1980年代、ポストモダン花ざかりの意味
2つの真理1点の曇りデカルトのしごとニュートンのしごと理性の時代“真理”から“規約”へ物理学の革命真理の相対主義視る主体平行線が交わる世界変えても変わらないことじゃんけんと<構造>ヒルベルトのしごとブルバキというグループ知的伝統のなかから現われた内在的な批判日本の場合
 


(きのう読んだのは「あとがき」ではなく、
「第五章―結び」でした。)

橋爪大三郎さんは、
日本の1980年代における
降ってわいたような
ポストモダンの花ざかりについて、
こんなふうに考えている。

思想が体制を支えるにしても、
批判するにしても、
とにかく“重い”課題をひきずっているのは
あきあきだ。

そういう課題は、近代主義に、
どうしてもついてまわるものである。

だけどそろそろ、もういいんじゃないか。

近代主義に刺さった良心の棘(構造主義)も
ポスト構造主義といっしょに抜けてしまったことだし。

思想なしでも、体制は十分しっかりやっている。
これからも、やっていくだろう。

いまどき思想をもつなんて、
人生の足手まといになるだけだ。

近代主義はもう、なしですまそう。

戦後思想を屑払いに出そう。

既成の権威やしがらみと関係なく、
自分たちの考えたいこと、
気に入ったことだけを
考えればいいんじゃないか。

こういう密かな思いが噴き出して、
ポストモダンが人びとに迎えられたような気がする…と。

1964年生まれの私は、
まさにそのとき、大学生だった。

学内でそれなりに
各種左翼的活動は見られたが、
全盛期という感じはしなかった。

また、浅田彰が
大学祭に呼ばれていた記憶があるし、
(栗本慎一郎だったっけ?)
時期は前後するが、友人との会話で、
吉本隆明、岸田秀、栗本慎一郎は
名前が出てきた記憶がある。

以前も書いたが()、
なんてしあわせで、
そしてある意味とんでもない時代を
生きてきた自分なんだろう・・・
と思う。

高度経済成長期に
小・中学生時代をすごし、
ポストモダン花ざかりの時期に
大学生時代をすごしたわけなので。

「バブルの落とし子」といわれたことも
あったような気がする。

そんな私にとって
橋爪大三郎さんの指摘は
けっこう、あたっていると感じられる。

既成の権威やしがらみと関係なく、
自分の気に入ったことだけをやり、
自分が考えたいことだけを考えていたい私。

その一方で、
構造主義の影響も確かに感じるのだ。

なおかつ、地に足はつかないまま
そこはかとなく、しかし確実に、
おのれのなかに浸透している
近代主義のようなものもある。

そうするとどういうことになるかというと、
「権力」を骨身に感じたことがないまま、
「権力からの自立」を願う。
そして、その「権力」は
外部にないということもわかっている。

さらに、
自分は大して主体的に生きているわけじゃない、
それは原理的に不可能だということを
わかっていながら、
どうしても自分なりの生き方がしたいと願う。

結果、
「自由を追い求め続ける“肉袋”()」
となる。

『はじめての構造主義』にもどると、
橋爪さんはさらにこう続ける。

先のような流れで
ポストモダンが人びとに迎えられたことは、
日本社会の成熟に違いない。

ひとりひとりが、
大切にしたい自分の個人生活を持っていて、
社会の現状もそれなりの自信を抱いている。

中途半端(けっこうインチキ)な
知的権威が通用していた、
戦後思想の風景にくらべれば、
ずうっとまし、と言える。

でもね、私はこんなふうにも考える...と話は続く。

なるほど、ポストモダンもいいだろう。
しかし、いくらこれまでの思想に
関係ありません、という貌をしても
そうは問屋がおろさない。

やっぱり思想は思想である。

そして思想たるもの、
これまで幅を利かせていた思想に
正面から戦いをいどみ、
雌雄を決する覚悟でないと、
とてもじゃないが自分の居場所を
確保することすら覚つかないはずだ。

どうも(日本の)ポストモダンは、
旧世代の思想と
まるで対決していないんじゃないか。
それをすませないうちは、
またぞろ日本流モダニズムの焼き直しなんだか、
知れたものではないぞ、と。

この本の発行は1988年なので、
あれから20数年たっており、状況は変わったので、
橋爪さんもいまなら別のことを言うかもしれないが、
それを脇においといて思うことは、
「旧世代の対決」という形で、
問題を自分の外部に置いていては、
何も解決しないのだろうということと、
そもそも「自分の居場所」の“自分”を
解体したのが構造主義ではなかったのか、
そしてすでにその構造主義を知っているのが
現代を生きる私たちではないのか、ということ。

