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『考えない練習』から、「聞く」ことについて

小池龍之介『考えない練習』第2章を、
“受信機能”という観点から
あえて構成の順序をかえて読んでいる。

前回は「見る」だったので、今回は「聞く」の巻。

なお、本の組み立てとしては
「見る」より前に「聞く」が置かれており、
書き方も少し違うのだけれど、
すでに「見る練習」を読んでいるので、
あえて同じ型でまとめてみると、
「刺激の強いものをできるだけ聞かないようにして、
ニュートラルな音を能動的に聞く。
聞いた音から余計な思考を広げない。
自分が音を立てているということに自覚的であるようにする
→できるだけ音をたてずに動作する練習をする。」
というのが「聞く練習」になるかと思う。

しかし、「聞く」については
「見る」とは少し違うことも書いてある。

まず、繰り返し聞かされることの危険性について。

刺激の強いテレビの音声を無自覚に浴び続けたり、
好ましくない同じ言葉を繰り返し聞かされると、
よくない影響を受け、その残響がたまっていって、
いつのまにか定着してしまうので、
そんなふうに音に「洗脳」されないよう、
つねに自覚的であるとよい、という話。

また、ニュートラルな音を能動的に聞くことについては、
諸行無常という言葉を使って説明してある。
これはもちろん「見る練習」にもつながると思う。

つまり、なんでもない、つまらないと思えるものに
能動的に感覚をはたらかせると、
なんでもないと思っていた音=情報が
猛烈な速度で変化していることに気づき、
意識が鋭敏になっていく、ということのよう。

また、この「聞く」の項目の中では
「縁起」が出てきていて面白かったのだが、
これについてはひとまず保留としておく。

なお、「聞く」の最後では「嗅ぐ」についての
コラムが載せられており、
嫌なにおいに過剰反応しないこと、
自分が出す匂いにも意識を向けることなどについて
書かれてある。

(つづく)

〔2017年12月8日:補足記事を書きました〕
小池龍之介『考えない練習』の過去記事について

 2011.10.07 Friday 15:09 小池龍之介 permalink