部屋をみまわして書き出しタイム

片づけのリズムで書いたように、

しばらくはあまり大がかりなことをせず、

気になるところをちょこちょこ片づけたり

ちょこちょこ掃除したりすることにした。

 

その場合、やりたいけれど

いまは見送るということが生じてきて

そのままだと若干気になるので、

気がついたことは書き出すことにした。

 

そんなときにも役に立つのが表ソフト。

 

もともとサイコロ家事

二十面体用につくったページが

結局「やりたいことでやってないこと」を

書き出すページになっている。

 

ここに並んでいるものは

やるタイミングも関わってくるので

サイコロを振ってやることは

ほとんどないのだけれど、

せっかく項目が並んでいるので

そこに書きたしていくことにした。

 

「願いごと手帖」について考え込んでいるとき

に思ったのだけれど、

やっぱり願いごと手帖のほうは、

なんらかの運とかひらめきとかご縁とか、

自力以外のものが関わる場合を

書いたほうがいいのかもしれない。

たとえささやかな日常的な願いだとしても。

 

たとえば今回

「わが家の不燃ゴミ置き場がいい感じで落ち着く。」

という願いごとを書いた。

 

今年の春からの部屋のレイアウト替えにより

不燃ゴミ置き場を変えたのだけれど、

見た目にはよくなったが、いまひとつ使いづらい。

 

で、何かいい方法はないか考えているのだけれど、

なかなか思いつかない。

 

こういうのは願いごととして書いておくと、

いい方法をある日思いつくかもしれないし、

たまたまネットか何かで

いい方法を見かけるかもしれない。

 

一方、自炊待ちの本を全部自炊して

本棚がすっきりまとまってほしいという願いは

もうあとはやればいいだけのところにきているので、

こういうものはやればいいわけなのだ。

 

もっとも、そういう場合でも、

自分がなかなか動けないときには

願いごととして手帖に書けばいいかな、と思う。

 

なので「あとはやるだけ」というものは、

パソコンに書き込むことにした。

 

というか、書きたそうとしたら

すでに同じことが書いてあったりして、

前から気になってたのに

結局やってないんだ私。

 

そんなこんなで、

この表を整理することになっている現状。

 

片づけのリズム

表に出ているものを収めることと

写真を撮って片づけることは

なかなか有効だということがわかった。

 

というわけで、これから先しばらくは

あまり店を広げないようにして

作業を続けることにした。

 

本来ならば、ちょうど年末だし

盛大に大掃除をするところかもしれないが

今年の不燃ごみ収集も資源ごみ収集も終わったし

ごみだらけの部屋で年を越すのもなんなので。

 

それを決めたのは、

手つかずの天袋をのぞいたときだったように思う。

これはけっこう大変な作業になるなと感じて

のぞくだけのぞいてそのまま扉を閉めたのだった。

 

そしてそのあと、

気になっていたお風呂掃除を

気になるところだけざっとやった。

 

今年の年末はこんな感じでいこう。

春からけっこう動かしてきたし。

 

計画を立てるときと、動くとき

でも書いたように、結局、

「動く」と「考える」

「ひっぱり出す」と「収める」 を

交互にやっていくといいのかもしれない。

 

そうすればなにより、自分が飽きない。

 

そのスパンにも、

長めのものと短めのものがあるように思う。

 

長めのものは数ヶ月か数週間単位、

短めのものはいちばん短くて十数分単位。

 

長いスパンでいえば、このブログでは

「部屋」のことと「からだ」のことを

数ヶ月単位で行き来する予定でいる。

 

短いスパンの場合は、インターバル家事が役に立つ。

 

そんなリズムについて考えていたら、

森田療法の「休息は仕事の転換にあり」

という考え方を思い出した。

 

もっと詳しく言うと、

「休息は仕事の中止にあらず、仕事の転換にあり」

となる。

 

この言葉の意味するところを考えようとすると

話が長くなりそうなので 

今回は言葉だけ取り上げるけれども、

インターバル家事はこの「転換」の

自分なりの実践なのかもしれないなぁと思ってみたり。

 

なんか疲れたな、飽きたな、

うまくいかないなと思うときには

ちょっと他のことをやってみると

いいのかもしれない。

 

