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ネット依存症のことと、子どもたちのこと。
米田智彦『デジタルデトックスのすすめ』を読んでいる。



この本の第1章には、
成城墨岡クリニック(東京都)の
墨岡孝院長のお話が出てくる。

成城墨岡クリニックは、
医療機関としてではなく、
精神科医療に関する最新の知見と人材を集めた
総合研究所を設立し、
ネット依存症についての研究と
「デジタルデトックスについての研究と診察」
を行っているのだそう。

墨岡院長は、
コンピュータに関する病気への取り組みに
30年ほど前から取り組んでいるそうだが、
厚生労働省や労働団体からの依頼で、
キーパンチャー病
(データ入力に従事する人の病気や障害)から、
「VDT作業」という
ディスプレイを長時間見る作業者に発生する
ストレスにかかわってこられたのだそう。

それが、約10年前の2003年くらいから、
一般の人の治療にも取り組みだしたとのこと。
インターネットの普及に呼応するように、
ネットに依存する人が一般にまで広がってきた、
ということらしい。

現在、治療に訪れるのは、
高校生・大学生といった、
幼少時からネットに親しんでいる若年層だけでなく、
ビジネスマン、OLなどの社会人も
年々増えているのだそう。
その理由は、スマホの爆発的な普及により、一般の人のSNS利用が進んだことにあるそうです。
(p.33)

スマートフォンを使ったことのない
私が言うのもなんだけれど、
たぶんそうなんだろうな、と思う。

パソコンだけだったら、
あるいは普通の携帯電話だけだったら、
こうはならなかったのではなかろうか。

つまり、「いつでもどこでも容易に接続できる」
ということは、物理的な場所の切り替えが、
心理的な切り替えに連動しない、
ということだと思うのだ。

つまり、家に帰ってもひとりになれないし、
外に出てもひとりになれない。
「外に出る=ひとりになる」という構図

7〜8年前くらいだったか、
ブログ作りをあれこれ試しているとき、
ほんの一時期「LINE」というタイトルの
ブログを作っていたことがある。
(といっても1週間もしないうちに
 消してしまったんだったかな?)

いま思うとこのタイトルで続けなくて
ほんとによかったと思うのだが、
自分としては図形的な意味あいでの直線(LINE)だった。

直線は、点と点をつなぐが、
つなぐということは分けることでもある。
「膜」から「網」への変換イメージ(TATA風)

どういうブログにしようとか
そのへんはあまり考えていなくて、
とにかくそのイメージだけで
ブログタイトルとして採用した。

あなたと私はつながれて、
あなたと私はつながれない。
つながれないから、つながれる。
つながれるから、つながれない。
つながれないから、つながりたい。

そんなイメージ。

そのLINEという言葉が、
流行のコミュニケーションツールの名称になることは
不思議なことではないだろうが(いや、語源は知らないけど)、
イメージとしては GROUP のほうが
近かったんじゃなかろうか?と
これまた「LINE」を使ったことのないまま
勝手に思ってる。

米田さんは、この本では、
特に若年層に的を絞った議論はされていないが、
ネットリテラシーが個人レベルではなく
底上げの形で全体的に上昇していかないと、
結局、個人としてのネット実体験はゼロから始まるので、
中学生や小学生も、クリニックに行くほどの
はっきりと原因がわかる症状は出なくても、
ネット環境から大きな影響を受けるようになるのではなかろうか、
と個人的に感じている。

新しいアプリケーションがまた流行するかもしれないし、
それに応じて、その機能に付随した
「既読スルー」や「LINE外し」と同種の現象・用語が
これからも出てくるかもしれない。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130825/edc13082511110000-n3.htm

ちなみに、うちの子は携帯電話は持っているが
友だちとアドレス交換はしておらず、
LINEもやっていない。
ネット大好き人間だけど、
いまのところ基本的に受信のみツール。

LINE外し...ではなくて、LINE内LINE?については
一般的な話題として
ママ友とのおしゃべりに出てきたことはあるが、
とりあえずいまのところ、
身近の例としてはきいたことがない。

がしかし、だからといって身近で起こっていないとは限らないし、
そもそも保護者が把握し得るのか?
という根本的な疑問がある。

あれは確か娘が小5の頃の保護者会でのことだったと思う。
担任の先生が過去の経験をふまえて、
男の子たちのトラブルは比較的見えやすいのに対し、
女の子たちのトラブルは見えにくくなっていく、
昔よりさらに見えにくくなっている、
という話をされたことがあった。

昔ならば、「○○ちゃんを仲間からはずそう」
といったようなけっこうな重要機密文書?が
ポロッと落ちていたりすることもあったそうだけれど、
いまはメールなので、まったくわからない、と。
(ただし逆にいうと、データが残るという側面はある。
大きな問題になった場合には)

じゃあ、親が子どもの携帯電話なりスマホなりを
逐一チェックをすればいいかというと、
それもどうよ、という問題がある。

とにかくうちの子見てても思うのだけれど、
技術習得・機能発掘面では、子どもってやっぱりすごい。
というか、操作性っていうんですか、
インターフェイスっていうんですか、
が進歩すれば、
そりゃ幼児だって使えるようになるだろうと思う。

若い子が(ぶるってくれる)ポケベルを持っているのを見て、
「いまの子たちはいいわよねぇ〜」
と同世代の友人が言っていたのも十数年以上前の話。

友だちや恋人と連絡をとるのに家族を通す必要もなく、
身近な人からは見えないところで個人がどんどんつながり、
その世界のなかでいろんなものが可視化されていくという、
ふしぎな日常環境。

この目は一体、何を見ているのか。

学校から帰っても、友だちとつながってる。
日本のどこにいても、世界のどこにいても、つながれる。

それはとてもありがたいことだし便利だし楽しいけれど、
同時に、とても疲れることなんじゃないか、と思う。
ともすれば、私生活が侵食されていく。
しっかりつながるためのつながらない時間、
ひとりの時間が、侵食されていく。

何しろ、つながりに疲れたと感じたときには
まずその感覚を自覚し、
自分の「意志」で電源を切るなどして、
接続を切断しなくてはならないので。
切断を決断しなくてはならないので。

つながっている状態がデフォルトになっているので。

墨岡院長は、ネット依存のなかの特にSNS依存について、
「他者からの承認を頻繁に求める」ということと、
“きずな依存”“つながり依存”のことについて
書いておられる。

そのあたりのことについて、
もう少し考えていきたい。

(つづく)
 2014.02.17 Monday 12:16 『デジタルデトックスのすすめ』 permalink