「自分に起こることには、すべて積極的な理由がある」か?
というわけで、
玄侑宗久『まわりみち極楽論』(朝日文庫)
「十七 幸と不幸」のなかの、
「自分に起こることには、すべて積極的な理由がある」
という一節について考えてみたい。

このフレーズをきいただけで、
「そんなことはあるはずない、すべては偶然だ、
 理由を見出すのは勝手な解釈だ」
と思う人もいるかもしれない。

というか、私もそう思っている部分がある。

実際、そうなんだと思う。

だから、もし、こういう考え方をしなくても
日々平穏に暮らしていけるのならば、
この言葉はその人にとって、
あるいはその人のいまの状態にとって
必要ないものだと思う。

しかし、ときにはこの言葉が、
そのときの自分を救ってくれる、
ということがあるのではなかろうか。

玄侑さんいわく、
幸・不幸というのは
喜怒哀楽のような一次感情ではなく、
二次感情だ、と。

つまり、自分の身に起こった出来事に対する
単純な反応としての感情ではない。

ということは、幸・不幸というのは、
起こった出来事じたいじゃなくて、
それを受け止める人生観次第ということに
なりはしないか?という話。

起こるべきことを人間が選べないのなら、
不可抗力的なできごとならなおさら、
楽しく受けとめることができるよう、
心をシフトする。

楽しさが極楽の入り口。

そんなこと言われたって今苦しい、
この事態はどうすればいいのか?
と訊かれるかもしれない。

玄侑さんはここで、
「解決」と「消失」の話を出している。

大抵の人は、悩みや苦しみというのは
解決すべきものだと思っている。

しかし玄侑さんの場合、自分の過去を振り返っても、
解決したわけじゃないというケースが数多くある、
とのこと。

解決したんじゃなければ、どうなったのかというと、
いつのまにか消失した。

言葉を変えれば「気にならなくなった」。

そんなことを言うと社会運動をしている方に
叱られるかもしれないが…と話は続くのだが、
玄侑さんが問題にしているのは
「環境がどうあろうと感じることのできる幸せ」のこと。
もっと言えば「幸せ」ではなく「楽」のこと。

極端な言い方をすれば、
例えば病気で入院している人は、
退院するまで幸せを感じることができないのか、
ということでもある、と。

話は前後するのだが、玄侑さんはこれより少し前で
「幸福」と「楽」との違いについて語っている。
(このブログで2年前の春に書いた
 「れんげ畑」でも触れています)

幸福は飽くまでも欲望の延長。
子孫繁栄とか富とか長寿とか、
自分の外側に求める態度。

対して楽というのは、
そうした求める心が止んで
内側から充足している状態ではないか。

先ほど割愛した「社会運動をしている方に…」
のところで、玄侑さんは具体例をあげて、
それはそれで立派なことであるとして、
「楽」のことを書いておられるのだが、
私が思ったのは、
おそらく「社会運動」に終わりはない、
ということ。
意味がないのではなく、
終わりがないということ。

何か1つのことが、
なんらかの形で「解決」をしても、
問題がゼロになることはない。

この世は自分の思い通りにはいかない。

そのなかでどう心の平安を感じるか…
というところに目を向けた話なのだと思う。

まだまだあれこれ、
11ページにわたって書かれている幸・不幸の話を、
かなり端折ってごく一部だけ抜き出してみたが、
玄侑さんはこの一節を、
次の2つの言葉でまとめておられるのだった。

  自分には「すでに全てが与えられている」

 「全てのことは自分が何かを学び、深まるために起こる」

 
 2015.03.15 Sunday 23:25 50代の健康 permalink  
ヘトヘトの冬から何かを得られるか?
今年の冬は、長かった。
(↑もう過去形にして終わらせてるしー)

年が明けてからも長かった。

 1月は行って、
 2月は逃げて、
 3月は去る・・・

のではなかったのか?

まずは12月。

治療済みの歯が
特に原因もわからず痛くなって、
神経を抜くことになった()。
神経ぎりぎりまで治療していたので、
限界だったのだろうということ。

そして12月下旬、
娘がウィルス性胃腸炎にかかる

1月下旬になると、
私がよくわからない風邪で寝込み、
そのあと娘がインフルエンザ発症。

それが落ち着いたころ、
ヘルニア発症となったしだい。

ちなみに、発症翌日もけっこう痛かったので、
薬を増やしてもらいに病院に行ったのだが、
速効性があるものではないそうで、
まだ1日しかたっていないし、
そのまま様子を診ることになった。
このくらいは痛いものであるらしい。

ついでに帰りがけの買い物で、
ちょっとしたヘマをし、
それがまた不安をよび・・・

なんだかんだで、そんなこんなで、
娘の前でおいおい泣いてしまった。

いったい、何の行いがわるかったのだろうか?

