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「昭和のしあわせな家族」の図
そんなこんなでシロアリに背をおされ、
実家の最後の片付けをしてきたわけだが、
ひととおりの作業のメドがついた2日目の夜、
アルバムから写真を抜き取るという作業をした。

2年前の荷物の処分のときに、
たくさんあったアルバムを、
姉が一角にまとめて保管しておいてくれたのだ。
これを、中身も見ずに、
そのまままとめて捨てる気にはとてもなれない・・・と。

何冊あっただろうか。

ざっと50冊はあったかと思う。

もっとあったかな?

そのなかから、これはとっておきたい、
と思う写真を手分けして抜き取っていった。

何しろすごい数だし、時間は限られているので、
ざーっと見ながら、抜き出していっただけなのだが、
慌しさのなかにも、何か豊かなものがあると
感じられる作業であり、
家の取り壊しという事態にふさわしい、
濃密な時間を過ごせたように思う。

そこには、ある意味で典型的な、
「昭和のしあわせな家族」の姿があった。

昭和30年代以前のモノクロの写真は、
何がどう写っていても絵になる。

また、いちばん古い写真にも、
もう戦争の影はなく、
時代は高度経済成長期へと向かっている。

若い夫婦に子どもが生まれ、
家を買い、祖母を迎え入れ、
娘たちがすくすく育っていく様子が見てとれる。

海に行き、山に行き、旅行に行き、
幼稚園や学校の行事があり、
イベントがあり、日々の暮らしがあり。

やがて車を買い、新しい家を建て・・・

このたび取り壊すことになったその家の
真新しい姿もあった。

もちろん、幸せなことだけではなかった。
第一子である兄が生後5日で亡くなっている。
また、写真に写りこんでいない事柄も
たくさんあったはず。

しかし、だんだんと成長していく2人の娘の
はじけるような笑顔、ときにむくれ顔、
あるいはすました顔が、
家族や親戚、知人たち、
そして犬や猫たちに囲まれている情景を見ていると
「幸せ」という言葉を思わずにはいられない。

姉がふと、こんなことを口にした。
「大事に育てられてきたんだねぇ・・・」

また、こういうところが姉の偉いところなのだが、
母に関わる写真を厳選して小さいアルバムを作り、
母に持っていったりもした。
(私たちが帰省中、母は体調をくずしていて、
家を見にもどることができなかった。
その後、叔母が連れて行ってくれた。)
私にはないからなぁ、こういう発想・・・

抜き出した写真は、
そのほかの保管品とともに自宅に宅配便で送り、
こちらにもどってきたあとに姉と2人で整理。

自分だけの写真はそれぞれ引き取り、
残りはスケッチブックにセロテープで
貼っていくことにしたのだが、
結果、わが家の歴史を綴る
2冊の簡易アルバムが完成した。

スケッチブックにセロテープなので、
つくりはチープな簡易だけれど、
何しろ50数年分から選ばれた写真たちなので、
中身は重厚。

このアルバムを
あのとき以上の濃密さでふりかえることは
もうないのかもしれないけれど、
とりあえず、まとまった形にできてよかったと思う。

ちなみに姉は、自宅にもどってきたとき、
ちょっとしんみりしたらしい。
また、近所で、家が取り壊されて
更地になる様子を見たりするときに。

一方私はといえば、娘がいることもあり、
次の日は学校だったし、
帰ってきた日曜日の夜に
不審者情報メールが入ってきたりしたので、
慌しく日常モードにもどった。

また、その後も、
姉や叔母ほど、しんみりしない。

なぜだろう・・・?

ひとつには、娘がいるので、
さびしさがあまりなく、
これから先のことに気持ちが向かっている、
という面があるだろう。

こちらの生活のみならず、実家についても、
やらなくちゃいけないことがあれこれあるわけで。

また、逆に、
人生における大きな「気になりごと」のひとつに
いよいよ具体的に取りかかれる、
という安堵感もあるかもしれない。

それから、
あの家で晩年に集中して経験した苦い思い出が、
感傷を鈍らせているという面もないとはいえない。

さらにもうひとつ。
意外と(意外と?)こういう部分の情緒が
発達していない自分なのかもしれず。

実家を取り壊したあとどうするか、
ということについても話し合ったのだが、
基本路線として、
「姉妹とも故郷にもどることはないだろう」
という前提で、動いていくことになった。
 2012.11.15 Thursday 09:24 老いについて考える permalink