やるべきことは「順番」にどんどん仕上げる
枡野俊明『心配事の9割は起こらない』(三笠書房/2013年)
からもうひとつ、
「今日やるべきことは、今日やる」
をのぞいてみることにする。

(要約ではなく、私なりに順番をかえて書きます。)

ここには、
「人生を窮屈にしないための極意」
という副題がついていて、
やはり「仕事」を例にとって話が進んでいく。

枡野さん自身、住職であるとともに
庭園デザイナーであり、大学の先生であり、
本の執筆もされているのだから、
多忙をきわめる毎日だと思うのだが、
「時間が足りない」「時間に追われている」
という感覚はないのだそう。さすが禅僧。

葬儀はいつ入るかわからず、
最優先で取り組むべきことなので、
その間ほかの仕事はできない。

で、何かの仕事を中途半端なかたちで残しておくと、
再びその仕事にとりかかったとき、
流れが途切れているため、きわめて効率がわるくなるので、
長期間にわたる仕事の場合は、
「ここまでは今日やる」と決めたら、
必ず、その日のうちに決着をつけるようにしているとのこと。

先延ばしにしたからといって、
その仕事をしなくてすむわけではない。
いずれ必ずしなければいけない。
しかも、時間はどんどん窮屈になる。

  なるほど〜〜
  
とにもかくにも、
今日なすべきことは、今日やってしまう、
これが時間に追われないための、
時間を窮屈にしないための秘訣であり、
これ以上ない極意、
と枡野さんは書いておられる。

そうは言ってもなぁ...
と弱音を吐いてしまいそうになるのだが、
私が「なるほど」と思ったのは
次の言葉だった。
 いただいた仕事は、手がかかるとか、ラクにできるとか、そういう基準でなく、「順番」にどんどん仕上げてしまう。それが私の流儀です。
(p.121)

「いただいた仕事」ではなくても、
この「順番に」という発想は、
自分にも有効かもしれない。

そうなると、小池龍之介を思い出す。
『考えない習慣』に、
「計画する」というコラムがあったのだ。
http://sukkiri.artet.net/?eid=1407335

考えないのに計画するとはこれいかに?と思うが、
要は、実行するときにいちいち考えなくてすむよう、
最初に計画しておく、ということ。

つまり、計画した通り「順番に」やればいい、
ということになろうかと思う。

思えば、「次に何をしよう」と考えることも、
小さなひと仕事であり、
これって重なるとけっこうな負担なのかもしれない。

「あ、これ面倒だな…」と一瞬思ってあとまわしにすると、
結果的に「面倒だな…」を何度も感知することになり、
それだけで余計なエネルギーを消費してしまうのかもしれない。

何がどう「順番」なのかは、
やることによって違ってきそうだから、
やっぱり「計画する」のがいいのかな。

締切があるような仕事は
もともとそうせざるを得ないので、
むしろ、特に締め切りなどはないけれど、
できればやりたい事柄について計画を立てておき、
それを順番にやっていくと、
意外とこなせるのかも…と思うことであった。

って、結局、おんなじこと
何度も思っているような気がするしー

こんなときは、あの言葉を思い出そう。(

“禅では「実践」をもっとも重んじています“

“禅は「行動」です”

私は「禅」をしたいわけではないが、
禅僧の言葉から何かを得たいのであれば、
禅がいうところにしたがわなくては
それは得られないだろう。

ちなみにいま、
玄侑宗久『禅的生活』(ちくま新書)を
また読んでいるのだが、
やっぱり面白いねぇ〜!
(枡野さんの本とはかなり雰囲気が違います)

こちらにも禅語がいっぱい出てくるのだけれど、
玄侑さんが言うには、
禅僧は自ら詩を作ったり文章を書いたりするほか、
古今の文献や詩人の詩などから
非常に恣意的に引用することがあるそうで、
それも「禅語」と呼ばれていて、
いわば盗用がじつにうまいのだそう。

