「願いごと手帖」8年めに入っています

このブログで、
カテゴリー:願いごと手帖を作って
経過を書いてきた「願いごと手帖」が、
はや8年めに入った。

こうなるとますます、
記録帳みたいな存在になってきて、
読み返すと懐かしい。

同じMDノートをいまも使っている。

「使う」といっても、
開く機会は限られているのだけれど。

8年数ヶ月のあいだに書いた願いごとは541個。
2015年の願いごとは55個。
うち赤丸がついているのは20個、
青丸がついているのが9個。

ちなみに青丸は、
そのまま叶ったわけではないけど
動きがあったもの、
気持ちがおさまったものなどにつけている。

いまだに思うことは、
ペンの色をどうしたものか、
ということ。

統一したほうがきれいなんだけど、
年を越して叶う願いもあると思うので、
その場合、年によって色を変えたほうが、
今年叶ったものがわかって楽しいのではないか?
と思ってみたり。

ただ、すでにいろんなペンを使ってしまっているので、
いまから決めてもあまり意味はなさそう。
しばらくは赤&青でつけようと思う。

なお、約2年前の段階では、
で、願いごと手帖をしばらく経験したのち、
私が自分に課していることは、
かなわないとすごく困ることは逆に書かない、
不安解消のためにこの手帖を利用しない、
ということ。
という状態だったけど、
もういまはあまりそういうことも考えず、
書きたいことを書いている。

その結果、今年一年の願いごとの根底には、
共通して私の不安のクセが含まれていると感じる。

昨年以前のものを見返してみても、
丸がついていない願いごとには
ある種の傾向がある気がする。

これらの願いごとを、
そのまま願いごとにしておくのもいいけれど、
具体的な対策を立てるのもいいかもなぁ…
と思っているところ。

と同時に、棚ぼた精神も忘れずにいたい。

さすがに8年めに入ると、
以前のような葛藤もなく、
静かに淡々と続けている感じ。

このMDノートを使い終わるころ、
いくつの願いごとが叶っているかな?
 2016.01.01 Friday 14:14 願いごと手帖 permalink  
「願いごと手帖」で、「望まないもの」(の語句)を使わずに書くのって、案外難しい。
ももせいづみ著
『運と幸せがどんどん集まる「願いごと手帖」のつくり方―必ず願いがかなう』
という本と出会って5年あまり。

カテゴリーも作って、
ブログにときどきその経過を書いているのだが、
たまにインターネットで検索してみると、
結構、普及しているなぁ〜と感じる。

また、このブログのアクセス解析から察するに、
「願いごと手帖」でたどりついてくださる方は
比率として大きいようなので、
そのことからも普及度合いを感じる。

なかには、「願いごと手帖 叶わない」という
検索ワードでたどり着く方もいらっしゃるらしい。
(実は、今月の検索ワードでいちばん多い)

そういう方に役に立つかどうかわからないけれど、
以前、検索で見つけて、
ちょっと気になっていたページをリンクしてみたいと思う。
(このワードで私のブログにたどりつく方は、
 すでにもうご存知とは思うけれど…)

だれでも簡単にできる「願いごと手帖」のつくり方
 - NAVER まとめ

http://matome.naver.jp/odai/2135712910771282101

「望まないものはいっさいかかないのがコツ」
ということを、具体例を示して書いておられて、
「なるほどねぇ」としみじみ思った。

これ、実際にやってみようとすると、意外と難しい。

たとえば、最近の自分の話で言えば、
右耳の裏のリンパの腫れが気になっているのだが
(かかりつけの皮膚科で抗生物質を処方されて様子見の段階)
「右耳の裏のリンパの腫れがひいてほっとする」
と書こうとすると、「リンパの腫れ」という、
“望まないもの”を書いてしまうことになる。

だから、実際に腫れがひいた状態を想定して、
それを言語化しなくてはいけなくなるのだが、
なんと書いていいのかよくわからない。
「右耳の裏がすっきりする」では、
意味がわからないし、脱毛症になったら困る。

