「手放したから、忘れない」の意味

佐々木典士『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』に

「手放したから、忘れない」という項目がある。

 

手放す作業のなかで埋もれていたものを見出し

それがきっかけで忘れなくなる、という話。

(と私は理解している)

 

私も今回、そう思う場面が多かった。

たとえば古いアルバムの写真のスキャン作業などにおいて。

 

しかし、それとは別に思うことがある。

 

手放す作業中に見出したモノのうち

印象が強いものは確かに残っていくかもしれないが、

それはそんなにたくさんのことではなく

大抵のことは少ししたらまた忘れてしまうのではないか、

ということ。

 

人間の記憶って、儚い。

 

まあ、最近そう思うのは

加齢のせいもあるかもしれない。

 

しかし、「忘れる」ということは

生きていくうえで

かなりありがたいことだとも思う。

 

そのくせ何かのはずみで、

時折、ふと、ネガティブな記憶が蘇る。

 

人間の記憶って、こういうことにはタフだ。

 

大昔のことを、

ほんの数秒間の脈絡だけでさらりと思い出し、

ほんのり気持ちがしずむ。

 

でも、ありがたいことにそのネガティブなことも

しばらくするとまた忘れていく。

少なくとも表面上は。

 

なんというのか、記憶というものは、

基本的にコントロールできないのかもしれない。

 

自分がなぜ紙物を増やすばかりで

手放すのが苦手だったかというと、

自分の記憶が信用ならないからだと思う。

 

忘れるだけならまだしも、ときには改竄している。

 

そういうときに役に立つのは「記録」だと思うのだ。

 

ずっと意識的に覚えていることはできないけれど、

どこかに保存しておけば、

必要が生じたときに引き出してこれるのが記録。

 

それは記憶より役に立つというイメージがある。

記憶よりコントロールできる、と。

 

しかし。

 

紙物にしろデータにしろ、

わかりやすく保存しておかないと

結局、記録にはならない。

 

今回、ヤマのような紙物をスキャンしながら思ったことは

記録として保存しておいたというより、

その場の不安解消のためと執着だったんだなぁ、

ということ。

 

そして、記録だとしても実際に利用するのは

ほんの数パーセントかもしれないし、

手放して後悔するものは1つもないかで書いたように、

結局は、なければないですむのかもしれない。

 

大事なことは忘れない……とか、

手放すことで忘れない……とか、

そういうことをそれこそ手放しに

字面通りには思わないけれど、

少なくともモノとして自宅内にあるということと、

本当の意味で自分がそれを持っているということとは

別のことなのだとあらためて思う。