こうなると、
「外部をもたない言説空間」について
考えなくてはならなくなるだろう。
(別ブログ>
 マルクス主義、構造主義、エコロジー (2)

橋爪さんの言葉はまだ続くが、
この先の話は、
別の本を読みながらまた考えたい。

というわけで、
『はじめての構造主義』については
ここで一区切りです。
 2013.01.11 Friday 11:24 橋爪大三郎『はじめての構造主義』 permalink  
日本の場合
2つの真理1点の曇りデカルトのしごとニュートンのしごと理性の時代“真理”から“規約”へ物理学の革命真理の相対主義視る主体平行線が交わる世界変えても変わらないことじゃんけんと<構造>ヒルベルトのしごとブルバキというグループ知的伝統のなかから現われた内在的な批判
 


そんなふうにして、構造主義は、
ヨーロッパの圧倒的な知的伝統のなかから
生まれるべくして生まれたものだった。

その構造主義は、
ヨーロッパの知のシステムを支える
重要な部品を打ち壊してきた。

1つは、テキスト。

テキストの権威を確立してこそ
知のシステムも安定できるというものだが、
構造主義はテキストよりも
「××を読む」という態度のほうを上位においてしまう。

同じテキストも読みようでどうとでも読めるし、
誰でも(筋さえ通っていれば)自分流に
読んでかまわない、という姿勢をとる。
(このことに関しては、本の前半で
神話分析の説明がある)

また、すでにみてきたように、
主体と、そして真理も打ち壊してきた。

ヨーロッパ世界は、真理の旗を掲げ、
血みどろの宗教戦争に明け暮れ、
国家同士の戦争を繰り返した。

また、科学をうみだす一方で、
インド・中国・そのほか
世界中の国ぐにを侵略した。

そして、近代産業文明を
地球規模で成立させた。

唯一の真理を
ヨーロッパ世界が握っている。

ヨーロッパ世界は普遍的であり、
人類を代表できる。

そんな“真理”の概念を攻撃し、
それはヨーロッパ人の思い上がり(制度)
にすぎないとヨーロッパ人が指摘したのが、
構造主義だった。

さて、では日本の場合どうなのか?

ということを考えるために、
「第五章―結び」にとんでみる。

これまでみてきたように、
構造主義は、近代主義(モダニズム)が
十分に成熟した西欧社会なればこそ
生まれるべくして生まれた。

がしかし、日本の場合、
どうも様子が違っている。

構造主義は反モダニズムの思想なのに、
日本流のモダニズム(舶来のものなら
理屈ぬきに格好いいと思うこと)の
延長上で受容されたふうがある。

おまけに、それを押しのけて流行りはじめた
ポストモダン(ポスト構造主義)にしても
同じみたい。

だから、何も変わっちゃいないのであって、
構造主義やポストモダンの議論をふりまわす本人が、
知的な格闘に縁のない
いちばん古臭いキャラクターを感じさせたり、
ということにもなる、
と橋爪さんは書いている。

そして、日本人に必要なのは、
ポストモダンじゃなくて、
むしろ自前のモダニズムだと思う、と。
(ちなみにこの本の第一刷発行は1988年)

仲正昌樹に言わせると、
このような言い回しをするのはたいてい、
かつての丸山眞男ファンであるらしい。
『集中講義!日本の現代思想
―ポストモダンとは何だったのか―』
のp.53)
(補足>丸山眞男のことについて

仲正昌樹の議論はひとまずおいといて、
橋爪大三郎の考えの先を読んでいくと、
日本のモダニズム(近代思想)は
主として明治期に、政府(国家権力)が
外国から導入したものであり、
このこと自体、グロテスクなことだ、
と話は始まる。

何しろモダニズムはもともと、
権力から自立をはかるべく
市民階級が自分たちの手で
うみだしたもののはずだから。

それでも時間をかけて
市民社会の常識として定着すれば
まだよかった。

がしかし結局そうはならず、
土着の要素もふんだんに吸収した
天皇制という奇妙なものに育ってしまった、と。

で、権力に対抗するモダニズム本来の面目を
日本の保つ役回りになったのは、
マルクス主義である、と話は続く。

しかしマルクス主義は
近代主義としては変則的なもので、
結局、戦後の体制を支える人びとは
そこから一線を画すほかはなく、
それに代わる思想もなかった。

そうこうするうちに
マルクス主義もだんだん調子が悪くなって、
それにかわって60年代から70年代にかけて
構造主義がじわじわ力をのばし始めるのだが、
構造主義は近代主義じゃないし、
しかも現代社会の分析は苦手ときているから
ほんとうのいみでそれにとって代わることはできない。

