ミニマリズムは目的ではないことについて

佐々木典士『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』に、

ミニマリズムは「目的」ではないと書いてある。

 

それはそうだろうとミニマリズムに憧れる自分も思う。

 

そういえばこんまりさんも

『人生がときめく片づけの魔法』において

本当の人生は「片づけたあと」に始まると書いておられた。

 

さらに佐々木さんは、

「何者かになりたまえ! という強迫観念」

についても触れている。

 

特に若い世代は「個性的でありなさい」

そして「何かを成し遂げなさい」というメッセージを

日々受け取っていると思う、という話。

 

モノを手放して佐々木さんが思うのは、

何かを成し遂げたり、

何者かになる必要はないということ。

 

いつもの家事を、

毎日の生活をまっとうするだけで、

自分が好きになれ、

充分な喜びを感じられる、と。

 

こういう話を聞くと安心するし、

ますますミニマリズムに憧れるようになる。

 

しかし。

 

このような話を聞かせてくれる方々、

たとえばミニマリズムの本を出している人や

ミニマリストとしてブログを書いたり

ミニマリストとして動画を配信している人たちは、

少なくともその場においては

「ミニマリスト」という「何者か」になっている。

 

ということを、

受け手側はときどき意識したほうがいいのかもしれない。

 

と、自分で自分に言っている。

 

こんまりさんも、

片づけについて年がら年じゅう考えているのは、

自分と、自分のように片づけに本気でときめいて、

片づけでもっと世の中をよくしていこうという

情熱を持つ少数の人たちだけで充分だから、

あなたは「あなたが本当にときめくこと」に

大いに時間と情熱を注いでください、

と本の終盤で書いていた。

 

本やネットで情報発信される方々は、

その「少数」の人たちなのだと思う。

 

だから、そういう方々をロールモデルにしすぎると、

何かが少しずれてしまって

少し苦しくなってしまうかもしれない。

 

と、自分で自分に言っている。

 

私の印象だと、ミニマリズム以前は、

モノを減らす方向の情報を発信している人の肩書は

ライターだったり、〇〇アドバイザーだったり、

〇〇コンサルタントだったと思う。

シンプリストという肩書をきいたことがなかった。

 

でも、ミニマリストは肩書として成立している。

 

ミニマリストであることが収入に結びつくためには、

ブロガーなりユーチューバーなりの肩書が

それに付随するのだろうけれど、

ひとまず「ミニマリストの何々です」という自己紹介は

普通に成立している。

 

ミニマリズムはシンプルライフよりも

さらに持ち物を厳選させていくイメージがあるので、

きわめるとだんだん「身ひとつ」に近くなっていくのかもしれない。

 

そうすると、家にいなくても、街を歩いていてもどこにいても、

ミニマルという生き方がそこにあり、

「〜ライフ」を超えて「〜スト」になるのかもしれない。

 

一方、ミニマリストに憧れる非ミニマリストの自分が

なぜこのブログを書いているかというと、

自分がやっていることのプロセスを

葛藤も含めて記録したかったからだ。

 

もう本当に、どうにもこうにも記録が好きらしい。

 

8月いっぱい毎日更新して、

目次を含めて31記事投稿するまでには、

「今回はこれでOK」のところまでもっていきたい。