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ブッダは「自己」の存在を否定してはいないらしい

仏教は「自己」をどう考えているのだろうか。

「無我」とはなんであるか?

宮元啓一『わかる仏教史』によると、
最初期の仏教においては、
「無我説」というより「非我説」であるらしい。

当時のインドでは、
われわれには、生死を越えて常住不変な
自己の本体(アートマン、我)がある
という思想が広く行なわれていたが、
ブッダは、真実の自己に目覚めることなく
安易に我なるものを自己のうちに認めることが
無常という事実をわかりにくくさせ、
そのため、いつまでも人を苦しめることになると考え、
簡単に我なるものなどあると思ってはならない、
と諭したらしいのだ。(p.41〜42から一部要約)

また、中村元・田辺祥二『ブッダの人と思想』には、

 ブッダは、人間存在は非我(無我)であるからといって、自己の存在を否定したわけではありません。むしろ倫理的行為の主体として、自己の存在を積極的に肯定していました。

と書いてある。(p.104)

その後の仏教がどうであったかは
いまはまだわからないけれど、
少なくともブッダ、初期の仏教は
自己の存在を否定していないということに、
なんだか安心した。
「なにがなんでも自己はない」だと、
とりつくしまがないので。

どうやら、仏教における「我」を考えるときには、
「無常」「苦」とセットに考えるとよさそう。

そして、どう捉えるかというときには、
ブッダが形而上学的議論にかかわらなかったこと
(これを「無記」とか「捨置答」とかいうらしい)
を念頭においておくとよさそう。

仏教って、方法なのだなぁ。

 2011.11.08 Tuesday 08:58 仏教 permalink