そうすれば、結果的にどちらも、というか、

全体的にうまく運んでいくものかもしれない。

 

ときどきサイコロを振って家事をしている話

私は、インターバル家事という

とても褒められたもんじゃない方法で

生活を進めることが多いのだけれど、

その途中でサイコロを振ることもある。

サイコロを振って何をやるか決めるのだ。

 

わが家には普通のサイコロがないのに、

四面体、八面体、十二面体、二十面体のサイコロがあり、

そのなかのおもに八面体と十二面体を使っている。

 

たとえば八面体を使うと決めて、

1の目が出たらテーブルを片づけ、

4の目が出たら軽い運動をする。

 

十二面体を使うと決めて、

2の目が出たら台所関係のことをやり、

6の目が出たら「いまいちばんやるべきこと」をやる。

 

どの目で何をやるかは、

あらかじめ書き出してある表を使う。

 

項目は書き換えることもあるし、

複数書き起こしている目もある。

 

どういうときにサイコロを振るかというと、

なかなか動き出せないとき。

 

いっそ順番を決めてルーティンにして

完全に習慣化してしまえばもっとラクなのかもしれないが、

なかなかそうはいかないものであり。

 

というか、結局楽しんでいるのかもしれない。

 

実際にこれをやっていると、

麻雀ゲームをしちゃタイマーをセットして

サイコロを振って……という感じでなんだか忙しい。

 

「無駄をなくす」という姿勢からも

ゆっくり」という姿勢からもほど遠い行為になる。

なんだかいろいろ矛盾している。

 

ただ、とにかく確実に家事は進んでいくので、 アリにしている。

 

しかも、最近はサイコロの出る目の回数のデータをとっている。

同じ目ばかり出る気がしたから。

 

実際、十二面体のほうはけっこう偏りがある。

いちばん差が大きいところで3倍強。

 

だからというわけではないのだが、

新しいサイコロセットが欲しくなっていて、

買うとしたらこれだな、という候補も決めている。

 

世の中には十面体のサイコロというものがあるらしく、

それも振ってみたいし、やっぱり六面体もほしい。

 

って、やっぱ楽しんでいるらしい。

 

サイコロ家事はもう少し改善の余地があるので、

ブラッシュアップしていきたい。・・・していくのか??

 

過去の自分のお世話が大変なこともあるけれど

紙物を処分していたり

ネット関係の整理をしたりしていると、

過去の自分お世話が大変だなぁと思うことがある。

 

どうしてあのとき気がつかなかったんだろう、

どうしてあのときこんなことしたんだろう、

どうしてあのとき先を考えなかったのだろう、と。

 

たとえば1冊にまとめるノート術

 

途中でScanSnapを買ったとはいえ、

22冊のノートをスキャンして処分する作業は、

ものすごく大変だった。

 

あのまま続けていたらさらに増えていたわけだけれど、

本当にどうするつもりだったんだろうか過去の私。

 

たぶん、未来の私に丸投げだったのだろうと思う。

 

「まったくもー」と呆れつつ作業をしているわけだけど、

その一方でこうも思うのだ。

 

「そのときやりたかったんだもんねぇ」

「楽しかったんだよねぇ」と。

 

未来の私も現在の私に同じことを思うのだろうか。

 

だとしたら、それは次のどちらだろう?

 

「こんなにスキャンしなくてもそのまま捨てればよかったのにー」

「なんで処分しちゃうんだよー!とっておいてよー!」

 

どちらだとしても、

呆れながら過去の自分を振り返りつつ、

「でも、そのときやりたかったんだよねぇ」

と思うような気がする。

 

自分の人生を振り返ってみると、

特に何も成し得なかった

特にどうということもない半世紀だったけれど、

ひとつ言えることは、

いつでもやりたいことをやって、

やりたくないことをできるだけやらなかったということ。

 

そこだけは一貫しているように思う。

 

そして「やりたいこと」が変わるので、

結果的に過去の自分のお世話が大変になるのだ。

 

かといって、未来の自分のために

現在の行動を考えるわけにはいかない。

 

そうしたくないというより 

未来の自分の想像がつかないから、

考えようがない。

 

何かしても何もしなくても

「なんでだよー」と 思う気がする。

 