もともと地に足のついたモダニズムがないところへ
対抗モダニズム(マルクス主義)まで
なくなってしまった。
これでは思想の真空状態みたいなもの。

どうやってものを考えたらいいのか
なんの手がかりもない。
だから、70年代を通じてみんな悩んだ。

ところが、80年代に入ってしばらくすると、
急に降ってわいたような、
ポストモダンの花さかり。

とにかく出版界も思想界も
いっぺんに様変わりしてしまった。

これがどういうことなのか、
もうしばらく経たないとはっきりしないが
とりあえずこんなふうに考えてみたらどうだろう、
と橋爪さんは話を続ける。

(つづく)
 2013.01.10 Thursday 08:48 橋爪大三郎『はじめての構造主義』 permalink  
知的伝統のなかから現われた内在的な批判
2つの真理1点の曇りデカルトのしごとニュートンのしごと理性の時代“真理”から“規約”へ物理学の革命真理の相対主義視る主体平行線が交わる世界変えても変わらないことじゃんけんと<構造>ヒルベルトのしごとブルバキというグループ



橋爪大三郎『はじめての構造主義』を、
そのルーツとしての
数学の<構造>とのつながりをみるために、
部分的に読んできた。

もう一度、遠近法からの流れをおさらいすると・・・

遠近法は、
ひとりひとりの視点(主体)からみた世界を
忠実に表現しようとする方法だった。

そこでは、主体とか、客観とか、
認識とかいうことが、
十分な意味をもっている。

ところが、遠近法をヒントに
射影幾何学が登場すると、
ここでは視点は一定せず、
あちこち動き回る。

視点(主体)の差異が無視されることで、
対象の<構造>が
浮かびあがる仕掛けになっている。

<構造>は、
ひとりの主体(視点)が自分にこだわって、
世界を「認識」しようとしているあいだは
現われてこない。

この射影幾何学の体系化をきっかけにして
数学における構造主義が誕生した。

レヴィ=ストロースは、
主体の思考
(ひとりひとりが責任をもつ、理性的で自覚的な思考)
の手の届かない彼方に、それを包む、
集合的な思考
(大勢の人びとをとらえる無自覚な思考)
の領域が存在することを示した。

それが神話である。

神話は、一定の秩序---個々の神話の間の
変換関係にともなう<構造>---をもっている。
この<構造>は、主体の思考によって
直接とらえられないもの、“不可視”のものだ。

というのが、橋爪大三郎『はじめての構造主義』の、
構造主義のルーツのまとめの部分にあたる。

レヴィ=ストロースがあつかった数学的構造は
代数的な<構造>だったけれど、
幾何学の話をからめることで、
話がとてもわかりやすくなっていると感じる。

と、ご本人も言っている。
幾何学の<構造>にも話を広げてみれば、
構造主義の方法のなかで
主体が消えていく理由がよくわかる、と。

そして、遠近法のそのまえの、
ユークリッドの話から考えて、
“真理から規約”へという流れを加えれば、
さらに話が立体的になっていく。

ヒルベルトのしごとのところで
遠山啓という数学者の名前を出したが、
この人は数学の歴史を大きく4つの時代に分け、
それを区分する著作は、
いつも幾何学に関するものであることを示している。
(別ブログ>
数学の時代区分の境い目に、いつも幾何学があること

つまり、数学史の
古代、中世、近代、現代の4つの時代を

・ユークリッドの『原論』
・デカルトの『幾何学』
・ヒルベルトの『幾何学基礎論』

が区分している、と。

言い方を変えれば、
ユークリッドの『原論』から中世が始まり、
デカルトの『幾何学』から近代が始まり、
ヒルベルトの『幾何学基礎論』から
現代が始まった、ということになる。

ここで出てくる幾何学の著作すべてが、
これまでみてきたように
構造主義に関わっている。

それはすなわち、
「真理」の歴史であり、
「世界のとらえかた」の歴史であるように思う。

その歴史に数学が深く関わっているということ、
つまり数学と哲学との深い関係は、
(文言自体は)ごくあたりまえの常識だと思うが、
近代まではともかく、現代以降は、
「ときどき思い出さないと忘れてしまいそうになること」
になっているのではなかろうか。