だから、言葉の出典は“むちゃくちゃ多様”であるらしい。

ちなみに最初に出てくる「無可無不可」は
孔子の『論語』からもってきた表現で、
『論語』は禅とはまったく違う人生観を提示する体系だけど、
禅は、佳いと思った言葉は
どこのものでも使ってしまう貪欲さに溢れているのだそう。

その貪欲さをこそ、見習いたいと思うのであった。うん。
 2014.04.12 Saturday 11:43 枡野俊明 permalink  
「余計なことを調べない」
枡野俊明『心配事の9割は起こらない』(三笠書房/2013年)
を読んでいる。

ひとつ前の記事で、
今回の収穫となった 項目名 or 副題 を抜き出したが、
その中の「余計なことを調べない」について、
もう少し中身を読んでいくことにする。

この項目には、
「情報の″暴飲暴食”はやめる」
という副題がついている。

たとえば健康のためになにかをしようと考えたとき、
「ちょっと情報を集めてみるか」と
ネットで検索をすると、
すさまじい量の情報が押し寄せてくる。

その結果、あまりにも選択肢が多すぎて、
判断に迷ってしまう、判断に自信が持てなくなる。

つまり、
有り余る情報が判断力を弱めている
(p.72)

これについては、耳が痛い私。
わかっちゃいるけど、
ついついなんでも調べてしまうのだ。

また、「調べる」ことをしなくても
むこうから情報がやってくるというのが常。
なので、かつてこんな記事を書いたこともある。
「情報量」と「判断力」
(※信じられない読み間違いに
  触発されて書いたものだけど!)

だから一概に「調べないほうがいい」
とは言えないと思うのだけれど、
要は、次のような調べ方をしない、
ということなんだろうと思う。
 どんなにたくさん情報を集めたって、″したいこと”も″生き方”も見つけることはできません。
(p.73〜74)

これは「仕事」を例にとって説明がなされている。
おそらく、就職・転職先を決めるために
会社案内や求人情報などを
いっしょうけんめい調べている様子が
想定されているのだと思う。

“したいこと”や“生き方”は、自分の心の中に見つけるしかない。
そのためには、じっくり腰を据えて考えることが必要であり、
つまりは「心の置きどころ」をしっかり定めることだ、と。

情報は″迷い”のもとにもなる、と枡野さんは書いておられる。
情報がありすぎるからかえって、
心をどこに置いたらよいかわからなくなる、と。

家業を継ぐのがふつうだった昔と違い、
いまは仕事や生き方の選択肢が多く、
そのぶん、いたずらに迷い、不安にさいなまれる。

もちろん、選択肢が多いことは可能性を広げるが、
選択肢は絞り込むことが重要。
 
「心の置きどころ」を定めるということに力点を置いて、そのために必要と思われる情報だけを集め、選択肢を広げる、というふうに考えたらどうでしょう。
(p.75)

つまりは、漫然と調べるのではなく、
いま自分にとって何が必要か、
その目的意識をしっかりもって情報を集めるべし、
ということなんだと思う。

あと、情報を集めたら、
いったん遮断する時期をもつ
というのも大事なんだろうと思う。

(つづく)
 2014.04.10 Thursday 10:01 枡野俊明 permalink  
枡野俊明『心配事の9割は起こらない』(三笠書房/2013年)
枡野俊明『心配事の9割は起こらない』(三笠書房/2013年)
を購入。

タイトルにもっていかれちゃった感じ。(^^;

枡野さんの本には以前にも接触があり、
得られるものは確実にあるだろうと思ってはいたが、
他にもたくさん本を出されているので、
Amazonのレビューでどなたかが言っていたように、
書店で比較するか、
いったん図書館から借りて確かめてから、
自分に最適と思う1冊を見つけたほうがよかったかもしれない、
と思いつつ読んだ。

というのも、途中で、
「あ、この本、ビジネスマン向けのウェイトが高いかも…」
と感じたから。

そう思った直後、″マン”ってありかしら?
でも、キャリアウーマンとか
ワーキングマザーという言葉はあっても、
ビジネスウーマンってきかないなぁ…と思いきや、
枡野さんは文中で、「ビジネスパーソン」
という言葉を使っておられた。