だから結局、そのときにやりたいことを

やるのがいちばんだし、それしかない。

 

だとしたら、 多少、過去の自分のお世話が大変でも、

しょうがないなぁって思いながら、いまがんばろうと思う。

 

というか、いまやっていることは、

いまやりたいことをやっているだけだから、

がんばるも何もない。

 

いつでもやりたいことをやって

やりたくないことをやらない。

そこにしか手がかりはないことを

日々の作業で再確認している

きょうこのごろなのだった。

 

切り取り&貼り付けで活用する「毎日やること表」

私の日常生活において、

日記以外でも表計算ソフトはとても役に立っている。

 

「Excelは役に立つ」と書けば話ははやいのだろうが

実際に使っているのは WPS spreadsheets なので

表計算ソフトと書いてみる。

 

それをいうなら計算機能はほとんど使っていないので

表ソフトというべきところかもしれない。

 

家計簿などではなく、別のことで役に立っている。

 

特に役に立つのが「毎日」という名前のシート。

いわば「毎日やること表」。

 

どういうものかというと、

だいたい次のような感じのものなのだ。

 

左端の一列を開けた状態で

月〜日の曜日の欄を横に並べるべく

曜日の見出しをつくる。

 

そして、きょうが火曜日だとすると、

火曜日の欄に上から順にやったことを記入する。

小さなことも書いていく。

 

たとえばこんな感じ↓

 

   やること1     ごみ出し

   ストレッチ   

   コンタクトレンズ装着   

   朝食   

   携帯メールチェック1回め   

   PCメールチェック1回め   

   やること2     メール返信   

   天気予報確認

   ニュース確認

   スケジュール帳確認   

   洗濯1回めスタート   

   布団まわり片づけ   

   乾燥機出し   

   仕上げ乾燥スタート   

   洗濯たたみ・しまい

      ・      

      ・

      ・

 

「やること」というのは

毎日やるとは限らないようなこと。

 

つまり、その日ならではのことをやったときに

「やること1」「やること2」「やること3」……

で示している。

一応、右の欄に何をやったかメモしておいて。

 

最近は、「スキャン作業」や「捨て作業」などが

「やること」に加わっている。

 

こうして火曜日が終わると

火曜日にやったことの一覧ができて、

そこには毎日やることが並んでいるはずだから、

水曜日は何かをやったら

火曜日の欄から切り取って移す。

 

つまりカット&ペーストする。

ショートカットキーを使って。

 

ここはコピー&ペーストではないほうがいい。

なぜかというと、まだやっていないことが

前日の欄に残ってわかりやすいから。

 

ちなみに、食事やお風呂など必ず毎日やるけど

タイミングが決まっていないものは記入して、

はみがきなどのタイミングが決まっているものは

記入していない。

 

なお、左端の一列は「貼り付け用」の項目をおく場所。

何日かやらずに曜日の欄に残ってしまった項目を移し、

やったときにここからカット&ペーストして使う。

 

なんでこんなことをしているかというと、

こういうことでもしないと私は動かないからなのだ。

 

怠惰な自分をなんとか動かして生活を前に進めるべく

あれこれ邪道なことを考えだしてはやってみている。

 

「毎日やること表」をつけていくと、

小さなことでもやったことが並ぶので達成感がある。

 

そして、やっていないことがわかるので、

ああ、そうだった、あれがまだだった、と

思い出すことができる。

あるいは、やろうという気持ちになれる。

 

さらに、この表はインターバル家事で役に立つ。

 

あと10カウントの何かをしなくてはいけないとなったとき、

「そうだ、そういえばスロースクワットがまだだった」

という感じでやれば10カウントかせげる。 (かせげる?)

