよく見ること、自分をよく知ることなんだと思う。

 

ちなみに著者は物事を明らかにするという意味で

「明らめる」と書いているところもあるのだが、

なるほど確かに「明らめる」かもしれない。

 

さらに、本の後半では、

「まだ起こっていないこと」について

くよくよ悩むことを「あきらめる」ことに

役立ちそうな方法も書いてある。

 

たとえば、朝に何か問題が発生して、

夕方まで状況がわからないとき、

その後に起こりそうなことと、

その対応策をすべて紙 に書き出す。

 

そうすれば、

「今の段階では、ここから先はもう考えても仕方がないな」

ということが見えてきて、

「あきらめる」ことができ、頭も切り替わる。

 

最悪の事態よりもましな結果だったら

「なんだこの程度か」ですむし、

最悪の事態だったとしても対応策を考えているので

バタバタすることがない、という話。

 

そういう話を聞くと、

昔、ネット上の相談掲示板か何かで見た

次の会話を思い出す。

 

とある心配ごとで検索をかけていたら、

私と同じように心配している人が相談していて、

その回答に、次のような意見があったのだ。

 

 「○○だったらどうしよう……」と考えるから不安になる。

 「○○だ」と考えて、その先どうするかを考えればいい、と。

 

ディテイルは忘れてしまったがおおよそ上のような内容で、

なるほどなぁと思ったのを覚えている。

 

「○○じゃない」「○○にはならない」

と思うための根拠を求めて

あれこれ調べたり考えたりすると

ますます不安になる。

 

それよりも、「○○だ」「○○になる」

と仮定して考えたほうが逆に心は穏やかになり、

しかも現実的に役立つ対策が立てられる。

 

現実に起こったことをあきらめるときには

それそのものをあきらめればいいわけだが、

まだ起こっていないことの場合は、

「よいことが起こる」「わるいことが起こらない」

ことそのものをあきらめるのではなく、

それについて悩み続けることを「あきらめる」。

 

「ゆっくり」のほうの本に、

焦ったときや緊張したときは「手を開く」

ということが書かれてあったけれど、

少し意味は違うとはいえ、

なんとなく相通じるものがあると感じている。

悩みや不安やもやもやを

しっかり握りしめてはなさないのではなく、

ふっとほどいて放ってあげる。

 

それが「あきらめる」、なのかもしれない。

 

そうすれば、あいた手のひらで

次のものをつかむ準備ができる。