何しろ、わかりやすく具体的に書くのが
それこそ願いごと手帖のコツだと思うので。

なお、ももせいづみさんは、
ここまでのこと(望まないものをいっさい書かない)
というふうに、強くは記述しておられないと思うが、
おおよその方針としては、
たぶんそういうことなんだろうと思う。

示してあるNGワードはその通りだし、
こういうふうにポジティブな方向にものごとを考えていくこと、
その訓練になる(そういうクセがつく)というのも、
「願いごと手帖」のひとつの効能だと思うので。

とにかく、上記の“まとめ”を読んで、
「望まないもの」をいっさい書かないことは、
意外と難しいということに気づいたのは
自分で面白かった。

以前も書いたことだけれど、「願いごと手帖」は
「かなったらもうけもん」と思えることを書くのが
ミソなんだろうと思う。
(「棚ぼた」が大きなキーワード)

しかし私はやはり、
そういうプラスのことではなくて、
マイナスがゼロになることを
願いがちなのかもしれない。

たとえば、どこかが痛くなって、その痛みが消えたとき
「痛みがないってなんて幸せ…」と感じる喜びは、
ほとんどの人が経験しているのではないだろうか。

つまり、何もないところに生じた“快”よりも、
“不快”がなくなったときの“快”のほうが
“快”の度合いが強いというか。

いわゆる、なんでもないこと、あたりまえのことを、
幸せだと感じられることの幸せ。

そういう幸せを願うときに、
いまあるマイナスがゼロになることを文章化すると、
おのずとマイナス部分にネガティブな言葉が紛れ込んでしまう。

そのまま書けば、どうしても「望まないもの」が
含まれてしまうような願いごとを、
どうしたらその語句を使わずに書けるか、
ということを考えることは、
それだけで意味があるような気がする。

で、願いごと手帖をしばらく経験したのち、
私が自分に課していることは、
かなわないとすごく困ることは逆に書かない、
不安解消のためにこの手帖を利用しない、
ということ。

結局、自分にとっての「願いごと手帖」の意味は、
「もうひとつの日記」になっているということと、
「自分にとって何かを願うということはどういうことか」
を考えるためのツールになっていることなんだろうと思う。

とにもかくにも「願いごと手帖」は、
たまに書いてはぱたんと閉じて、たまに見直す、
そういうものだと思うので、
始終頭からはなれないような願いごとなどには
向いていないのかもしれない。

そういうときには、全然関係ないことで、
自分がちょっと元気になりそうな出来事を書いて、
それがかなうことで、流れが変わっていく…
ということを期待してみるのもいいかもしれない。

 でも、もとの願いごとも書いておくと、
 いつかかなうかもしれません。

 と、5年前の願いごとを眺めながら思ったので、追記。
 2014.01.29 Wednesday 12:31 願いごと手帖 permalink  
「願いごと手帖」6年目に入っています。
願いごと手帖、6年目突入。
こういうことは続くんだなぁ、私。

出会いは2008年の9月

あのとき見つけたシンプルな白いノート
いまではおなじみのMDノートをまだ使っている。

6ヶ月めの感想はこんな感じ

願いごと手帖をとらえなおす機会もあった。

約1年後には64個の願いごとがかなう

また、おととしの暮れには、
2つのことを考えた。>(1)(2)

何度か、やめようかな…と思ったこともある。

そして3年9ヶ月め

それがいつのまにか5年たってるし。

これまでの願いごとは445個。
(通し番号をつけているのだ)

今年の願いごとは110個。

(ただし、気がかわったか何かで
 消している願いごともある)

そのうちかなったものが19個。

今年の願いごとをながめてみるにつけ、
TO DO リスト、
あるいは努力による習慣づけで
対応できるものが
けっこう混ざっているのではないか?
ということ。

で、実は11月ごろ、別の本を参考にしながら、
期間限定で願いごとをかなえるための
ノートを作ってみたのだが、
うまくいかなかった。

アレンジすればそれなりに意味がある気がするので、
気が向いたらまたやってみよう。

ふりかえって思うに。

毎日のように願いごと手帖を広げる時期もあれば、
ぱったり開かなくなって忘れている時期もある。

そういうもんなんだろうな。

それにしても、ももせさんの「願いごと手帖」
けっこう普及しているような気がする。

検索すると、いろんなサイトがひっかかってくる。

私と同じMDノートを使っている方も発見。(^^)
http://kaimonosimasita.seesaa.net/article/356594413.html
 2013.12.28 Saturday 16:24 願いごと手帖 permalink  
「願いごと手帖」をはじめて3年9ヶ月めに思うこと

