手放して後悔するものは1つもないか

佐々木典士『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』に、

「手放して」後悔するモノは1つもない、と書いてある。

 

本当に、手放して後悔するものは1つもないのだろうか?

 

私としては、半分YES、半分NOだと実感している。

半分というのは50%の確率で後悔するという意味ではなく、

それは本当ではないし、本当でもあり、

どちらでもあるということ。

 

私は手放して後悔したことが、実際に「ある」。

それはミニマリズムに憧れる前のこと。

 

すぐに思い出せるだけで2回。

 

どちらも紙物であり、

本のようにもう一度買うことはできないもので、

記録として意味があるものだった。

 

どうしてあのときせめて、

スキャンするという道を思いつかなかったのだろう?

と、いまは思う。

 

だから、手放して後悔することは、ある。

というか、自分の場合、あった。

 

しかし。

 

それらの後悔は、しばらくすると消えた。

なぜなら、それらの記録がなくても生きていけたから。

もっといえば、実は困らないことだったから。

 

「あれが手元にあったら、あのことが確認できたのに」

というくらいのことで、

ものすごく必要なものではなかったのだ。

 

もし、ものすごく必要なものだったとしたら、

対処の道はあったと思う。

 

上にのっていた記録だけなら、その気になれば、

少し手間はかかったろうけれど、

なんらかの手段で再入手できる可能性が高いものだった。

つまり、そこまで必要なものではなかったのだ。

 

なので、後悔はしたけれどその後悔は消えたわけであり、

そういう意味では、捨てて後悔し続けることは

いまのところ、ない。

 

ただし、もし手放していなかったら、

あのもやもやした不快感は味わわずにすんだと思う。

 

逆に、もし手放していなかったら、

後悔してもいずれ消えていくという経験はできなかった。

 

だから、たとえ後悔しても

いずれ消えていくことを何度か経験すれば、

「手放して後悔するものは1つもない」と

今度こそほぼ100%YESと言えるようになるのかもしれない。

 

そして、後悔するかどうかは、

実はその人のパーソナリティに

けっこう左右されるのではないかと感じている。

 

ミニマリストに憧れるのならば、

ものを手放して片づけていく過程で

パーソナリティそのものに

変容がもたらされるのではなかろうか。

 

そうなるといよいよ

「後悔するものは1つもない」と、

きっぱり言えるようになるのかもしれない。