普通に「働く人」といってもいいのだが、
その働く場所が、企業あるいは
比較的大きな会社組織で、
競争や定年があるような、
そんな環境のなかで仕事をしている人たちを
想定している印象が強い。
(私がリアルに想像できない場面が多くて、
 そういう印象が強まってしまったのかもしれない)

というわけで、自分にはもっと適した枡野本が
他にあったのではないかという気もしているが、
もちろん、私もこの本から得られるものはあるわけであり、
そこに的を絞って、感想を書いてみようと思う。

思えば、ここに書いてあることは、
これまで別の人から、
事柄によっては同じ人の別の本から
もうさんざん話してもらったことだという気がする。

それでもまだ同類の本を手にするのか!?と
自分でも思うのだけれど、
同じことでも使われる言葉は違うわけであり、
同じことをいろんな人からいろんな言葉で伝えてもらって、
それがやがて自分のものになっていくのを期待して、
新しい本を手にしているのだと思う。
ときには、集約された一言に出会うこともあるし。

枡野さんは禅僧だから、
「禅語」が、その集約された言葉なのだろうが、
自分の場合、禅語が禅語のまま深みをもって
身体に入っていくという状態ではないので、
なにかしら言い換えてほしいと思うわけなのだ。

そういう集約された一言は、
それを思い出すだけで力になってくれることが
あると思うので。

で、以前、手にした枡野さんの本もそうだったけれど、
この本でも、それぞれの項目名と副題が、
集約された言葉になっていると思う。

項目名のほうがピンとくる場合と、
副題のほうがピンとくる場合があるので、
適宜どちらかを選んで示すと、
次のような事柄が、今回の収穫といえそう。

・ 「どうにもならないこと」に心を注がない
・ 「あたりまえ」を見直す
・ 落ち込んでもいい、でも早く立ち直ろう
・ 余計なことを調べない
・ 大事な判断を夜中にしてはいけない
・ 人の才能をうらやむ前にやるべきこと
・ 言葉には、恐ろしいほどのパワーがある
・ 今日やるべきことは、今日やる
・ 誠意のある「沈黙」をしよう
・ 家の中の″空気”を変える
・ 毎日10分、自然に触れる
・ 「過干渉」が心配のタネとなる

ちなみに、項目名でも副題でもないが、
いちばんの胸に響いたのは、
文中で数回出てきた、次の言葉だった。
禅では「実践」をもっとも重んじています。
(p.68)
 繰り返しになりますが、禅の本質は「実践」にあります。
(p.203)
 禅は「行動」です。
(p.211)


(つづく)
 2014.04.07 Monday 17:36 枡野俊明 permalink  
「起こっていないことで悩まない」

禅、シンプル生活のすすめ』(枡野俊明) 
を読んでいる。

もうひとつ、タイトルだけでハっとさせられて、
この言葉をおぼえておきたいなぁと思ったのが、
「32 起こっていないことで悩まない」という項目。

ほんと、返す言葉がありません。
起こっていないことであれこれ悩んでいるんだよな、日々。
起こったらどうしようって。

で、それを、実際に起こったときの
具体的な準備につなげられれば
意味があると思うんだけど、
往々にして、「そうなったらどうしよう〜〜」と
不安に思っているだけか、
あるいは準備のしようのないものであるか、
なのであり。