願いごと手帖」をはじめて約3年9ヶ月。
自分でも忘れていたのだけれど、
わざわざブログにカテゴリーを作っていたんですね私。

どうやら定期的に---1年に1〜2回くらいの割合で---
「願いごと手帖」をやめようかな、と思う時期がくるらしい。
2週間くらいまえにまたその時期がきたのだけれど、
結局また続けている。

そんな状態なので、
自分でも面白いというかめんどくさい話なのだが、
メタな願いごとも書かれるようになった。
書かれるようになったっちゅーか、
自分で書いているのだが。

たとえばこんなふうに↓

・「願いごと手帖」やっぱり続けてよかった!
 と思えるようになる。

・「願いごと手帖」を発展的解消しようかと思った意味が
 自分で腑に落ちる。

めんどくさいでしょ?(^^;

どんなときに、
「願いごと手帖」を発展的解消しようかと思うかというと、
たとえばこんなとき>「願いごと手帖」をとらえなおす

つまり、何か「願いごと」がかなったあとで、
不都合なことが起こったときなのだ。

「願いそびれていたことが、かなわなかったとき、
それがかなわなくて、
願い忘れていたことを自覚したとき」
と言い換えることもできる。

いや、そもそもそれは願ってもいないのだから、
かなわなかった、ということでもないのだ。

ついでに言えば、約2年前に、
こんな願いごとも書いている。

・願い事がかなったあとで嫌なことが起こらない。

つくづくめんどくさいでしょ?(^^;

あとから思い返すと、それも1つの勉強になって、
そこから何かを得ているのだけれど、
起こった瞬間には、それが起こったことのみならず、
自分がそこに思いいたらなかったことに対して
二重に落ち込むのだ。

それはいつもいつも些細なこと、
小さなことなのだけれど、
願いにあんまり焦点をあてすぎて
具体的にそれを描きすぎると、
その少しまわりの視野がぼやけてしまい、
そのぼやけた視野のなかで起こったことが、
逆に浮き彫りになってしまうというような、
そういう感覚。

なんでこういうことになるんだろうと考えてみたとき、
おそらく、不安解消のために「願いごと手帖」を使ったときに
そういうことが起こるのではないかという気がしている。

この手帖は、もっと、
「棚からぼたもち」で書かなきゃ意味がないと、
自分でもわかってはいるんだけれど。

さて、そんななか。

ちょっと面白いことが起きた。

ある土曜日の朝、
きょうは可燃ゴミの収集車がはやいなぁ、
と思っていたら、
ゴミ収集車の音ではなかったらしく、
なにやらマンションまわりで大掛かりな作業が始まった。

