<< 米田智彦『デジタルデトックスのすすめ』(PHP研究所/2014) | main | 「つながる方法」ではなく「つながらない方法」を創造する時代 >>
スマホなしで生きているが、パソコンなしでは生きていけそうにない自分の場合。
米田智彦『デジタルデトックスのすすめ』を読んでいる。



この本の「はじめに」は、
「あなたはスマホなしでも生きていけますか?」
という問いかけから始まる。

そもそもスマートフォンなるものを認識するのに
ものすごく時間がかかったうえ、
(テレビCMは見ていただろうに認識していなかった)
2011年の夏に、
さんざん迷ってスマートフォン移行中止した私は、
実際にスマホなしで生きているし、
これからも生きていけると思う。

しかし、
「パソコンなしでも生きていけますか?」
ときかれたら、迷わず「いいえ」と答える。

だから私の場合、
スマホという語をパソコンに変換して
考えていくとよさそう。

何しろ自宅にいる時間がたいへん長い自分の場合、
しょっちゅうネットにつなげているパソコンは、
大きなスマートフォンのようなものだろうと思う。

一方、いわゆるSNSとよばれるものはどうかというと、
昨年6月にTwitterを始めた際に、
mixiもfacebookもやめているし
(もともとほとんど活用していなかった)
他とは一切接触がないので
いまはTwitterだけということになる。

で、Twitterなしで生きていけるかというと、
たぶん生きていけると思う。
(検索してひっかかってきたものは読むだろうが)

また、逆にいえば
いまのところ「つながり疲れ」も感じていない。
その段階にはまだきていないという感じ。

さらに、以前はときどき参加したり
開設したりしていたネット上の掲示板とも、
いまはほとんど縁がない。

それどころか、3つ開設しているブログも
トラックバック欄とコメント欄をはずしている。
なお、ブログもこれまでいくつか作ってきて、
あれこれ変遷して、いまの形に落ち着いたしだい。

このように、ネットを通した「つながり」に
自分が慎重になっているのは
過去のいくつかの経験が影響していると思うのだが、
やはりそのおおもとは、
昔懐かしNIFTY-Serveのパソコン通信時代の経験だと思う。
(ウィキペディア>パソコン通信

私が初めてパソコンを買ったのは1995年の末。
それより以前に友人のパソコンを通して
電子メールやインターネット、
チャットなどをのぞかせてもらって
興味をもっていたのだが、
自分もパソコンを持つようになると、
あっというまにパソコン通信にはまった。

この経験が現在の私の状況を作っているといっても
過言ではないと思う。

何しろこれで結婚しましたから。
(そして離婚しましたから)

以前だったら、「あれで人生が変わった」
という言い方をしたかもしれないが、
「変わった」というと、
まるで別の人生が用意されていたような
ニュアンスがあリ、
そういうことではないと思うので、
「作られる契機になった」と思っている。

細かい記憶はだいぶ薄れてしまったけれど、
パソコン通信では貴重な出会いが得られたし、
面白かったし、私自身の世界も広がったので、
それはそれでよい経験だったと思う。

が、私がいま開設している3つのブログで、
結局トラックバック欄もコメント欄もはずしていること、
そしてmixiなどで発言をしたりすることがなく、
Twitterに長いこと拒絶反応を示していたのは、
あの頃の経験の名残と無関係ではないだろうと思っている。

それはおそらく、
「書き言葉によるコミュニケーションの難しさ」
が念頭にあるからだと思う。

しかもメールとは違って、
ネットでのコミュニケーションには
目に見えぬギャラリーがいる。
(ということが前提になっている)

そのことが、書き手にも読み手にも、
影響を与えていると思うのだ。

また、軽いおしゃべりではなく、
ちょっと込み入った話題になった場合、
「議論で理解が深まる可能性」と、
「自分の思考の流れが乱されて
 レスポンスのために
 多大な時間をとられる可能性」
を比較した場合、
後者のほうが大きいと私は思っている。

というわけで、
いきなり自分の話になってしまったが、
そんなこんなでもともと自分は、
ネットを通した人とのつながり“すぎ”、
あるいは書き言葉によるつながりに対して
慎重にならざるをえない素地があり、
そのなかでスマートフォンが普及し、
SNSが隆盛していったと感じている。

そんな私が「デジタルデトックス」に惹かれるというのは
あたりまえといえばあたりまえの話だが、
逆にいうと、まるでダイエットの快感と達成感を味わうために
わざわざ一度太るようなものであり、
本末転倒じゃない!?
ともうひとりの自分が言っているのだが、
以前のように頑なに拒否するのも、
結局、時代の流れにとりこまれていると思うわけなのだ。

その証拠に、Twitterを始めてからというもの、
以前のように「Twitterの意義」的なものをさがす検索を
一切やらなくなった。
あの頃よりラクになった。

だから、どううまくつきあうか、
ということを考えるためには、
まずやってみて、それから少しはなれてみる
(はなれる時間をもつ)
というのがいいんだろうな、といまは思っている。

没入と完全拒否は、
もしかしたら表裏一体かもしれないと、
いまだから言える。

・・・って、「はじめに」の最初の1行だけでこんなに書いてたら、
このあとどうなっちゃうんでしょう〜!?(^^;

(つづく)
 2014.02.11 Tuesday 12:57 『デジタルデトックスのすすめ』 permalink