自分のものではないモノをどうするか

ミニマリズムに憧れるようになって
2回めの夏を迎えようとしている。

この1年あまり、大物を含め、
いろいろなモノを捨ててきた。

しかし、あいかわらず
部屋がすっきりした感じがしない。
部分的にはだいぶすっきりしたはずなのだが
全体がすっきりしないとすっきりしないのか、
あるいはすっきりにすぐに慣れてしまうのか。

ところで、「すっきりしなさ」は2種類ある。
いまはこれでいいと納得しているすっきりしなさと、
どうしようか考えあぐねているすっきりしなさ。

後者は特に、
「自分のものではないモノ」
「自分だけのものではないモノ」
の場合が多い。

考えてみればもともと、
そこから始まったミニマリズムへの憧れ
ではあった。

そして、面白いことに、
あいかわらずテーマは同じなのだ。
すなわち「紙物」。

昨年の春、実家にあったもので
私が持ち帰ったのは「紙物」だった。
その紙物にコンテナ1個半分を使っている。

紙物なので昨年同様、
ひたすらスキャンして処分する道が
ないこともないけれども、
私のモノとは違って、
上に載っているデータというより
むしろそのもの自体に意味があり、
覚悟がいる。

逆にいえばいまはコンテナ1個半に収まっているのだから
当面、そのままでもいいと思っていたのだが、
今度は娘の紙物があふれだしてきた。

もうしばらく紙のままでとっておきたい資料もあるし、
本人が残しておきたいものもあるし、
娘の本は紙で残したほうがいいと思うし。

仮に全部スキャンしていいことになっても、
それはそれでまた大仕事。

実家からもってきた紙物を処分して
スペースをつくるとなると、
相談も必要になる。

ふたつ返事でOKになる可能性もあるけれど、
こちらはこちらで勢いがいる。

どうしたものかと部屋をみまわしているとき、
またあの言葉が浮かんだ。

「その前にできることがあるよ」

確かに。

まずは、まだあちこちに残っている
自分の紙物を整理し、
娘の紙物をもう少し要不要で選別する。

そうすることで、
実家からもってきた紙物をどうしたいのかも
見えてくるかもしれない。

本の電子化にかかる時間

紙の本を100冊だけ残す計画は、
まだ完遂していない。

迷っている本が数冊と、
スキャン待ちの本がまだ数冊ある。

100冊ジャストにこだわりすぎるのもどうかと思うので、
とりあえずいまスキャン待ちのものを自炊したら
一段落させていいかな、と思っているところ。

ある程度の冊数を電子化してみて思うことは、
結局、ひとつひとつの作業を丁寧にやるのが
いちばん手間がかからないということ。

最初にカット作業を全部やってしまって、
表紙のスキャンをしたあと
ページの部分を5枚または10枚ずつ
スキャンしていく。
どちらにするかは紙の質と状態による。

読み取り中は、
耳でページの枚数を聞き取りながら、
次の5枚なり10枚を準備する。
できれば画面に表示される枚数も確認する。

結局、スキャンのときにページがとんだり
裁断が汚くて曲がってしまったりして
やりなおしになるのがいちばん大変なので、
少ない枚数ずつ確実にやるほうが結果的にはやい。

そのかわり、終わったあとのチェックもしない。
万が一ページが抜けていたらあきらめる。
あきらめがつかないものは紙で残す。

なお、検索可能なPDFに変換するのも
けっこう時間がかかることがわかったので、
基本はそのまま保存することにした。

本のサイズや状態にもよるけれど、
200ページくらいの文庫や新書だったら、
カットは2〜3分で終わり、
スキャンと保存にかかる時間は
特に問題がなければ15分程度。