ちなみに本文は、達磨大師と慧可のやりとりで、
「不安に実体はない」ということが語られている。

不安になるということは、
実体のないものに執着しているということ。

不安はそこにあるものではなく、
自分が作り出している。
それにとらわれているってことですね。

起こっていないことで悩む必要はなく、
今起こっていることだけ考えればよい。

なるほど、仏教が説く基本は、
執着を捨てることであり、
「今」に集中することなんだな。

ただひたすらに、今を生きる。

という言葉が、最後の項目である
「100 「今」「このとき」に力を出し切る」
に書いてある。

 2011.11.24 Thursday 09:21 枡野俊明 permalink  
「変わることを恐れない」

禅、シンプル生活のすすめ』(枡野俊明) 
を読んでいる。

この本には100の項目が書かれてあるのだが、
それぞれのタイトルは基本的に
「何をやるか」「何をやらないか」
という形で書かれてあるので(例外も少しある)、
結果的に、タイトルだけで面白いところと、
タイトルよりも内容が面白いところがある。

たとえば前回の「37 人と比べない」も、
「物事は、続けることだけが難しい」のほうが、
言葉としては含蓄があるので、
思い出すならばこちらの言葉のほうがいいと思うのだが、
これでは具体的に何をすればいいかがわからない。

あるいは、「くり返しの中に学びがある」
でもいいのかもしれないが、
やっぱり何をすればいいのかがわからない。
「何事もくり返す」と書くわけにもいかないだろうし。

で、身の丈というところに焦点をあてて、
具体的に行為として表すと、
「人と比べない」ということになると思うのだが、
なんかこのタイトルだと、ピンとこない。

というわけで、この項目は、
私にとってはタイトルよりも内容が面白いものだった。

一方、タイトルだけでハっとさせてもらえたのが、
「46 変わることを恐れない」という項目。

そう・・・人間って、
単調なことの繰り返しや
新しさのない毎日には退屈してしまって
「変化」を求める生き物であるように思えるけれど、
実のところきっと、変化することは怖いのだと思う。
特に、年齢が上がるにつれて。

ちなみにこの項目の副題は「過去への執着を断ち切る」、
本文の見出しは「変化するから美しい」となっている。

「変わることを恐れない」ことは、
仏教の根本動機につながる話であるように思うのだが、
「変化するから美しい」となると、
一段階上というか、プラスアルファなものを感じる。

で、変わるから美しいものの例として
桜の花のことが書いてある。
確かにこのプラスアルファの感覚は日本っぽい。

しかし、日本だから
そういうプラスアルファがあったというわけではなく、
禅が到来してその思想が広がってから、
はかないがゆえに美しいという無常観が日本に定着した、
と言われているらしいのだ。

いまはまだ話が壮大すぎてとても考えられそうにないが、
仏教や禅が日本にどう根づいていったのか、
「空」や「無」の捉え方がどう変化していったのか、
そのあたりについてもいずれ考えてみたいなぁと
思っているのだった。

年齢の変化や環境の変化を恐れない、
柔軟な心で変化を受け入れ、変化を嘆かず、
その変化の中に新しさや美しさを見つけていく。

これは、最初に書いた
毎日同じことをするから、変化がわかる。
にもつながっていくことなんだろうな。

 2011.11.23 Wednesday 08:40 枡野俊明 permalink  
「物事は、続けていくことだけが難しい」
禅、シンプル生活のすすめ』(枡野俊明/三笠書房) 
を読んでいる。

次にはっとしたのは、「37 人と比べない」のところ。
副題は「今の仕事が自分に向いていないと思うとき」、
本文の見出しは「物事は、続けていくことだけが難しい」
となっている。

いや、人と比べてどうこうということではなく、
ちょうどタイミング的に、
「引き受けて失敗しちゃった」という
仕事をしている最中だったのだ。
結果的には、こちらの要望に応える形で
先方がよい案を出してくれて、
結果オーライになったのだけれど。

そういうこともあって、
「さすがにこういう仕事(のしかた)飽きてきたなぁ」
なんて思っていた私。

そうしたら、本の中にこんなフレーズを発見。

もし、自分には向いてないと思いつつ月日が経っていくとしたら、それは向いているということではないでしょうか。
       ドキッ

枡野さんは、
続けることでしか得られないものも確かにある、
と書いておられる。

僧侶の修行は毎日同じことのくり返し。
そのくり返しの中にこそ「学び」がある。

始めるのは勢いがあればできる。
終わるのも簡単。
ただ、続けていくことだが難しい。

  うーむ・・・

始めるのには勇気や勢いが必要で、
終わるのにも勇気や勢いが必要で、
そちらのほうがアクションに思えるから、
だらだら続けることのほうが
惰性のように思えることもあるけれど、
確かにこう言われてみるとそんな気がしてくる。