 

そんなふうに毎日やる小さなことは、

できるだけ考えずにやれるようにしたい。

 

実際にはこれらをすべて習慣化させると

もう表もいらなくなると思う。

 

『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』

を書いた佐々木典士さんが、

その後、習慣の本を出されているのは、

なるほど納得がいく展開だと思う。

 

だけど私の場合、

「毎日」の表を使って

インターバル家事をすることが

もう習慣になっているらしい。

 

たぶん、家事を含めて全部がゲームみたいに

なってるんだと思う。

 

そういえば

 

なまけもののあなたがうまくいく57の法則

 

に、こんな法則があった。

 

「法則13:ゲーム感覚を取り入れる」

 

この本でいうところの「ゲーム感覚」

(競争・ご褒美・ちょっとした罰)

とは少し違うのだけれど、

でもやっぱりこれはこれで

私のゲーム感覚なのだと思う。

麻雀ゲームをすると家事がはかどる理由

私は、インターバル家事と称する

とてもほめられたもんじゃない家事で生活を進めている。

 

自分で名付けた方法だけど、たぶん、

中学校の水泳部でのインターバルという名の練習が

もとになっているんじゃないかと思う。

 

水泳部でのインターバルは

2つのグループに分かれて50m泳ぐことを

交互に繰り返していく練習だったと記憶しているが、

現在の私のインターバルは

ゲームと家事を交互に行うことを指している。

 

なお、インターバル家事にはいろいろと変遷があり、

現在はパソコンの麻雀ゲームを使ったものが主流になっている。

 

要は、麻雀ゲームと家事その他を交互にやるだけの話なのだけれど、

ただ交互にやるだけでは面白くなくなってきたので、

最近は点数も独自のルールで反映させている。

 

たとえば「カウント」というバージョンの場合、

1000点とったときには10カウントの何かをし、

2600点もっていかれたときには26カウントの何かをする。

 

食卓からコップ2個を流しにもっていけば2カウント、

ゆっくり10数えながら掃除機をかけたら10カウント。

 

また、「時間」というバージョンの場合、

点数をいろんな規則で時間に変換する。

 

よく使う変換は千の位と百の位をたすもの。

1500点とったときには(1+5=)6分動き、

8000点もっていかれたときには8分動く。

 

後払いや前払いOKなパターンもある。

 

とても褒められた方法じゃないけれど、

このインターバル家事、

私にとってはとにかくものすごく有効。

 

いまいちやる気がないときなども、

あっというまに部屋が片づく。

 

逆に、その時間でやりたいことをやることもあり、

タイマーで区切るのでだらだらと続けることがない。

 

で。

 

この方法がどうして有効なのか、あらためて考えてみた。

 

まず、何かをやりはじめるときと終わらせるときを

自分で決めなくていいので、

つまりは考えなくてすむのがラクなのだと思う。

 

しかも1回1回が短時間だから、

とりあえずやっておくかという感じで進められる。

 

そして、麻雀ゲームが楽しいというよりも、

ゲームと並行してながら家事をやっているうしろめたさが、

面倒な家事の後押しをしている面もあるように思う。

 

さらに。

 

先日、こじつけの理由を思いついた。

 

私は特に麻雀に強いわけではなく

基本的なルールを知っているだけなのだけれど、

何度も何度も麻雀をやっていて思うことは、

結局これは「いらない牌を捨てる」作業なんだな、

ということ。

 

配牌の内容にもよるけれど、

特に何もないときには、まず字牌を捨て、1や9を捨て、

ぼちぼち見えてくると自分が望む形にするために

役に立たない可能性が低い牌を切っていく。

 

そのことが、いまのテーマにしっくりくるのではないか、

なんてことを思うわけなのだ。

 

何しろ手元に置ける牌の数は決まっているのだから、

必要なものを残して不要なものは外に出していくしかない。

 

具体的な牌というモノを捨てて、目的であるところの点数を狙う。

 

何かのアイテムを集めたりするのではなく、

いらないものを捨てながら

限られた牌のなかで望みの形をつくるこのゲームが、

いまの自分にしっくりくるのかなぁなんて思っている。

 

ちなみに、何の肩書もない私だけれど、

いまは自分のことをインターバラ―と呼んでいる。

 

計画を立てるときと動くとき

今年の春からミニマリズムに気持ちが向かい、

モノの処分に拍車がかかっているきょうこのごろ。

 

しばらく作業してみて思うことは、計画の有効性を感じるときと、

とにかく動き始めてみるのがいいなぁと思える場面があること。

 

ものが収まっている大きな家具を手放すときなどは、

やはり計画的に進めたほうがよさそう。

 

中身をどうするか考えてから動かさないと大変だし、

段取りを考えてから進めると

動き始めてから完成形までにかかる時間が少なくすみ、

うまくいったそのことがうれしくなる。

 