1冊スキャンするのに20分というのは
短いとは言えないかもしれないけれど、
以前よりは手際がよくなってきたと思う。

といっても、今後はそんなに多くの量を
自炊することにはならないと思う。

こういうものは、慣れたころ終わるんだろうな。

それはそうとして最近つくづく思うことは、
本は読むためにあるんだよなぁということ。

保存に困ったり選んだり迷ったり、
自炊するためにあるのではないんだよな。

ちなみに、電子化した本を
見返したことがあるかというと、
ない。

ちょっと確認したいことがあるときも、
紙の本ならパっとのぞくだろうが
データになると引っ張り出すそのひと手間が
億劫になるものらしい。

データ自体はすぐに出せるようになっていて、
パソコンの前にすわったまま
5アクションほどで見られるのに
その5アクションが億劫らしい。

結局、手放す不安感解消のためだけに
手間ひまかけてスキャンしたのかもしれないけれど、
そうすることでしか手放せなかったのだから、
とりあえずよしということにしよう。
 

「願いごと手帖」定期メンテナンス

年末なので、「願いごと手帖」

定期メンテナンスをすることにした。

 

といっても、先日開いた気がする。

 

日付を見たら、これはあれだ、

Windows Update の件で待っている間、

パソコンなしでできることをやるべく

ちょっとやったやつだ、たぶん。

 

でも、もう一度やってみることにした。

 

「願いごと手帖」は

かなった願いに〇をつけるのが基本であり、

つまりはそうできる形に

願いごとを言語化するのがコツだと思う。

 

とはいえ、かなう時点が判別しにくい願いもあり、

そういう願いには一区切りの〇をつけるという

アクションもできることが本に書いてある。

今年でいえば「2019 OK!」という具合に。

 

それのアレンジというわけでもないのだけれど

ここ数年は「2018年に向けて」「2019年に向けて」

というふうなタイトルをつけて

願いを書き出しているページを作っていた。

 

しかしこの書き方をすると、

別の年にかなったときに微妙に〇がつけにくいので、

やっぱり願いごとはそのまま書いて、

区切りをつけるときに年を入れればいいな、

と思いなおした。

 

が、結局「2019 OK!」

を書き込むような願いごとはなくて、

普通に〇をつけるメンテナンスとなった。

 

それにしても、

願いごとというのは言語化が難しい。

というか、言語化が難しい願いごとがある。

 

その難しさと向き合っていると、

「自分が本当に望んでいることは何か?」

を掘り下げる作業になっていく。

 

さらにいろいろ考えていると

「人間万事塞翁が馬」と思えてくる。

 

また、願うことや願いを言語化することが

少し怖く思えてくるときもある。

 

そのときどきで最善を尽くして、

あとは起こったこと起こらなかったことを

受け入れていけばいいのではないか。

 

そんなふうにも考えてみたり。

 

と、また煮詰まってしまいそうになったので、

むずかしく考えない」を自分に一滴さして、

そんなときは手帖をいったん閉じればいいよ、

と自分に言うことにした。

 

「願いごと手帖」については

これまでも何度も考え込んできたのだけれど、

そもそも1冊のノートを10年以上使い続けるって

考えてみればそれなりにすごいことかもしれない。

 

ただ、いっそ新調してしまえば

また別の展開があるかもな、と思うこともある。

 

紙の本はそばに置いておく

わが家のメインの家具であった

大きなメタルラック2棚分を捨てたので、

それがあった場所に

本棚がわりのコンテナ4個を移動させた。

 

そして、自分の本の一部と

紙で残している書類のファイル、

娘の本であまり読まれていないものを

保管していた。

 

しかし、ここは私が日中もっとも長い時間を

過ごす場所のすぐ近く。

ある意味、一等地であるこの場所には、

紙物として残している自分の本を

並べるべきではなかろうか。

 

逆に言えば、ここに置ける量だけ

紙として残しておけばいいのではなかろうか?