それからもうひとつ、
構造主義自体は、
ヨーロッパの長い長い歴史をふまえ、
そのなかから、
生まれるべくして生まれたものだった、
ということも印象深い。

橋爪さんも似たようなことを書いているが、
ヨーロッパの哲学者・思想家たちは、
基本的に数学に強いのかもしれない。
もしかしたら、むかしとさほどかわらず、
哲学と数学の境目が、
あまりないのかもしれない。

やはりヨーロッパには、知的なものについて、
圧倒的な歴史の厚みがあるだろう。

その圧倒的な知的伝統の内側からの批判が、
構造主義というものだったのだなぁ、
とあらためて感じている。

(つづく)
 2013.01.08 Tuesday 12:33 橋爪大三郎『はじめての構造主義』 permalink  
ブルバキというグループ
2つの真理1点の曇りデカルトのしごとニュートンのしごと理性の時代“真理”から“規約”へ物理学の革命真理の相対主義視る主体平行線が交わる世界変えても変わらないことじゃんけんと<構造>ヒルベルトのしごと



ブルバキという数学者のグループがある。

いまでこそグループといえるが、
この名前が登場したときには、個人名だった。
(個人のふりをして活動していた)

 その経緯については、
 ウィキペディアの二コラ・ブルバキをどうぞ。

ヒルベルト同様、
とても影響力のあった人たちで
いまの数学者は
ほとんどがブルバキの影響を
受けているのだろうと想像している。

この人たちこそが、
数学に「構造(structure)」を持ち込んだ、
直接の当事者だと私は理解している。

なお、ブルバキについて
おおまかなことを知るためには、
次のページがわかりやすいです。
http://www.ms.u-tokyo.ac.jp/
~t-saito/jd/bourbakib.pdf


このブルバキの中心メンバーだった
アンドレ・ヴェイユが、
(現代思想としての)構造主義の祖である
レヴィ=ストロースの協力者だった。

つまり、思想としての構造主義は、
そのルーツとして数学の<構造>を
もっているということが、
ここで具体的に示されることになる。

その内容について、橋爪大三郎さんは、
「カリエラ型の婚姻規則」を例にとって
説明している。

詳細は割愛するが、ひとことでいえば、
オーストラリアの原住民の結婚のルールが
「群」の構造とまったく同じものだという話。

「群」というのは、先の代数的<構造>
基本、中心となる概念。

レヴィ=ストロースは、
実際にアンドレ・ヴェイユと交流があったので、
きっと現代数学の話を聞いただろうし、
当のアンドレ・ウェイユが、
レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』の
第十四章「第一部補遺」のなかで、
数学付録を書いているらしいのだ。

「未開」社会の人びとは、
まさか現代数学を知っているわけじゃない。
また、文字や数字のような記号も使わない。
けれど、彼らの思考は、
数学とおんなじ論理で動いている。

ヨーロッパ社会が、
先の「群」にたどりつくまでに、
短くみても2000年はかかったのに、
オーストラリアの原住民の人びとは、
誰に教わらないでも、
ちゃんとそれと同じやり方で、
大昔から自分達の社会を運営している。

先端的な現代数学の成果とみえたものが、
「未開」と見下していた人びとの思考に
先回りされていたということになる。
 これはひとつの実例になる。人間の思考は一直線に進歩していく、と考えるのがあまりにも単純であることの。もしかすると、人間の思考のレパートリーはあらかじめ決まっていて、それを入れかわり立ちかわり、並べ直しているだけなのかもしれない。歴史をしっている文明社会は、ただなにかのはずみで、それをストックしていっただけなのかもしれない。
 こうレヴィ=ストロースは考えてみた。そして、それを証明しようとした。神話こそ、人間の思考のレパートリーの宝庫であろう、と見当をつけて。
 (p.181〜182)

そしてこのあと、
神話の<構造>の話になっていくのだが、
それは省略して、
もう一度、遠近法からの流れをたどってみたいと思う。



橋爪大三郎『はじめての構造主義』
を参考に書いていますが、
要約ではなく、自分の言葉を混ぜて、
ときに順番をかえて、我流にまとめています。

(つづく)
 2013.01.06 Sunday 09:29 橋爪大三郎『はじめての構造主義』 permalink  
ヒルベルトのしごと
2つの真理1点の曇りデカルトのしごとニュートンのしごと理性の時代“真理”から“規約”へ物理学の革命真理の相対主義視る主体平行線が交わる世界変えても変わらないことじゃんけんと<構造>