そしてこの項目は、
次のように締めくくられているのであった。

最終的には自分の身の丈に合ったことのくり返しが幸福につながっていくものなのです。

自分を知るってことはつまり、
身の丈を知るってことなのかもしれないなぁ。

これを、先日の「もうひとりの自分に気づく」と
あわせて考えると・・・
どういうことになるんだろう?
 2011.11.22 Tuesday 09:11 枡野俊明 permalink  
野菜断食、裸足の生活。

禅、シンプル生活のすすめ』(枡野俊明) 
を読んでいる。

これまで考えたことがなかったけれど、
ちょっと実践してみようかな?と心が動いたのが、
「12 野菜断食のすすめ」と「17 裸足で生活してみる」。

まず、野菜断食については、
「1週間に1日くらい、野菜だけで過ごしてみては?」
と書かれてあり、なるほど、ずっとは無理でも
週1ならなんとか実践できるかもしれないと思った。

また、裸足での生活については、
本では、爽快感のことと
草履や下駄を履くとツボが刺激されるという話が
書いてあるのだが、
それとは別の理由で心惹かれた私。

それは何かといえば、
家の床のほこりやべたつきがわかりやすいということ。

現在、全面フローリングの生活をしており、
マット類も使っていないので、
夏でもスリッパを履いており、
そうなると、家の中の汚れに気づきにくいということに
気づいたのだ。

裸足で生活をすると、足の裏の感触で、
家の中をきれいにしようという意識が高まる気がする。

また、足の裏で床をつかむようにしっかり歩く感じも
いいかもしれない。

とはいえ、冬場は靴下、スリッパはもちろん、
家の中でもハイソックスやレッグウォーマーが
欠かせない私が、
これからの季節を裸足で過ごせるのどうか、
まったく自信はない。

慣れたら風邪をひかなくなるかもしれないが、
そこまでいけるかどうか・・・

なお、著者の年齢になると、
さすがに真冬は足袋を履くとのこと。ですよね。

野菜断食にしても裸足の生活にしても、
いますぐ実行!というところまではいかないが、
とりあえず心にとめておこうと思った。

そういう日をもってみる、
そういう時間をもってみるだけでも、
新鮮な感覚が得られるかもしれない。

 2011.11.19 Saturday 14:28 枡野俊明 permalink  
毎日同じことをするから、変化がわかる。

禅、シンプル生活のすすめ』(枡野俊明) 
を読んでいる。

項目は全部で100あるが、
まず、「なるほど〜」と思ったのは、
「3 朝の空気をしっかり味わう」のところ。

見出しだけ読むと、
早起きのすすめのように聞こえる。
でも、その内容にハっとした。

毎日同じことを繰り返しても、
1日として同じ日はない、ということ。
朝は、「変化」をしっかりと感じることができる時間で
あるということ。

という話をきいて思い出したのは、
別ブログで書いた
アサガオのお世話でいちばん感じたことだった。

そうそう、確かに毎日同じことをすると、
「変化」を感じやすい。
(早朝ではなかったけれど)

植物のお世話をしなくても、
寒くなったとか、日が短くなったとか、
大まかな季節の変化は感じることができるが、
お世話をして感じとれる太陽高度の変化は、
思った以上にスピーディで差があるものだった。

また、季節の移りかわりや自然の変化だけではなく、
自分の心身状態などの変化も
感じ取りやすいだろう。

これについては、「47 変化に「きづく」」に書いてある。

規則正しい生活は、変化のない単調な毎日ではなく、
変化を敏感に感じとれる生活なんだなぁ。

 2011.11.18 Friday 13:09 枡野俊明 permalink