 

電子化せずに残している紙の本には、

内容もさることながら、

装丁を含めた紙の質感と背表紙に

大きな意味があるように感じている。

 

だったらそれらは、

日常生活のすぐそばに置いたほうがいい。

 

1つのコンテナには30冊ほどの本が入り、

書類のファイルのスペースもあるので

4つのコンテナに入れられる本は100冊くらい。

おお。キリがよくてちょうどいいじゃないか。

 

というわけで、

100冊セレクションをやってみることにした。

 

まずは残したいとすぐに思えるものから選んでいき、

「これはスキャンでいいかな」

と感じた本は別のところに積んでおいて、

迷うものをその間に積んでいった。

 

だいたい分類ができたあと

一等地コンテナにごく大まかなカテゴリー別に

本を移していった。

 

その結果、残す本を100冊あまり選ぶことができた。

まだ境目は曖昧だけれど。

 

そして、そのまま資源に出せそうなものが数冊と、

スキャンして処分してもいいかもと思えたものが

30数冊発生。

 

30冊自炊するのはけっこう大変そうだなぁ、

それならいっそ残しておこうか……

と弱気になりそうだったけれど、

せっかく選別したので

自炊でもいいかもと一度思ったものは

コンテナの手前に横置きにしておくことにした。

 

なので、一等地コンテナまわりは

すっきりするどころか

前より混雑した状態になってしまっている。

 

でも、この作業のおかげで

自分の本は一か所にまとめることができた。

 

あとはがんばって

自炊でもいいものを自炊するのみ。

 

そして、読みたいタイミングで本を読んでいき、

背表紙から力をもらう。

 

そうすれば、紙で残している本を

より有意義なものにできそうな気がする。

 

本の自炊はどうだったか

スキャンしてデータ化したものといえば、

いわゆる「自炊」した本のこともある。

 

はじめて自炊をしてから3か月半の間に

それらの本を読んだ記憶はなく、

開いた記憶もない。

 

もっとも、よく開く可能性がある本は

紙のまま残しているし、まだ数ヶ月だし、

そんなものかもしれない。

 

と書いたあと、自炊した本ってどんな感じか

ちょっとのぞいてみた。

 

うーん、やっぱり少し読みにくいかな、という印象。

同じパソコンで読むのでもKindleとは勝手がちがう。

 

で、ふと気づけば私はJPEGで保存していた。

自炊を始めるときに迷った記憶はあって

調べた記憶もあるのだが、

そのうえでJPEGにしたのだろうか?

自分のことなのに覚えていない。

 

ならば試しにPDFで保存してみようと

ScanSnapの設定をのぞいていたら、

スキャンした段階ではPDFになっていて、

それをピクチャフォルダとして保存していたので

JPEGになっていたらしい。

 

で、新たに1冊スキャンするにあたり

はじめの何ページかを

検索できるPDFで保存してみたら、

確かに検索は便利そうだけれど

格段に読みやすくなったという印象はない。

 

うーん、どうしたものか。

 

ただ、自炊を始めて時間がたってわかったのは、 

データで残したいと思うものは、

記録の意味あいが強いものだということで、

その場合はやっぱり検索できると便利そう。

 

本の場合は画像もほとんどないので、

PDFがいいのかもな。

 

それはそうとして、以前の感覚でいえば、

「データが消えてもそんなにショックではない  

 レベルのものをスキャンする」

という感じだったけれど、

そういう本ならもう手放してしまえば?

と思えるようになってきた。

 

何しろ、スキャンそのものは自動でも、

「裁断 → スキャン → チェック」

の一連の作業はそれなりに手間がかかるので。

 

その手間が惜しくない本でないと

スキャンする気力がわかない。

 

そう考えると、自炊できる本も

手放せる本も増えそうな気がしている。

 

その場合、じゃあ紙で残す本はどれなのだ?

というところから考えていけばよさそう。

というわけで次に続くのだった。

 

その後のスキャン作業

ScanSnapを購入して4ヶ月あまり。

その後も便利に使っている。

 

もともとは、保存していた紙物を

スキャンするために買ったものだけれど、

その後は日常的に発生する紙物を

日常的にスキャンしている。

 

日常的に発生する紙物というと

おもにレシートなのだけれど。

 

キャッシュレスの時代に

現金で買ったレシートを

スキャンするってどうよ?

