時代の流れとミニマリズムと私

シンプルライフについて考えていたころ、

そこにいたる世の中の流れについて

思いを馳せたことがある。

 

  ものがない時代からものがある時代へ、

  そしてものがあふれる時代となり、

  あふれたものを整理・収納したいという気持ちが高まる。

 

  そのうち「じゃあ捨てればいいじゃないか」ということに気づき、

  だったらもともと買わなければいいということになっていく。

 

  最初からものがあふれる環境で生まれ育った世代は、

  ものがない苦労を知らないかわりに

  ものが自分を幸せにしてくれるわけではないことを知っている・・・

 

というようなことを考えてから、

どのくらい時間がたっただろう。

 

シンプルライフ系の本を読んでいたのは

もう10年くらい前だと思う。

 

あの頃は、私も時代の流れの中にいることを感じていた。

時代の流れの中で、シンプルライフに気持ちが向かったのだ、と。

 

しかし、いまは少し違う。

 

佐々木典士さんは『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』で

断捨離、シンプルライフ、ノマドワークに触れ、

こんまりさんの本も話題に出している。

 

そして、日本でもミニマリストが生まれた時期をふまえ、

そういうことになった条件として

 

 ・ 増えすぎた情報とモノ

 ・ モノを持たないで済む、モノとサービスの発展

 ・ 東日本大震災

 

をあげている。

 

いま私が考えたいのは2番目の条件なのだが、

そこからページをめくっていくと、

「ぼくらはスマホで何でもできる」という項目があり、

モノを減らすモノとして、ドキュメントスキャナや

ストリーミング配信サービスなど、

その他もろもろの例が出されている。

 

そんな本を読んでいる私は、

いまだにスマホを使っていない。

 

だいぶ前に一度検討したとき、

自分には必要ないという判断をして、

それ以来、ずっとガラケーのまま。

 

だからあれこれのアプリも使ったことがないし、

LINEさえやったことがないし、

メルカリでものを売ったこともない。

持ってないから知らなくて、

これくらいしか名前が出せない。

 

それをいうなら、Wi‐Fiで何ができるかはわかっても、

そのシステムがいまだに理解できない。

 

クラウドストレージ的なものにも抵抗があるし、

電子マネーとも無縁の生活をしている。

 

かろうじて電子書籍は利用するようになったし

結局、ScanSnapも購入したけれど、

だいたいそのあたりで止まっている。

 

もう、完全に時代についていっていないし、

ついていけないし、ついていこうとしていない。

 

スマホを使わない決心をしたころまでは、

あえてついていかない気持ちがあったように思うけれど、

いまはもうそれもない。

 

だからたぶん、上記のようなものを駆使してなれるのが

ミニマリストなのだとしたら、

私はミニマリストにはなれないと思う。

 

シンプルライフに興味をもっていたころは、

ほんの少しだけ懐古的な要素も感じていたが、

ミニマリズムは現代だと思う。

そして、近未来だな、と思う。

 

私はもともと新しいものに物怖じするほうだし、

モノを持たないための努力を惜しむ。

 

では、なぜミニマリズムに憧れるかというと、

もう少しモノを減らして、

もう少し身軽になりたいだけなのだ。

 

しかし、佐々木典士さんの本を読んで思ったことは、

もう少しモノを減らしたいだけなのだといって

モノを減らしていくうちに、

自分が変化することもあるかもしれないな、ということ。

 

その変化は見てみたい気がする。

何がどう変化するのか、

そもそも変化するのかどうかも。

 

そういう欲と好奇心は、まだあるらしい。