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思考が停止する電話
休日の夕方。お米をといでいたら、電話が鳴る。
ナンバーディスプレイに映し出された市外局番で、
故郷からの電話とわかる。
そのあとの番号は親戚のものではないから、
母がお世話になっているホームからだと察しがつく。

母関係の電話の相手は数人いるが、
きょうは所長さんだった。休日だからだろう。
あることの相談をして、ほどなく結論が出る。

その話が終わると、向こうで少し会話があり、
受話器が母に渡された。

あることの相談を受ける。
そして所長さんに変わってもらい、また相談して、
ほどなく結論を出す。

ちなみに、母と直接話すときの内容は、
最近は大抵、お金のこと。
きょうも例外ではなかった。
ただし、きょうは別の話が混じっており、
久しぶりに思考が停止した。

思考が停止するというのはどういうことかというと、
気持ちが乱れて、電話を切ったあとしばらくの間、
そのことに支配されて、
なにも考えられない状態になるということ。
きょうの気持ちの乱れは、母親の友人関係のことだった。

落ち着いてみれば、小さな小さな結論を2つ出した、
なんということもない電話なのだが。

     *     *     *

あれは確か1年半前。
母からの電話を区別するため、
私はナンバーディスプレイを導入した。
(と自分で記憶しているけど、
 改ざんしてないよね?>私)

当時、母からの電話が苦痛で仕方なかった。

もしひとり身だったら、蒸発していたかもしれないな…
と思うこともあったような気がする。
しかし、私がひとり身(=母にとっての孫がいない)のであれば、
母も私(というか孫)にここまで執着しなかっただろうし、
私も母に執着しなかっただろう。
そして、ここまで関係も悪化しなかっただろう。
自分と姉との対比からも、それがわかる。

そんな母の口から、もう孫の名は出ない。
記憶がだいぶ後退しており、
私がかつて結婚していたことも忘れているようなので、
数年間娘と戦ったことなど、
はじめからなかったようなものに等しいのだろう。

そして私自身も、少しずつ、
あの日々が過去になっていくことを感じている。
母からの手紙はほとんど処分した。
電話で責められることも、もう、ない。

それでいいのかもしれないし、
そのほうがいいのかもしれない。
でも、忘れたくない自分がいるし、
忘れないほうがいいと思っている自分がいる。

辛いことを含め、覚えていたい。

忘れていくから生きていける。
でも、忘れていくことは、こわい。

できれば、
なかったこととして忘れていくのではなく、
なんらかの形で消化したい。
消化した形で残るように。

     *     *     *

あの頃からするととてもラクになったし、
大抵のことなら「またか」と思うが、
きょうはいつもとは別のタイプの話が含まれていて、
数分間、思考が停止した。

ので、思考を再開するために、ブログに書いてみた。

私は母の遠くにいて、しかも施設にお願いしていて、
時々事務作業をしたり電話応対をすればいいだけだから、
こんなにラクなことはないのに…と自分の弱さを思う。

家の中で、お年寄りの介護を1人でしている人の
ストレスと孤独感はいったいどのくらいのものなのだろう。
想像がつかない。
 2010.01.14 Thursday 08:19 老いについて考える permalink