という話はあるが、

でもまあよしとする。

 

月末にまとめてやるより

日常的にやるほうが

圧倒的にラクだとわかった。

 

いつも座っているところのすぐ近くに

スキャナーの定位置をつくっているので

蓋を開ければすぐスキャンできるし

保存の手順も決まっており

手間がかからない。

 

そんなこんなで

日常的なスキャンには慣れてきたのだけれど、

まだスキャンしたい保存物が残っていたので、

それらのスキャン作業を再開。

 

そのまま残すつもりだったアルバムの写真や、

娘の中学校以前の印刷物など。

 

アルバムのほうは

実家を取り壊すときの片づけの際、

実家のアルバムから写真を抜き取って 

スケッチブックに

セロテープで貼り付けて作ったもの。

限られた時間のなかで姉とがんばってつくった。

 

つくりは簡易だけど中身が非常に濃く、

セロテープでとめていることもあり、

そのまま残すことにしていた。

 

しかし、スケッチブックなのでサイズが大きく、

ページの紙も変色してきているので、

これはむしろスキャンしたほうがいいかなと思い始め、

3冊あるうちの2冊は写真をはがしてスキャンした。

 

残りの1冊はまだスキャンする覚悟ができない。

このなかの写真はたとえスキャンしたとしても

半分くらいは残すことになりそう。

 

娘の中学校時代以前の印刷物は、

ふだん配布されるようなプリントは

すでに処分しているのだけれど、

しばらくはとっておきたいと思う書類を

ある程度残していた。

 

スキャナーがなかったら

あともうしばらくとっておいたと思う。

 

やっぱりスキャナーがあってよかったなぁと

あらためて思う。

 

さすがにこれだけ作業を続けると

「現役」以外の紙物はだいぶ減ったと感じる。

 

キリがないと思っていたけれど、

やればやったでそれなりに進むんだなぁ

と思うことであった。

 

はじめて本の自炊を経験して思ったこと

今年の4月からミニマリズムに気持ちが向かい、

大きなものから小さなものまであれこれ手放してきた。

 

いちばん対応が苦手な紙物は

できるだけスキャンして処分する道を選び、

ひと夏使ってだいぶ減らした。

 

まだまだ処分したいものはあるけれど、

大抵はもうメドがたっているし、

あとは地道にやるだけ。

 

そのなかにあって、最後に残るのが「本」。

 

本についてはずっと迷っていて、

ひっぱり出しては収集がつかなくなり

もとにもどすということを繰り返してきたのだが、

さすがにもうどうにかしたい。

 

で、ScanSnapを購入したのだから

じゃんじゃん自炊すればよさそうなものだが、

こういう状態になってわかったことがある。

 

いつでもスキャンできる状況になると、

逆に、スキャンせずに手放せるようになるということ。

 

これまでさんざん本以外のものをスキャンしてきて

けっこうな量をデータ化する経験をしたいま、

本の自炊については

「そこまでする必要があるか?」

「データ化して読み返すことはあるか?」

と、問いなおすようになった。

 

スキャンにもそれなりの手間がかかり、

データ保存にもそれなりの容量をとる。

そこまでしてこの1冊を読み返すだろうか?

と考えてしまうのだ。

 

そのおかげかどうかはわからないけど、

今回まずは20冊ほど、

スキャンせずにそのまま資源に出す踏ん切りがついた。

 

自分としてはだいぶ成長したと思う。

 

資源に出す準備をしておいて、収集日の朝出すとき

あまり背表紙を見ないようにして出したのだけれど

ある1冊の表紙が目に入り、

「そうかぁ、私はこれを手放す気になったか」

と自分の成長ぶりに感心しつつ、

心変わりしないうちに出した。

 

心変わりしないうちに

持って行ってくれてよかった。

 

残りも少しずつ判断しながら、

いよいよ自炊もやってみている。

 

専用のカッターは持っていないので、

普通のカッターとカッターマットと長い定規で

地道に切り離してセット。

 