わが家の場合は、メタルラック撤去の作業がこれにあたるものだった。

 

逆に、計画を立てようとしたのにうまくいかず、

動き始めてみたらそっちのほうがよかったと思えたのが

苦手な紙類の対応。

 

そのまま処分するもの、残すもの、

スキャンをして処分するものをまず分類すべきなのか、

スキャナーは自宅のものにするのか、 レンタルするのか、

思いきって購入するのか……等々、

あれこれ考えてみたのだけれど、埒があかなかった。

 

そこでとりあえず動いてみることにした。

 

本の自炊ってどんな感じなのかを知るために、

本を1冊選んで少しずつ裁断しながら

とりあえず自宅にあるスキャナーでスキャンしてみる。

 

そうすると、本のスキャンはこの方法では無理だという答が、

1冊もスキャンし終わらないうちに出る。

なので、本は保留。

 

取扱説明書はスキャンが可能だったし、

ここからスキャンの練習をしていった感じで、

形状もいろいろなので、手作業でもよかったと思う。

 

写真も最初は大変だったが、そのうち慣れてきて、

ある程度はいけそうだという感触。

特に古い写真ははがしてからスキャンするので、

1枚ずつやるしかない。

 

そんなふうにやっていくと、時間はかかるけれど、

少しずつ確実に紙は減っていく。

 

また、実際に動き始めてみると、

慣れのあとには疲れが出てくるのだが、

疲れるのもわるいことばかりじゃないと思えてくる。

 

細かいこだわりがあったのが

「ま、いっか」になっていったり、

作業することで全体量を感じられるようになって、

処分することの抵抗が減ったり。

 

さらには「これを捨てたのだからこれを残しておくのも変」

という具合に連鎖反応も起こってくる。

 

思うに、計画を立てるのが楽しいものは計画に向いていて、

そうでないものはとにかく動いてみるほうがよさそう。

 

ってことはあれかもしれない、

とりあえず計画を立てようとしてみて

なんだか楽しくないと感じたら、

1個でも動かしてみるといいのかもしれない。

 

きっかけにのっかって自分に変化を起こす

『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』がよかったので、

『ぼくたちは習慣で、できている。』もKindle版を購入した。

 

そのなかに「転機を利用する」という項目がある。

例に出されているのは、引っ越しや病気など。

 

最近、この「転機」あるいは「きっかけ」についてよく考える。

 

思えば、実家の片づけを考える最初のきっかけは、

実家に空き巣が入ったことだった。

 

また、本格的に引き払う方向で動いたきっかけは、

シロアリが見つかったことだった。

 

いまふりかえると、

あのタイミングで家を引き払ったのは大正解だったと思う。

 

また、今回も実家のものの最終片づけをきっかけに

自分の部屋の中のモノも大きく動かすことになったわけであり。

 

実は、ずいぶん前に

 

  なまけもののあなたがうまくいく57の法則

 

という本(Kindle版)を買っていた。

 

いかにも自分が買いそうな本だと

久しぶりにタイトルを眺めて思うけれど、

それはそうとしてこの法則の2番目

「あえて他人に流される」

が最近しっくりきはじめている。

 

なまけものは自発的に新しいことを始めるのが苦手なので、

だれかから誘われたらその流れにのってみるといい、

というような話。

 

はじめて読んだとき、「いや私はそれはないなーやらないなー」

と思ったものだったし、いまでもそうだが、

最近、「人」を「こと」に読み替えればいいんじゃないかと気がついた。

 

つまり、自分の意志で起こしたことではない何かが起こったとき、

その流れにのってしまうという意味で、

「あえてことに流される」というふうに。

 

そうすれば、何もないときに自分で決断するよりもラクに

自分に変化が起こせる。

 

何かコトが起こるとしばらくの間はそこから刺激を受けるから、

その刺激をスターターにすれば、重い自分の腰も上がるというもの。

 

何かにつけ意味づけしてしまいがちな自分なので、

ついつい「そういうお達しだった」と思いそうになるのだが、

そこまでメッセージ性をもたせないにしても、

何かのきっかけにのっかるというのは

人生を進めていくのによい方法ではないかと思う

きょうこのごろなのだった。

 

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