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縁起とはなんであり、私は何をどう勘違いしていたのか、あるいは勘違いしていないのか。
『仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か』
(魚川祐司著/新潮社/2015年)
を読んでいる。

◆◆◆

あらためて考えてみれば、
私は「縁起」について理解が十分でなかったどころか、
ほとんど何もわかっていなかった。

「縁起がいい」の「縁起」ではないとは思っていたが、
それ以外は「縁」と「起」からくる漠然としたイメージで
この言葉を使ってしまっていたと思う。

実際、『仏教思想のゼロポイント』によると、
「縁起」は「縁起」の字義どおりにとらえればいいらしい。

そうなると意味自体は間違っていないことになるが、
何かが決定的に違う。圧倒的に違う。

たとえばこのブログにおいて、
私は「縁起」という言葉を使って
こんな表現をしている↓
 
だけど、Twitterをだらだらと読んでいるときに、
なんというのか、いまはまだうまく表現できないのだが、
「縁起」を人為的に崩してはいないだろうか…
というような、かすかな不安を感じることがある。
http://sukkiri.artet.net/?eid=1407697

「縁起」というものを、
何か “いいもの” のように捉えている。
いいものが言いすぎだとしたら、
「肯定的で、受容している」
と言えばいいかもしれない。

もしかしたら、
「なくては困るもの」
とさえ考えているかもしれない。

先ほど書いたように、
『仏教思想のゼロポイント』によると、
縁起は「縁(よ)りて起こること」という字義どおり、
「原因(条件)があって生起すること」という、
基本的にはそれだけの意味であるらしい。(p.47より)

そのシンプルな縁起の説が
仏教においてはなぜこれほどまでに
重要視されるのかというと、
この縁起の法則が、私たち衆生の迷いの
生存状態・苦の現状を形成している法則であるから…
ということらしいのだ。

ゆえにそのはたらきをありのままに見て、
私たちを現状に至らしめている原因・条件(因縁)を
消滅させることができれば、
私たちは苦であるところの迷いの生存状態から
脱却する(解脱する)ことができるからである、と。(p.48より)

ではその「苦」とは何か・・・
と話は続いていくのだが、
ひとまずこの本を閉じて、
さらに「縁起」について考えることにする。

なぜ私は「縁起」を“何かいいもの”のように
捉えるようになったのだろう。

その手がかりが知りたくて、
家にある仏教関係の本をぱらぱらめくってみた。

そうしたところ、1冊だけ、
私の誤解につながりやすい記述を見つけたが、
それをまるまる飲み込んだ記憶はなく、
むしろ保留にした覚えがあるので、
この本の影響ということはなさそう。

それ以外の本では、
「縁起」を"いいもの”につなげられないし、
むしろ今回気づいた「縁起」に近い。

『ブッダの人と思想』(中村元・田辺祥二)では、
「縁起の観想」という項目があるし、
『わかる仏教史』(宮元啓一)でも、
縁起の順観と縁起の逆観が簡単に説明してある。

そこに「いいもの」のイメージはない。
いや、「大きな手がかり」という意味では
「いいもの」なのだが、
それそのものが「いいもの」とは感じられない。

なお、先に引用したこのブログの記事内で、
私は松岡正剛・千夜千冊から2つのページをリンクしている。

ティク・ナット・ハン『禅への鍵』
http://1000ya.isis.ne.jp/0275.html

立川武蔵『空の思想史』
http://1000ya.isis.ne.jp/0846.html

前者では相互依存的存在という言葉に関して縁起が出てきており、
こうなると「ちょっといいもの」の雰囲気を
私が感じてもおかしくはないという気がしてくる。

後者の記述からも同じことを感じる。

 ちなみに立川武蔵『空の思想史』は手元にあるが、
 いまださっぱり読み込めず。
 中村元『龍樹』しかり。

そして、自分の「縁起」のイメージにいちばん近いのが
玄侑宗久さんのインタビュー記事にある次の言葉だった。
http://genyu-sokyu.com/intervew/04_13.html
お釈迦様の説いた縁起は、因果律と共時性(偶然の一致)を、縦糸と横糸のように両方含んでいる。

しかしあらためて考えたら、
これも「縁起」を"いいもの"とする記述ではない。

私は何をどう勘違いしてしまったのだろう。

総合して考えるに、たぶん私のなかに
「縁起をこんなふうに考えたい」
という願いが先にあって、
その願いのもとにいろんな言葉を解釈したり、
聞く耳をもたずにこれまできてしまったのかもしれない。

また、仏教思想において「縁起」はとても重視されており、
それがいつしか「深遠なもの」として私のなかに蓄積し、
「深遠なもの=いいもの」になったのかもしれない。

とはいえ、相互依存、インタービーイングとからめて検索をかけると、
なんとなく、「縁起」をいいもののようにとらえている記述が
見当たらないわけではない。

ただし、私はティク・ナット・ハンの本は読んでいないし、
インタービーイングという言葉も
これまで意識したことはなかったので、
ここが出所ということもなさそう。

うむ・・・。

ちなみに『仏教思想のゼロポイント』では、
先の「縁りて起こること」の説明のあと、
 そして、とくにゴータマ・ブッダの仏教について考える際には、縁起を常にこの原義から把握しておくのが、おそらくはいちばん誤りが少ない。
(p.47〜48)

と書いてある。
 

(つづけざるを得ない)
 2016.02.09 Tuesday 17:53 『仏教思想のゼロポイント』 permalink