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生活の等身大化は、高齢になる前に
今年の夏から、母が有料老人ホームのお世話になっている。
結果的に、下見をしたところとは
別の施設に入ることになった。
スタッフの方々にとてもよくしていただいている。

母が住んでいた家は、かつては私も住んでいた家。
住人が1人ずつ減って、ここ4〜5年は母ひとりで住んでいた。
簡単には引き払えないので、もとの家はそのまま。
たまに施設の方といっしょにもどって、
衣類など必要なものをもっていっているらしい。

で、母に届く郵便物には私が対応しているのだが、
まあ、届くこと届くこと。
小冊子やDMやカタログが毎日のように。

もちろん、個人からの手紙や、役所からの書類も届くが、
DMにたまに混じっているという感じ。

なにしろ重要度がわからないので、
片っ端から電話をかけて、配送をとめてもらっている。
中には料金が発生しているものもあり、
入金済みの分だけ配送してもらうように頼んだり、
返金してもらったり。

2ヶ月くらいの間に、軽く20件は電話したと思う。
どこに電話をしたのかわかるよう、メモをとりながら。
おかげでようやく最近、DMが減ってきたしだい。

個人情報が流れただけなのか、
母がこれだけいろいろなものを
通販で買ってきたのかはわからないけれど、
毎日、郵便受けに届くカタログを開いては、
あらこれいいわね、
と注文していた様子を想像するのは難しくない。

私が対応するのも大変なくらいの量なので、
もし母のところにこれがたどりついていたら、
あっというまに郵便物の山ができてしまったことだろう。
カタログを断わるという発想もなかったと思うし。

母は現在、はっきりとした認知症ではないものの、
かといって普通の状態でもなく、
ひとり暮らしが難しくなってきたので
施設のお世話になることになったのだけれど、
そうなってからの母に意見しても仕方がないというもの。
また、そうなるまえに意見しても仕方なかっただろう。

年老いた親の生活まわりの整理をするのは、
子どもの仕事なのかもしれない。

しかし、そうはいってもできることならば、
自分が元気なうちに、
自分の生活を等身大化する習慣を身につけておきたいと、
しみじみ思うきょうこのごろなのであった。

それは、自分の子どもに同じ思いをさせたくないというより、
ものに依存しすぎない体質を、
年をとる前につくっておきたいという願いなのかもしれない。
 2009.11.13 Friday 08:46 老いについて考える permalink