何しろ最初はプリンターのスキャナー機能で

手作業で地道にやっていたのだから、

それからすると自動給紙してくれるスキャンは

本当にラク。

切る手間などはなんの苦労もない。

 

他の書類と違って、

1冊ずつサイズも固定されているし

紙もきれいでしっかりしているし。

 

むしろ、ちょっと手間だと思ったのは

スキャンしたあとのチェック作業。

 

途中で重なってしまってページが抜けて

調整が大変な1冊があったので、

スキャンするときに多少手間でも

ページがくっついていないことを確かめて

少しずつ入れるほうがあとでラクだとわかった。

 

それでも一応、ページがとんでいないかを

ざっとチェックしてから処分している。

 

もっとも、1ページでも抜けたら

とても困るものやとても悲しいものは、

最初からスキャンせずに

紙の本でとっておくことにする。

 

それにしても思うことは、当初、

ScanSnapのレンタルも考えていたのだが、

私の場合はレンタルにしなくてよかったということ。

 

スキャン作業はすぐに慣れるのだけれど、

ページチェックよりもさらに大変なのは、

「どの本をスキャンするか」を決めることなので。

 

そのまま資源に出せる本と、

紙のままとっておく本はいいのだけれど、

そのはざまにあるビミョーな本の判断が難しい。

 

あらかじめ決めて分別できたら

レンタルするという道もあっただろうけれど、

スキャンで様子を見ながら判断できるのは、

やっぱりありがたい。

 

とにかく数日間で全部やるのは無理だったと思うから、

何度かレンタルすることになって

「買ったほうがよかったんじゃない??」

ということになった気がするので、

買ってよかったと思う。

 

というか、そもそも中古で安いから

レンタルと対して変わらない料金だし、

古い型でも中古でも機能は十分だし。

 

現在、11冊スキャンをした段階で約1.8GB。

だいたい予想していた感じの容量。

 

この調子だと、20GBを超えることはなさそう。

 

さて、問題はというと、

これらの本を私は読み返すことがあるかどうか、

ということ。

 

なんだか不安解消のために

スキャンしている気がしないでもないが、

ひとまずやってみて

しばらく観察してみたい。

 

「願いごと手帖」のこと

「願いごと手帖」を書き始めて

もうすぐ11年になろうとしている。

 

 運と幸せがどんどん集まる「願いごと手帖」のつくり方

 

いまでも最初に買ったノート、

ミドリMDノートのA5サイズ横罫を使っている。

 

当時、世の中にこんなにシンプルなノートがあったのかと

感動したものだった。

 

ビニールのカバーをつけているけれど、

表紙についてはさすがに経年劣化は否めない。

 

しかしページはまだまだきれいだし、

あと半分弱残っているのでこのまま使っていきたい。

 

「願いごと手帖」のことを知ったとき、

なるほどなぁと思ったのは言葉の力だった。

 

言葉にするということは、 まず意識することであり、

そして具体的に考えるということ。

 

何がどうなってほしいかをできるだけリアルに言語化し、

かなったとき自分がどういう気持ちになるかを想像することは、

それがすでに願いの実現に向けて動いていることになる。

 

もちろん、このノートには“不思議”の要素もあって、

それが魅力のひとつになっているのだけれど、

言語化というのは願いをかなえるための

合理的な理由だと思う。

 

始めたころに比べれば、

ここ数年は書く項目もだいぶ減ったし

開く機会も減ったのだけれど、

自分にとって独自の意味合いをもつ

ノートに成長しつつある。

 

日記やライフログノートとは別の意味で

臨場感のある記録。

 

どんだけ記録したいんだ⁉と自分でも思うが、

もちろん書くときには記録したいわけではなく

願いごとを書いている。

 

起こったことではなく願いごとを書いているのに

それが結果的に自分の記録になっているのが面白い。

 

長く続けるうちに自己流になった部分もあり、

基本はかなったものに印をつけるのだけれど、

私の場合、そうではない印がある。

 

