手放せない理由から見えてくるもの

佐々木典士『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』の中に、

「手放せない理由を明確に感じ取る」 という項目がある。

 

確かにそれは大切なことかもしれない。

 

というわけで、自分はいったいどんな理由で

手放せないモノを手放せないのか、

モノごとに書き出してみることにした。

 

そうしたら10個も書き出さないうちに

自分の傾向がわかって苦笑してしまった。

 

いまの自分を滞らせているものは、何であるか。

 

私の場合、2つある。

 

1つめは、「怠慢」。

身もふたもない自分の気質が見えてしまったが、

もうどうにもこうにも真実。

 

逆に言うと、怠慢な人間だからこそ、

ミニマリズムに気持ちが向かったのではないかと思っている。

 

2つめは、「強迫」。

いわゆる強迫性障害の強迫症状。

 

強迫性障害というのは、ざっくりいうと、

外出時に鍵をかけたのにかけた気がしなくて不安で何度も確かめたり、

手を洗っても洗った気がしなくて何度も洗ったりする、

そういった症状がある障害のこと。

 

といってもこれらはわかりやすい典型的なもので、症状は多種多様。

 

私の場合、加害恐怖、不完全恐怖、不正恐怖があり、

日常生活が送れないほどの支障は出ていないけれど、

毎日それなりに疲れるし、ときどきけっこう疲れる。

 

何かを捨てる場面は、強迫が起こる場面としてはかなり上位にくる。

危険なものを捨てていないか。大事なものを捨てていないか。

ちゃんとルールにしたがってごみや資源を出しているか。

そういうことが気になってしかたがないのだ。

 

普段のゴミ出しもけっこう大変なのだけれど、

普段出さない種類のものはもっと大変になる。

 

すぐにわかったのはこの2つだけれど、

その後、捨てる作業を続けながら、

もうひとつ傾向があるな……と思った。

 

それは、家族への独特な想い。

 

恋しくて淋しくてしかたがないとか、

辛すぎる思い出があるとか、

そういうことではない。

 

そういうことではないのだが、

何か独特の想いがあって手放せないものがあると感じる。

 

こんまりさんが『人生がときめく片づけの魔法2』の中で、

片づけは自分と向き合う行為、

掃除は自然と向き合う行為と書いておられるが、

なるほどたしかに片づけというのは

自分と向き合う作業だとしみじみ思う。

 

うすうすわかっていた自分がよりクリアに見えてくる。

 

自分の特性そのものはなかなか変えられなくても、

自分の特性にあった生活に変えることはできるわけで、

それだって「変わった」ということなんだろう。

 

自分で思っていたよりも強く

自分を支配しているものがなんなのか、

それが明らかになっていく作業を経て、

そのあとの自分や自分の生活が変わるというのも、

なるほどそれはそうだろうと思えてくる。