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芦田宏直の「ツイッター微分論」(10)/消費社会における知識のあり方
『努力する人間になってはいけない―学校と仕事と社会の新人論』
( 芦田宏直著/ロゼッタストーン/2013年)の
「第9章 ツイッター微分論―機能主義批判と新人論と」
を読んでいる。



実際のところどうなのか私にはわからないが、
芦田さんの話によると、なんでもトヨタは
車好きをあまり採用したがらないらしい。
(ホンダはわりと車好きを採るそう)

なぜかというと、
車好きは自分の好きな車しか
売ろうとしないから。

 「なんでこんなの買うのか」と
 思いながら仕事して、それが顔に表れる。
 他社の車の良いところまで
 自分のショールームでコンコンと喋ってほめる・・・

なるほど、それはあるかもしれないなぁ、と思った。

消費社会ではサービス産業がどんどん進み、
第3次産業が全産業内の70%にまで迫る。
個人消費もGDPの一番大きな要素になってくる。

そして市場が飽和した高度消費社会では、
〈作る〉ことよりも
〈売る〉ことに力点がかかってくる。
また、技術の進歩で、
〈作る〉ことのコストのかけ方が変わってくる。

専門学校がいくら建築の技術者の優秀な人材を出しって、
ミサワホームも大成建設でさえも、
〈作る〉奴はいらない、
〈売る〉人間を一人でも出してくれと言い始める。

知識や技術は、
売ることに対する貢献度合いにおいては、
作ることに対する貢献度に比べて遥かに少ない。

かくしてどういうことになるかというと、
一億総営業マン化が起こり、
一億総営業マン化社会の教育では、
知識が技術を体系的に勉強する、
ということになっていかない。

求められるのは、客の顔を見ながら、
何を言えば喜ぶかということに対するサーチ力。

何しろ人が物を買うときには、
知識や技術で買うのではなく〈心理〉で買うのだから。
心理の基準は〈納得〉。

〈納得〉は〈評価〉ではない。
正しい納得も間違っている納得も存在しない。

それは、お金を出すことに対する
決断のための心理主義。

なるほどなぁ、と思った。
私もこのブログで次のようなことを書いています。
桔梗信玄餅の「詰め放題」について考え込む
「お得感」と「イベント性」。
これにかなう購買意欲はないのではなかろうか?
そして、「安さ」に理由があり、そこに納得すると、
もうこわいものはない。

そのような状況に加え、IT技術が進んで
24時間覚醒時代のプッシュ型情報利用
をするようになると、
車のショールームで
ずーっと相手の顔色を伺い続ける、
そういう〈人間〉を作っていく場面が
強固なものになっていく。

人格的なふれあいで
相手に気に入られようとする。
他者に敏感になっていく。
そういった〈関係(function)〉に
敏感になっていく。

さらに別の側面として、
サービス社会(消費社会)は、
製造業を海外に追いやることになること、
あるいは外国人労働者に任せること、
IT社会が中途半端に複雑な仕事を
全部コンピュータ化したこと、
1990年代後半から非正規雇用が拡大すること、
などがあげられている。

このような状況を受けて、
高卒求人件数が落ち込んでいく。

大学大綱化の翌年1992年には
1,676,000件あったのが
2003年には198,000件という
落ち込みのピークを迎え、
さらに2010年に同じピークの数値を
再現しているそう。
(驚異的な数値の減り方ですね…)

高卒求人件数が落ち込むと、
その分、大学全入が高卒者を進学者、
言わば擬似進学者として吸収する。

この擬似進学者たちは、体系的な教育を嫌う。
その分、評価の曖昧な意欲、個性教育に、
学校側も文科省も走る。

かくして学校教育が、
コミュニケーション能力論などの
ハイパー・メリトクラシーに走る。

というのが、9項〜10項前半の流れになる。

で、このあと紹介したい文章には
「バカ」という言葉が頻発していて、
この言葉を使い慣れていない
(=上手に使えない)私は
要約に戸惑ってしまう。

ので、引用してしまいましょう。

 だから、バカでも選択する主体を形成せざるを得ない社会になる。これまでバカは結構平和に、選択なしで生きていけたのですが(笑)、街を歩いているバカでもいま自分は何をすべきかを絶えず気にしている。バカでも就職の試験で〈自己分析〉テストをやっているでしょ。バカって自己がないことなのに(笑)。バカが自己内面調査して何になりますか(笑)。ますますバカになる(笑)。
 まだ実体を形成し終えていない者をバカと言うのだから(そもそもその意味では若者はみんなバカです)、そんなところで、わざとらしい心理試験を受けて、〈私〉はこの方に「向いている」とか、そちらには「向いていない」という結論を出して動いたら、とんでもないことになってしまう。これから〈自己〉を形成していく人を〈若者〉と言うのだから。

(p.334〜335)

このことは、
数学教育ブログで書いている
第7章と関わってくる。
〈学ぶ主体〉を〈学校教育〉以前に認めないということ

芦田さんがおっしゃることは
もっともだと思うわけで、
だからこそ私はショックを受けたし、
この本を読んでいて「つらい」と思うわけだが()、
ひとつ疑問に思うのは、
じゃあ、主体はいつ形成されるのか、
ということ。

私が大学を卒業したとき教員免許をいただけたように、
「主体」もいただけるのだろうか。

〈自己〉は、ある日突然、
形成されるものなんだろうか。

そうではないだろう。

「だんだんと」作られていくものなのではなかろうか。

この本には、そこの視点がちょっと足りないな、
と感じているのだけれど、
それは私の読み込みがたりないせいかもしれません。

あとやっぱり、
学校を卒業してもバカに主体はない、
と読めてしまいますよね。

講演をまとめたものだから、
そういう口調になっているとは思うだが。

が、これは講演の記録に
大幅に修正・補筆を加えたものだから、
書き言葉に少し変貌させられた
トークと言うことになるのだろう。

  ちなみに、「書き言葉とトークの違い」に関しては、
  「まえがきにかえて」で書いてあります。

第9章第2節の他のところではあまり感じなかったが、
何しろ「(笑)」が頻発しているので、
「ああ、これ、もともとは講演なのだよな…」
ということを感じながら読んだ部分だった。

  なお、芦田さんの「語り」は
  トークセッションの動画で観ているので、
  容易に変換されて、バカが頻発していても
  特に違和感はない私なのであった。

ついでに余談ですが、
私はツイッターを始めてしばらくしたころ遭遇した
内田樹さんのこのツイートが忘れられません〜〜(笑)↓
https://twitter.com/levinassien/status/361297693940793346

ついてるリプライがまたなんともいえない雰囲気なのだが、
これも瞬間で微分せずに流れを見てみると印象が変わってくる。↓
(あのツイートは1つで十分に成り立っているとは思うけど)
http://twilog.org/levinassien/date-130728

すっかり話がずれてしまった。

ずれてしまったついでにもうひとつ。

私は東日本大震災時の原発事故を受けて
電力について考えていたとき、
盲点は「サービス部門」なのではないか、
というところに考えがいきついた。
http://sukkiri.artet.net/?eid=1407233

これは言い換えると、
商品が消費者に渡る場面に関わりの深い部門、
つまり堤清二が言うところの
マージナルなのかもしれない。

(つづく)
 2014.06.08 Sunday 16:03 『努力する人間になってはいけない』 permalink