橋爪大三郎『はじめての構造主義』
を読んでいる。

いま、<構造>←形式主義←射影幾何学←遠近法
という流れの、射影幾何学まで見てきたところ。

次は形式主義で、
ここでヒルベルトという人が登場する。

ヒルベルトについては、
本ではこの少し前ですでに一度名前が出てきている。
公理についてのくだりで(p.149)。>物理学の革命

公理のところでヒルベルトの名が出てくるのは、
公理をきちんと示すことがはやりみたいになったとき
そのうねりの頂点にいた人だから。

ヒルベルトは、
ユークリッド幾何学の公理の与え方は、
一通りと限らない、
別な公理の組み合わせから出発しても
同じ幾何学(定理の集合)を導くことができる、
ということを示した。

橋爪さんは、カントールの無限集合論と
デデキントの実数論という言葉をちょろっと出したあと、
ヒルベルト・プログラム(という名称はナシ)と
ゲーデルの不完全性定理の話を出してきている。

その詳細に立ち入ると大変なことになりそうなので、
どこかにわかりやすい説明はないかとさがしていたら、
ウィキペディアの集合論の後半にある
「数学にあたえた影響」の説明が、
コンパクトにまとめてあると思った。
なお、『はじめての構造主義』でも
もちろんブルバキの名は出てきている。

ヒルベルトについても、有名なエピソードがある。
橋爪大三郎さんは採用していないが、
やっぱりこれがいちばんわかりやすいので
話題に出させていただくと、
ヒルベルトが駅の待合室で
他の数学者と討論したさいに、
「点・直線・平面のかわりに、
机・椅子・ビールのコップと言いかえてもよい」
と語ったというエピソード。

どういうことかというと、
点とは何か、直線とは何か、平面とは何か、
という、「それは何であるか」は問題ではなく、
それらが「いかに関わっているか」が問題だという話。

だから、点・直線・平面のところにそっくりそのまま
机・椅子・ビールのコップという言葉をあてはめても、
証明は成り立つのだ。

そんなふうに、“意味”を考えに入れず、
定理や証明を「記号変形のシステム」として
とらえようとするのが、
いわゆる形式主義ということなのだろうと
私は理解している。

でも、形式主義も、公理主義も(※)
それをよしとする人からも、よしとしない人からも、
誤解されてきたところがあるのかもしれないなぁ・・・
と、他の文献の指摘で感じることがある。

(※)ヒルベルトを語るときには
公理主義という言葉もよく出てくるのだが、
これは日本語らしいということを
林晋さんが書いておられる。
http://www.shayashi.jp/
HistoryOfFOM/papers/wasedakais.html


形式主義も、公理主義も、おそらく、数学を
「“なぜ?”を問えない
(そういうことになっているから、
 としか答えてもらえない)
ルールに基づいた、無味乾燥な記号操作」
にするものではないのだろうと思う。

と、だいぶ話がずれてしまったが、
とにもかくにも、
「構造」という言葉こそ使わなかったけれど、
先の「机・椅子・ビールのコップ」
のエピソードからもわかるように、
ヒルベルトが考えていたことは、
まさに<構造>だった。

“もの”は何でもよく、
問題となるのは、関係の型なので。

ということに関連して、遠山啓という数学者が
ちょっと面白い言い回しで書いているので、
引用しておきます。
われわれをとりまく世界のなかには不思議なくらい,同じ型の関係,同じとまではいかなくとも,類似の関係が存在している。しかも,まるでちがった事物のなかに同じ型の関係が存在しているものである。また,そのような事実が存在していなかったら,はじめから数学という学問そのものが生まれてはこなかっであろう。
 (中略)
物がちがうから,法則の型も一つ一つちがってもよさそうなのに,なぜ同じ法則がしばしば現われてくるのか。造物主はべつべつの現象にはべつべつの法則を与えるのはめんどうなので,同じ型の法則でまに合わせたのだとでもいう他はなさそうである。このように造物主の不精さ(?)から生じたとも思える事実が数学者にとってつけこむスキなのである。
(遠山啓著作集・数学論シリーズ4
 『現代数学への道』/1981/p.37〜38)

よろしければ別ブログのこちらもどうぞ。
無矛盾ならばなんでもよいのか

(つづく)
 2013.01.05 Saturday 09:37 橋爪大三郎『はじめての構造主義』 permalink  
じゃんけんと<構造>
2つの真理1点の曇りデカルトのしごとニュートンのしごと理性の時代“真理”から“規約”へ物理学の革命真理の相対主義視る主体平行線が交わる世界変えても変わらないこと