どういう印かというと、

そのままの形ではかなっていないけれど、

願いごととしては解消しつつあるもの。

 

薄れたとしても願っていることに変わりはなく

かなったらかなったでうれしいので、

線をひいて消すのではなく

太い緑色のペンで〇をつけるようにした。

 

で、今回の片づけ作業において

まだやれていないことがあるので、

「願いごと手帖」のお世話にもなるべく

まだ終わっていないけれど終わるとうれしいことを

あれこれ書き連ねている。

 

そのなかに結果的に部屋の様子も刻まれることになる。

 

だから、11年も続けていると部屋の変遷もわかって面白い。

さらに、何が変わって何が変わらないかもわかって面白い。

 

ちなみに私が「願いごと手帖」に書いた願いごとのうち

最初に書いた3つの願いごとは、

すべて本に関するものだった。

 

1 家にあるのに読んでいない本を読んで発見がある。

2 必要な本と手放していい本の区別がついて、本棚がまとまる。

3 本棚の防災対策の方針が立つ。

  

すべて2008年9月に書いた願いごと。

 

紙物のうちの特に本の対応が苦手なことは

まったく変わっていないけれど、

防災対策が必要な本棚はもう使っていないし、

スキャンをするという道を選んだところは

変化したなぁ、と思う。

 

しかし、いまだ2は実現しないままなのだった。

 

読んでいないのに役に立っている本

私がはじめてAmazonのKindle版を購入したのは

2016年1月だった。

 

新しいものに対して億劫な気持ちが強く、

本は紙で読みたいと思っていたこともあり、

なかなか手が出なかったのだ。

専用の端末が必要だというアタマもあったと思う。

 

では、なぜKindle版を購入する気になったかというと、

紙の本は出ていないもので買いたい本があったのと、

パソコンでも読めることに気づいたから。

 

一度垣根を超えてしまうとあっというまに抵抗もなくなり、

いますぐ読める便利さに味をしめて

Kindle版をじゃんじゃん買うようになった。

 

いま手元にあるKindle版の書影を眺めてみると、

いわゆるハウツー本の類が多い。

 

何かに困って急に本がほしくなったり、

以前から目をつけていたものが急に読みたくなったりして、

ついつい買ってしまったのだと思う。

 

そうやって買った本を活用できているかというと、

ほとんどできていない。

 

買ってよかったと思う本の冊数の

全体に対する比率を計算してみたら、約23%。

 

本は読んでみなくてはわからないとはいえ、

4〜5冊に1冊という割合はやはり低いように思う。

 

で、最近は少し知恵がついてきて、

買っていないし、読んでもいないのに

役に立っている本がある。

 

なぜそういうことができるかというと、

「なか見!検索」とネット上のレビューが

けっこう参考になるからなのだ。

 

たとえば表計算ソフトで書く日記で参考にした次の本。

 

  「朝」日記の奇跡

 

私自身はこの本を読んでいないので

実際にどんなことが書いてあるのかわからないし

そもそも「朝」日記は書いていないから

この本を参考にしたというのも変な話なのだが、

検索して見つけたこの本のレビューが

とても参考になったのは確か。

 

それから、ダイエットについての本。

 

たぶん、

 

 10キロやせて永久キープするダイエット

 

だったと思う。

 

カスタマーレビューではなく

どなたかのブログの感想のなかで、

1日のカロリー制限のことを読んだ記憶がある。

 

それを参考にして表計算ソフトをうまく使ったら、

とりあえず2〜3kgくらいはやせることができた。

まあ10キロやせていないしキープもしていないけれど。

 

それから、長らく便秘が悩みだった私は

小林弘幸さんの次の本も参考になった。

 

 小林弘幸式2週間プログラム 朝だけ腸活ダイエット

 

ちなみに小林弘幸さんの本はすでに3冊購入している。

 

紙の本で

『「ゆっくり動く」と人生がすべてうまくいく』

 

Kindle版で

『自立神経を整える 「あきらめる」健康法』

『便活ダイエット』

 