もしかして母の弔い方が足りなかったか?
なんてことも一瞬思いそうになったが、
そんなふうに思われたら
母もたまったもんじゃないだろう。
「え!おかあさんのせい〜!?」
ってな感じで。

 あるいは、私自身に自覚はなくとも、
 深いところで、母の死から
 それなりのダメージを受けているということは
 ない話じゃないとは思う。

ちなみに、風邪で調子をくずしたとき、
寝込んで考え込んで2つの答えを出した

ひとつは「運動不足解消」という
とても単純な答え。

もうひとつは
「世の中いろいろなことがわからない」
ということ。

でも、あいかわらず「理由」を求めてしまうワタシ。

わからないことは不安だから。

次の対策が立てられないから。

しかし・・・

考えてみれば、娘の胃腸炎とインフルエンザは
季節の感染症であり、「なぜ」も何もないわけで。

しかも私はうつっていないわけだから、
むしろラッキーだったと思うべきかもしれないわけで。
(私の風邪も実はインフルエンザだったとか)

歯、風邪、ヘルニアに直接関係は関係はなくとも、
加齢というのがひとつの要素になっているのなら、
それはそれで立派な理由とも言えるわけで。

それ以降も大きなことから小さなことまで
心配事は続いていて、
それらが関連しあって連鎖しているのか、
独立したものがたまたま連続しているのか、
わからずにいる。

で、考えているうちに思いいたった。

欲しているのは理由じゃない。

何かのメッセージに転化したいんだ。

それがまだできずにいるから、落ち着かないんだ。



玄侑宗久『まわりみち極楽論』(朝日文庫)
「十七 幸と不幸」のなかに、
「自分に起こることには、すべて積極的な理由がある」
という一節がある。

次回は、そのことについて書いてみたい。

(つづく)
 2015.03.13 Friday 21:33 50代の健康 permalink  
頚椎椎間板ヘルニア発症中
2月初め、頚椎椎間板ヘルニアを発症してしまった。

発症する少し前くらいから、
首を横に倒したときに痛みを感じるようになっていて、
一応、人並みに肩こりや首こりはあるほうだから、
その延長かなぁ…なんて思っていた。

で、ネットで検索をかけて、
いくつかの体操をしてみたのだけれど、
たぶん、これがいけなかった。
最後のひとおしをしちゃったんだと思う。

ある朝、左肩から左腕のあたりに
これまで経験したことのないような
痛みが生じて目が覚める。

「強い鈍痛」という、矛盾した表現をしたいような痛み。

手持ちの鎮痛剤を飲んでみたが、効果がない。

どうにもこうにも身の置き所がなくて
救急車を呼ぼうかと思ったくらい。

なんとか耐えて、
以前、娘がお世話になった整形外科へ歩いて行く。

レントゲンを撮ってもらったところ、
首の骨と骨の間が狭くなっている…と、
言われたような気がするんだけど、
よく覚えていない。

で、ヘルニアがあるかどうかを確認するため、
MRIのある医療機関を紹介され、
予約をとってもらい、タクシーで向かう。
首固定のカラーをつけて。

MRIの順番を待つあいだ、
処方された薬を飲む。

そして初のMRI体験。

なんだかみょーに眠くて、
ガッタンガッタン聞こえているなか、
3回は寝た。

ふと目が覚めて
「何やってるんだろう私…」
と思ってみたり。

「ここなら熟睡できるかも…」とも。

あとでわかったのだが、
4種類ある薬のうち、
痛み止めの2種類を、
1錠×1日2回飲めばよいのに、
2錠ずつ飲んでしまったのだ。
たぶんその影響だと思う。

MRIが終わったあとも眠かったし、
少しふらついたし。

薬は注意して飲まなくては…!

MRIの結果を聞けたのは6日後。
結局、ヘルニアだったらしい。

原因はわからないとのこと。

ううむ。

ひっこむのに3ヶ月くらいかかるそうだが、
薬の処方と首固定のカラーだけでなんとかなるようで、
手術やリハビリは必要ないらしく、そこは一安心。

最初の1週間くらいは、
それなりに痛みが続いたのだけれど、
だんだんとおさまってきて、
発症して1ヶ月と1週間の現在は、
だいぶラクになって、
いまはほとんど痛みはない。

薬を少しずつ減らしていくということで、
現在、1段階減ったところ。

4月いっぱい
首固定カラーをつけることになるわけだけれど、
夏じゃなくてホントよかったですー。

 でも、そろそろ髪を切りに行きたいなぁ…

ちなみに首固定のカラーが水色で目立つので
伸縮性のあるモノトーンの生地で
姉にカバーを作ってもらったのだが、
単独でも太めのネックウォーマーに見えるし、
マフラーをすればほとんど違和感がないので、
こちらか言わないとカラーとわからず、
逆に、「実は首のヘルニアになっちゃってねー」と
こちらから報告をする状況になっている。

こりゃ目立ったほうが話がはやいかしらん!?

ちなみに、水色の本体に水色のカバーがついているのだが、
けっこう汚れる。

病院で購入したとき、
ガーゼなどをはさむとよいという
アドバイスがあったので、
うちではミニタオルを巻いている。

カバーの替え、売ってないかな?

・・・じゃなくて、
これが一時的なものですむようにしたいよーー

とはいえ、原因不明だと、
対処のしようもないのだけれど。

少なくとも、
自己判断で余計なことをすることはやめよう、うん。
 
 2015.03.11 Wednesday 10:16 50代の健康 permalink