橋爪大三郎『はじめての構造主義』では、
代数学の<構造>を
「じゃんけん」を使って説明している。

 なお、デカルトのしごとの段階では、
 代数を、方程式で表現できて
 計算できるものと考えたが、
 <構造>とからめて考える代数は
 ちょっと雰囲気が違ったものとなる。

私たちがよく知っているじゃんけんは、
グー・チョキ・パーで構成されていて、
グーはチョキに勝ち、
チョキはパーに勝ち、
パーはグーに勝つことになっている。

これとは別に、キツネ(手を耳に)、
床屋(手をひざに)、猟師(手を前に)
のじゃんけんというものもあるらしく、
キツネは床屋に勝ち、
床屋は猟師に勝ち、
猟師はキツネに勝つことになっているらしい。

また、私はこのたび検索してはじめて知ったのだが、
日本じゃんけん協会なるものがあるらしく、
そのサイトのなかのじゃんけんについてでは
「虎拳」などの説明が書いてある。

とにかく、何か3つの「手」があって、
それが“3すくみ”の状態になっていれば、
じゃんけんは成り立つ。

キツネ・床屋・猟師のじゃんけんを知らない人も、
キツネ→グー、床屋→チョキ、猟師→パー
と対応をつけてやれば、すぐに理解できる。
(覚える必要はあるけれど・・・)

その場合、
「紙は石をつつむから勝ち」という説明は、
あまり関係ないことがわかる。
(覚えやすさの問題はあるけれど・・・)

同じように考えれば、
たくさんのじゃんけんを作ることができる。

こうやってつくったたくんさんのじゃんけんは、
同じ“3すくみ”の<構造>をもつものとして、
ひとつの集合として考えることができる。

射影幾何学のときと同じように、
実際に出すじゃんけんの手の
名前と形が変わっても、
“3すくみ”というお互いの関係性は変わらない。

だから、どこか見知らぬ土地で、
「ピー」「チク」「パー」とそれぞれ書かれた
3枚のカードから1枚を取り出して
相手に見せるゲームに出会い、
「ピーがチクに勝ち、チクがパーに勝ち、
パーがピーに勝つんだよ」と説明されれば、
「ああ、じゃんけんね」ということになる。

グー・チョキ・パーでなくても、
じゃんけんはじゃんけんだから。

こんなふうにして、
代数的な構造というものも
考えられるわけなのだった。

これのどこかどう代数なのか、
私には説明できそうにないけれど、
一般的に代数的構造というものを考えるときは、
集合とそこに定められた演算を扱うので、
この「演算」のあたりが代数っぽいのかな?
と個人的には推測している。
が、この推測があたっているのかどうかは
まったくわからない。



橋爪大三郎『はじめての構造主義』
を参考に書いていますが、
要約ではなく、自分の言葉を混ぜて、
ときに順番をかえて、我流にまとめています。

(つづく)
 2013.01.04 Friday 10:28 橋爪大三郎『はじめての構造主義』 permalink  
変えても変わらないこと
2つの真理1点の曇りデカルトのしごとニュートンのしごと理性の時代“真理”から“規約”へ物理学の革命真理の相対主義視る主体平行線が交わる世界



射影幾何学というものがある。
英語でいうと projective geometry。

ここでいうprojectiveというのは、
いわゆるプロジェクターの
projectなんだろうと思っているが、
本当のところどうなのかわからない。

たとえば三角形のカードをつくり、
これに光をあててスクリーンに影をうつすと、
三角形のカードの傾け方で、
スクリーンにはいろいろな三角形の影を
作ることができる。

もし、カードが正三角形だとしても、
影は正三角形とは限らない。

正三角形とは限らないが、
何かしらの三角形ができる。

つまり、辺の長さや角度は変わってしまうが、
3つの線分で囲まれている図形(三角形)を
うつし出すことができる。

逆にいえば、三角形のカードで
円の影をつくることはできない。

また、懐中電灯で暗い地面を照らすと、
円のほかに、楕円や、
他の形も作ることができる。
でも、三角形に照らすことはできない。

カードの形を影に変換させると、
変わることと変わらないことがある。

その、変わらないことを、
その一連の図形の
「骨組み」のようなものと考えて、
<構造>とよぶ。

カードの傾け方を変えるということは、
視点を変えることでもある。

つまり、視点を変えることによって、
変わることと変わらないことがあり、
変わらないことのほうに注目して、
それを<構造>とよぶ、
ということになろうかと思う。

このように、見る場所・方向を変えることで
変わった部分のことは気にせずに、
見る場所・方向を変えても変わらないこと、
つまり不変であるものに注目して
図形を研究しようというのが
射影幾何学であり、
この幾何学を体系づけたのが、
フェリックス・クラインという人だった。
「クラインの壷」で有名なあのクライン。

