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もうひとつの「網」のイメージ

私が、鈴木健『なめらかな社会とその敵』を
読むことになったのは、
佐々木俊尚さんのブログを読んだ()から。

そして佐々木俊尚さんのブログを
読むことになったのは、
ノマドという言葉の変遷に興味をもった()から。

佐々木俊尚さんのことは、
『電子書籍の衝撃』で知ったのだけれど(
(結局読まなかったのだが)
おそらく、目次に安藤哲也さんの
お名前があったので、
興味をもったのだと思う。

安藤哲也さんに興味をもったのは・・・(

と、いくらでももとをたどれる。

また、ノマドに興味をもったのは、
ノマドワーカーという言葉が
ちょっと気になっていたことと
(「たけしのニッポンのミカタ」という番組をみて
そのとき安藤美冬さんが出演したこととも
も関係していると思う>)、
最近何かとドゥルーズに縁があること、
ポストモダンをふりかえっていたことが
おおもとにある。

その際に、仲谷昌樹さんの本もからんでくる。

さらに、鈴木健さんを通して
森田真生さんを知り、
森田さんが岡潔に強く惹かれていること、
専門の1つが圏論であることは、
別ルートから自分の流れとつながる。

仲正さんの本を手にするときに
背中をおしてくれたのは松岡正剛さんだし、
松岡正剛さんは、複雑系、岡潔ともつながる。

さらに、『電子書籍の衝撃』において、
安藤哲也さんと松岡正剛さんがつながる。

複雑系についてはすでに書いた通り。

いま私がある1冊の本を手にしている背景には、
たくさんの「原因」があり、
それらは複雑にからまりあっている。

そして私の興味はこの1冊からまた、
たくさん分岐していくことだろう。

そうして分岐していったものがつながることが、
つながる快感となる。




これらの網目の中から、
意図的に一部を抜き出すこともできる。

というか、ふだん私たちは、
抜き出してばかりいる。

抜き出していかないと、
生活していけない。

  どうしてそうしたかったのですか?

  なぜわが社を選んだのですか?

  そのケンカの原因はなんですか?

  その事故の責任はだれにありますか?

  そう言える根拠はどこにありますか?

というふうに。

このことを、森田真生さんは、
書評のなかで次のように書き始めている。
http://honz.jp/23020

夢を語ればその動機を問われ、信念を論ずればその根拠を訊ねられる。病があれば病因を探りはじめ、事故があれば責任の所在が追及される。とかくに人の世は、結果と原因の究明に忙しい。

そして朝日新聞のインタビューは、
まさにこの視点から始まるものだった。
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201305010661.html

この記者を褒める森田さんのツイートを読んで、
なるほどインタビューというのはそう読むのかと
ちょっと反省?した私・・・^^;

聞き手が冷めてる感じを装いつつ、
ちゃんと著者の言葉を引き出している、と。

私はといえば、
「そこからたずねるしかなかった
インタビュアーの気持ちもわかってあげて
もっとやさしく接してあげないから、
インタビュアーかまえちゃったじゃない・・・」
と思ってしまったのだった。

森田さんの書評にある「局所」という言葉、
そのアプローチのしかたが、
ほんの少しのひっかかりをともなって、
私のなかに残っている。

だから私は、郡司ペギオ幸夫にも
興味をもっているのだと思う。

しばらくは、
パラレルでいくことになるような気がする。

果たして、いつか交わる(つながる)か!?
それとも、どちらかの流れに私はおさまるのか・・・

あるいはいったんおさまって、
そこから分岐していくか・・・

前回の「網」は、いわば空間的な網、
現在の関係性としての網だったが、
こちらの「網」は、因果関係を含む
時間軸のある「網」だ。

しかし、前回の「網」にも時間はあり、
今回の「網」も、時間だけでは語れない。

もちろん、私に「網」があるように、
私の「網」のなかに登場する人々の
それぞれに「網」があり、
それらが交錯していって、
また分岐していく。

「網」って、おもしろいね・・・


(つづく)

 2013.05.08 Wednesday 10:33 鈴木健『なめらかな社会とその敵』を読みながら・・・ permalink