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テクノロジーと幸せの関係/雑誌『WIRED日本版』編集長、若林恵さんが引くイリイチの議論をふまえて

米田智彦『デジタルデトックスのすすめ』を読んでいる。



前回の記事のなかで
「テクノロジー」という言葉を出したが、
それをふまえて、もう一度序章にもどってみようと思う。

 なお、座談会の内容が
 書き起こされているページがあるようです。
 前回抜き出したところに該当する部分をリンクします。↓
 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31598

序章はまず、デジタルデトックスの
世界的ムーブメントの話から始まり、
GoogleやFacebookといった世界的IT企業が
禅を取り入れている話につながっていくのだが、
その話の流れで、
雑誌『WIRED日本版』の編集長である
若林恵さんが登場する。

そして、米田さんと若林さんの会話の中で
テクノロジーと現代の我々の生活の均衡についての
話題になったとき、若林さんは
イヴァン・イリイチの名を出してくる。

若林さんは、テクノロジーをどう定義するか、から話を始め、
イリイチの「技芸についての学問」という規定を示し、
12世紀の修道僧が考えた「道具」は、
自然と、そこから切り離された人間とを橋渡しするための
「道具=テクノロジー」だったが、
こういう視点から考えた場合、
今、人間が使っている「道具=テクネ(技術)」は、
自然への橋渡しではなく、
それを制圧しコントロールするためのものとしてしか
存在していないということになる、
という話を展開される。

米田さんはこれを受けて、
おそらくテクノロジーに罪はなく、
進歩する技術と環境に我々がつき合い方を
学んでいくしかないだろう、と語っておられる。
また、若林さんがいうように、
道具がもたらす利便性と人間の幸福というものが
完全にイコールではない、ということも
頭のどこかで認識しておかないといけないと思う、とも。

さらに若林さんが、
自分たちが手にしている「道具」というものを
批判的に考察する枠組みは必要だということについて、
イリイチの議論を引き、それを受けた米田さんが、
道具に使われてしまっている状態(依存や中毒)から、
もはや「管理・支配」されていくような状態が
現在進行形で進んでいるのかもしれない、
と指摘されている。

 イリイチは「道具」だけでなく、学校、交通、医療といった社会的サービスの根幹にも、目的があって使うべき「道具」にも似た権力性をみて、過剰な効率性を追い求めるあまり、人間の自立、自律を喪失させる現代文明の批判を展開していますが、そうした根源的なところから、テクノロジーってものを考えないと、「効率対幸福」をめぐる泥仕合(ルビ:どろじあい)はいつまでも平行線だろうな、と思いますね。

(p.27/若林さんのお話)

1回めに読んだときにはさらっと流したこのあたりの序章の記述が、
読み返しのときには最も印象に残った。

ここから、自分の興味を
いろんな方向に広げていけると思った。

まず、イリイチの名前を見たとき、
「最近とは言わないが、そう遠くない過去に、
 イリイチの名をどこかで見かけたぞ、どこだったっけ…」
と思って記憶をひもといてたどりついたのは、
自分の2013年のスケジュール帳。
「読みたい本リスト」の中に入れていたのだ。

『シャドウ・ワーク』を入れていたつもりだったのが、
『ジェンダー』のほうだった。で、結局読んでいない。
どこで見かけて何を思ってリストに入れたのか、
いまとなっては思い出せない。

で、イリイチの名を見たときに、
「シャドウ・ワーク」という言葉を思い出した私は、
pha著『ニートの歩き方』を、
主婦&ワーキングマザー向けに
書き換えられないかと思ったこと()と、
金子由紀子さんのシンプルライフは
曹洞宗と相性がよいと感じたことを思い出した。

また、「道具がもたらす利便性と人間の幸福」
という言葉からは、
科学への信頼の中身のことを思い出した。
ここでいう科学は、ほとんど科学技術、
テクノロジーと同義だと感じている。

なお、昨年の1月に、
まだアカウントをとっていないころの
自分の(読むだけ)Twitterライフを通して、
少し前に気になっていたこと
という記事を書いたが、
あのときのAとBというのは、
ひとつは(大きなくくりで言えば)ジェンダー問題、
ひとつは「かけ算の順序」論争だった。

前者は、もう最近ではほとんど考えることがないのだが、
そういう意見がTLに並ぶような(フォローの)人選を
私がしていないということなんだろうと思う。

あのころ何にひっかかっていたのかよく覚えていないが、
たぶん「主婦とワーキングマザー」という
対立のさせかただったんじゃないかと思う。

まさか『デジタルデトックスのすすめ』を読んで、
こういうことを思い出したり、
こういうことまで考えたりすることになろうとは
思ってもいなかった。

やはり書籍からも「偶然」の出会いは得られ、
そしてそれは「必然」なのだ、
ということをあらためて感じている。

(つづく)

 2014.03.01 Saturday 13:01 『デジタルデトックスのすすめ』 permalink