クラインは、
『エルランゲン・プログラム』
というものを提出した。
変換に関して不変な性質を
研究するというもの。

<構造>の見つけ方はいろいろある。

たとえば、好きなように変形させられる
薄いゴム膜のようなものの上に
正方形を書いて、これを変形させると、
いろいろな四角形のほかに、
角をなくして円や楕円もできるだろうし、
少し歪ませて池のような形もできる。

この場合、正方形も他の四角形も
円も楕円も池の形も
同じ1つの対象ということになる。

こうなると、また別の幾何学になる。

いまは幾何学の話だけれど、
代数のほうでも<構造>が考えられる。



橋爪大三郎『はじめての構造主義』
を参考に書いていますが、
今回はかなり言葉を変えています。

(つづく)
 2013.01.03 Thursday 13:20 橋爪大三郎『はじめての構造主義』 permalink  
平行線が交わる世界

2つの真理1点の曇りデカルトのしごとニュートンのしごと理性の時代“真理”から“規約”へ物理学の革命真理の相対主義視る主体



私は、大学で教育系の学部に入り
(結局、教師にはならなかったが)
小学校教員養成課程の
数学研究室に属していたので、
幾何学の授業を受ける機会があった。

幾何学の先生は
素朴でものしずかなおじさまで、
とてもやさしかった。
が、いい加減な人ではなかった。

最終的にはその先生のゼミに入り、
卒業論文でもお世話になった。

授業で何を学んだかはさっぱり覚えていない。

覚えているのは、
授業中にぽそっともらされる、
短いエピソード。

しかも、具体的に覚えているのは2つだけ。

うち1つは、いま思い起こすに、
おそらくポアンカレという数学者の
有名な乗合馬車のエピソードだと思う。

ポアンカレが、ある数学的問題の解決方法を、
乗合馬車のステップに足をかけた瞬間、
思いついた、というエピソード。
http://1000ya.isis.ne.jp/0018.html

この「ステップに足をかける」一歩を再現しながら、
照れたように、うれしそうに語っていたのが、
いまでも目に浮かぶ。

そしてもうひとつが、
「私達は、平行な線路が彼方で1点に交わる
そういう世界で生きているんですね・・・」
という言葉。

感動した。

「平行線が1点で交わるという考え方がある」
という説明ではなく、
「私たちは、そういう世界で生きているんですね」
というフレーズに。

その授業をとっていた学生は、
40名くらいはいたと思うが、
出欠をとらない先生だったので、
授業に出る学生数はいつも1ケタ。
(だから試験のとき、
 急に人が増えてびっくりした)

いま、私の記憶のなかにあるあの教室は
もはや私の記憶の捏造で、
あのときの実際の教室とは
違ったものになっているかもしれない。

そうだとしても、
確かに私の頭のなかに、
ひとつの幾何学の教室がある。

それぞれが思い思いの場所に座り、
静かにおだやかに時間は流れている。

黒板の難解な数式を背景にしながら
照れたような笑みとともに
静かに繰り出される先生の言葉を
夢想するように聴いている。

だれかといるのに(いるから)
ひとりでいるような時間。

実際は、ずっとそうしていたわけではなく、
ほとんどの時間はノートを取るのに
追われていたのだろうが、
上記のような短いけれども濃密な時間、
不思議な安堵感と透明感のある空間が、
少なくとも私の記憶のなかには確かにあって、
それは私にとって
貴重な幾何学体験であったように思う。

難しい知識は、
まったく身につけることができなかったけれど。

と、すっかり思い出話にひたってしまったが、
そんなこんなで、
ユークリッド幾何学では交わらないはずの平行線が、
私たちの生きる世界では彼方で交わることがある。

次のページの中央の画像のように。
http://blogs.yahoo.co.jp/
ys46613/5223635.html


同じように、遠近法では、
スクリーンに垂直な直線は、
画面中央の1点で交わる。
この点は消失点とよばれる。
(橋爪大三郎さんは「消点」と書いている)
http://roteki.cocolog-nifty.com/
blog/2011/02/post-aa91.html


この遠近法の発想が、
射影幾何学につながっていく。

(つづく)