そうなのだ、すでに便秘の本は買っているのだ。

これ以上買うとさすがに買いすぎなので、

購入はやめておいた。

 

ちなみに「ゆっくり動く」の本は、それこそ、

タイトルがすべてを語っているような本なのだけれど、

買ってよかったと思う。

 

で、どういうふうに参考にしたかというと、

「なか見!検索」のコンテンツ一覧の食品のうち

手軽に入手できるものをとりあえず試してみた。

商品名だけはここでわかるので。

 

その結果、ブルガリアヨーグルトLB81と

オールブランのフレークは

いまでは私の定番になっている。

 

普通に売っている特に珍しくない商品だが、

逆に言うと他に類似商品があるので、

今まではあえてこれらを選ぶことがなかった。

 

そのおかげかどうかはわからないけれど、

便秘が少し解消されたように思う。


こういう本の紹介のしかたってどうよ??

と思うけれども、

たったひとつの事柄やフレーズが

参考になるということはあると思う。

 

へたすりゃ買った本より参考になっているかもしれず、

それは「たったひとつ」に集中できるからかもしれず。

 

Kindle版は紙物が増えなくていいけれど

それならばどんどん買っていいかというと

もちろんそんなことはないし、

私の場合、Kindle版は衝動買い率が高いので、

たまにはこういう本の役立て方も

わるくないかもな、と思っている。

 

いま役に立つエンディングノート

2017年の夏、

思うところあってエンディングノートを買った。

 

コクヨ エンディングノート もしもの時に役立つノート B5 LES-E101

 

フォーマットが欲しかったので、

専用のノートを購入したしだい。

 

書いてみてわかったのだけれど、

このノートはいまの私にとても役に立つ。

 

専用のノートなので

どこに何を書くかが決まっており、

まったく使わないページもあれば

記入欄が足りない項目もある。

 

足りないページはどこかというと、

「WebサイトのIDについて」。

もう全然足りない。

 

なので、パソコンで表を作って

プリントアウトして貼り付けている。

これがとにかく役に立つのだ。

 

自分でもびっくりしたのだが、

IDやアカウントというものを

本当にたくさん持っている。

予想以上に持っている。

 

銀行やクレジットカード、

通信関係など生活に密着したものが6件、

パソコンそのものやソフトに関するものが8件、

オンラインショッピング関係が12件、

ブログやSNSその他サイト関係が12件。

 

ちなみにパスワードは「パスワードヒント」として、

私と娘だけがわかる方法で示してある。

 

もう少し減らしてもいいような気もするが、

しばらくはこのままでいることにする。

 

今回、紙物はかなり処分することにしたけれど、

このエンディングノートは紙のまま保管しておく。 

ディスクケースもついているが、

いまのところデータで何か残す予定はない。

 

まだまだ紙物が多いわが家だけれど、

以前に比べるとだいぶ減ってきたし

これからも減っていく予定なので、 

黄色とオレンジのこのノートは

今よりさらに目立つと思う。

 

なので、いざというとき、

すぐに見つけることができるだろう。

 

こういうものはデータで残すより、

リアルに手にとれるほうがいいのではないかと思う。

 

もちろん、娘にもこのノートの存在は知らせてある。

 

Web関係以外のページは

気持ちが盛り上がったときにしか記入しないし

開くこともしないけれど、

逆に言えば、そういう気分のときには

いつもとは違う自分の居場所と時間を

作ってくれる感覚がある。

 

自分がいなくなったあとのことを想像しなから書くことで、

自分のいまの持ち物や生活を俯瞰する位置にいける。

 

自分なきあと何をどうしてほしいのかを考えることで、

自分はいま何をどうしたいのかを確認することができる。

 

いつどういう状況で自分がいなくなるかわからないし、

何をどうしてもそのときに自分はいないのだから、

「すまんが、あとはよろしくねー」

となってしまう部分はあるだろうけれど、

自分でやれることはやっておきたい。