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小池龍之介『考えない練習』から、「見る」ことについて
小池龍之介『考えない練習』の表紙では、
タイトルの下に次のような言葉が書いてある。

  頭で考えずに、
  もっと五感を使おう。
  すると、イライラや
  不安が消えていく―

つまり、頭で考えずに
視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚といった
感覚機能をもっと能動的に使おう、
ということだと思う。

それは、外界からの受信感度をあげる(
と言い換えることもできると思う。

章立ては、

  第1章 思考という病
  第2章 身体と心の操り方
  第3章 対談 池谷裕二×小池龍之介

となっており、このうちの第2章は、
次の8つの項目にわかれている。

  1 話す
  2 聞く
  3 見る
  4 書く/読む
  5 食べる
  6 捨てる
  7 触れる
  8 育てる

(なお、「嗅ぐ」は「2 聞く」の最後に
コラムとしてつけられている。)

なので、上記の8つの項目のうち、
受信機能という点に注目して、まず、

  2 聞く
  3 見る
  4 (「書く/読む」のうちの)読む
  5 食べる
  7 触れる
   
の5つの項目についてみていきたいと思う。



まず、「見る」について。

簡単にまとめると、刺激の強いものを見ない、
ニュートラルなものをしっかりと見る、
というのが「見る練習」になる。

刺激のつよいものというのは、
怒りを喚起させるようなもの、
心を混乱させるようなものであり、
たとえばテレビや刺激の強い映像、
ホラー映画はもちろん、
異常な事件やネガティブな事柄ばかり取り上げるニュース、
人を叩いたり、ひどいことを言って笑うといった
攻撃的なシーンのあるバラエティ番組やお笑い番組も
あてはまるらしい。

また、見ることによって自我が強く刺激されるようなもの、
携帯電話のメール、アドレス帳、給与明細や通帳なども、
見るのは必要最低限にとどめたほうがよいとのこと。

では、ニュートラルなものはなにかというと、
道を歩いているときの周囲の景色の移り変わりなどが
該当するらしい。
自分の視界が自身の移動とともに
細かく変わっていく様に注目し、
それらを「見えている」景色から、
「見ている」景色に変える。

また、対人で話をしているときには、
相手の表情、目の動きや顔の筋肉、
身体の動きなどをしっかり観察して、
相手の苦のサインを見る。
このとき、あくまでも客観視をして、
観察の結果を自我に還元させないのがミソらしい。

自分の話がどう評価されているかと思うのではなく、
冷静に相手の苦を認識するだけにとどめ、
相手に苦痛が増えたから、
それを取り除こうという心持ちに持っていくよう
心がけておく、ということになる。

さらには、自分も見られているということに対して
自覚的であるようにする。

ざっとこんな具合。

早い話、
見せようとしているものは見ないようにして、
見せようとしていないものを見るということだなぁ、
と思った。

(つづく)
 2011.10.05 Wednesday 10:44 小池龍之介 permalink