 2013.01.02 Wednesday 08:33 橋爪大三郎『はじめての構造主義』 permalink  
視る主体

2つの真理1点の曇りデカルトのしごとニュートンのしごと理性の時代“真理”から“規約”へ物理学の革命真理の相対主義



橋爪大三郎『はじめての構造主義』
(講談社現代新書/1988)
を読んでいる。

構造主義とはどんなものであったかという
思想・哲学方面の話ではなく、
そのルーツとなる数学の<構造>について
みていこうとしているところ。

橋爪さんはこのあと、
<構造>←形式主義←射影幾何学←遠近法
という系譜関係で
数学の<構造>をさぐろうとしている。

というわけで、まずは遠近法から。

遠近法というのは、
基本的に視覚をなぞる画法であり、
言ってみれば、
眼に映るありのままを描く方法である。

このような画法は、
ヨーロッパの中世の宗教画には、
見られなかった。

なにしろ宗教画の原則は
宗教的な価値に忠実であることであり、
画面のなかに
現実の空間を再現するものではなかったから。

したがって、
価値あるもの(神様や天使)を大きく・・・
天に近いものはなるべく上のほうに・・・
というような手法がとられていた。

こういう絵は人間が視たのか神が視たのか、
誰が視たところなのかわからない。
絵を見た人が、自分を「視る主体」として
意識するようなこともない。

しかしルネッサンス期にさしかかると、
だいぶ変化してくる。
表現の題材や技法の点で
飛躍的な変化がみられるが、
注目したいのは、だんだん、
あくまでも人間が視た世界として
画面が構成されるようになっていったこと。

この動きの行きつくところが、
遠近法ということになる。
 
最初は、画面をリアルに見せるための
ちょっとした工夫だった。
画家が独自に考案して使い始めた方法を
みんなが真似するようになり、
たちまちありふれた技法になり、
絵画の制度となって定着する。

遠近法を用いると、
「見えたとおり」に描くことができる。
それはつまり、「どこから見たのか」を
画面の構図が示しているということでもある。

そうして、「視る主体」が誕生し、
世界は、物体/オブジェクト(=客体=客観)の
集まりである、ということになっていく。

 遠近法によれば、ひとりひとりが別々の視点をもつ。そうである以上、めいめいが、世界のなかで、このように活動しなければうそだ。それは、世界を、主体/客体の関係によってつかむことである。そして、つかんだ内容を、主語(サブジェクト)/目的語(オブジェクト)の関係によって整理することでもある。人びとがすっかり、こうした主/客図式に従うようになるのが、近代という時代。だとすると、遠近法の登場は、人びとのものの見方が、近代に向かって一歩大きく踏み出したことの現れだ、と言っていいだろう。

 (p.163)

(つづく)

 2013.01.01 Tuesday 10:32 橋爪大三郎『はじめての構造主義』 permalink  
真理の相対主義
2つの真理1点の曇りデカルトのしごとニュートンのしごと理性の時代“真理”から“規約”へ物理学の革命



そんなこんなで
ユークリッド幾何学の位置は、
ここ百数十年のあいだに
決定的に変化した。

それはもう、
唯一の幾何学でもないし、
理性の象徴でもない。

物理学や自然科学の、
唯一の導き手でもない。

いろいろな考え方のうちのひとつにすぎない、
ということになった。

ヨーロッパ世界はそれまで、
唯一の真理があることを信じてきた。

啓示によるか、
理性によるかの違いはあるにしろ、
真理を目指して運動してきた。 

ところがいまや、
なにが「正しい」かは、
公理(前提)をどう置くかによってきまる。
つまり、考え方の問題になる。

公理を自明のものと考えれば
証明や論証の結果は“真理”にみえるが、
そうみえるのは、ある知のシステムに
閉じこめられているくせに、
そのことに気づかず、
それを当たり前と思っているからじゃないか、
という反省が起こってくる。

こういう反省は、
数学や自然科学の内部にとどまらず、
当然、社会科学や思想全般にも波及していく。

ヨーロッパの知のシステムは、
“真理”を手にしていたつもりで、
実は“制度”のうえに
安住していただけではないか。

という疑問を、もっとも深刻なかたちで
つきつけることになるのが、
ほかならぬ構造主義だった。



橋爪大三郎『はじめての構造主義』を読んでいます。
今回は、そのまま本文の内容を抜き出しています。


(つづく)
 2012.12.31 Monday 08:19 橋爪大三郎『はじめての構造主義』 permalink