マンションまわりの木の枝を、
かなり大胆に、ばっさばっさと切っているのだ。

その結果、夕方にはベランダの向こう側が
すっかすかになった。
ワイヤーの塀越しにむこうの通りが見える。

そして、べランダに少しだけ陽がさすようになり、
ほんの少し部屋が明るくなった。

そのとき私は、「願いごと手帖」に書いた
ある願いごことを思い出したのだ。
2010年6月14日、つまりほぼ2年前に、
私はこんな願いごとを書いている。

・部屋が明るくなる。

さらには、もう1つ別の願いごとも思い出した。
それは2011年1月12日に書いた

・いつかきれいなキッチンのある部屋に住めるようになる。

という願いごと。
これは、

・キッチンがきれいになる

とは書かなかったわけで、
逆にいうと、前者の願いごとは

・いつか明るい部屋に住めるようになる。

とも書かなかったわけだ。

この微妙な違いが、自分でもなんだかおかしい。

おそらく、このマンションのこの部屋にいる間は、
キッチンが新しくなるということはないのだろう、と
私はそれをのぞんでいないのだろう、と、
そんなことも思った。

ふと気になって「叶」の漢字を調べてみたら、
「協」の異体字と知って、ちょっとびっくり。
「十」は「あわせる」という意味らしい。
そうなんだぁ・・・

 2012.06.17 Sunday 14:50 願いごと手帖 permalink  
「願いごと手帖」について今年考えたこと2つ/(2)
「願いごと手帖」について、
今年考えたことがもう1つある。

それは、
「このノートはもしかすると、
 欲望や執着のかたまりなんだろうか?」
ということ。

そう思うようになったのも、
仏教に興味をもったからなのだが、
自分は無欲になりたいとか、
執着を捨て去りたいと思っているわけではないものの、
欲望や執着から少し距離を置くのはいいかも〜
と思えてきて、その視点から
願いごと手帖について考えこんだことがあったのだ。

ある意味で願いごと手帖は
むしろ「執着しない」ことに役立つ面はあると思う。
何しろ願いごとを書いて、
いったん放置する(=忘れる)わけなので。

でも、欲望のほうは、
なんともいえないところがあるような気がする。

そもそもこの願いごと手帖の最大の目的は、
「実は小さな願いごとって、けっこうかなっているんだよ」
ということを記録することにより自覚して、
幸福感をためていく、ということであり(と私は理解している)、
そういう意味では、「気づき」にもなるかもしれない。

だから、書かない=欲望がない、ということではなく、
書くことで、自分がもっている小さな願い(もしかすると欲?)と
それが実際にかなっている=満たされていることを自覚する、
ということにもなるのかもしれない。
そこに幸福感を求めることに対して、
小池龍之介がなんというのかは、微妙なところだとは思うが。

また、小さな願いごとと威勢のいい願いごとを併記するのは、
自分で勝手に限界や障害をつくって、
可能性やチャンスの芽をつまないためであり、
これは「自分はこういう人であると決めつけない」ことに
つながるのかもしれない。

だから、欲望や執着から少し距離を置くこと、
あるいは仏教的発想と、
「願いごと手帖」を大切にすることとは、
矛盾はしていないのだと思う。

なのに、なんとなぁく、以前のように
願いごとが書けなくなっているような気がしていて、
(そういう時期もあるのだそうだが)
「願いごと手帖」を活用したいと思っているのに、
願いごとが思いつかないってどういうこと?
と思うわけなのだった。

で、きのうの「考えたこと(1)」でも書いたように、
とりあえずはあまり深いこと考えずに
続けてみようと思っているのだが
とにもかくにも「願いごと手帖」をつけることそのものから、
いろいろと思考の機会を与えてもらっていることは確か。

自分にとって「願いごと手帖」とは、
何かを願うとはどういうことか、
何かを願う自分とは何か、ということについて
考え込むためのツールになっているのかもしれない。

それもまたよし、かな。
 2011.12.22 Thursday 09:35 願いごと手帖 permalink  
「願いごと手帖」について今年考えたこと2つ/(1)

先日、書き言葉のパワーも再確認したことだし、
ちょっと早いけど、
願いごと手帖」2011年をふりかえってみることにする。

今年新たに書き加えられた願いごとは55個。
そのうち赤丸がついているもの(かなったもの)は10個。
まだ「2011OK!」を書き込むのは早いと思うので、
年末にはもう少し赤丸がふえることと思う。

今年の特徴は、
「3アクション」の項目が多かったこと。

「3アクション」というのは、
本気でかなえたいのに長いことあまり動きがない願いを
ピックアップして別の場所に書き出し、
その願いについて、今すぐ自分ができるアクションを
3つ考えて書き出すというもの。

ちなみにももせいづみさんは、
「A子さんと企画している
 育児休業中の母親交流会が開催されて、
 うまく軌道に乗る」
という願いごとを例にとり、
これに対する3アクションとして、
 
 1.A子さんに連絡を取って、食事に誘う。
 2.近くにできた市民センターのセミナールームの料金と
  使用条件を聞いてくる。
 3.インターネットで同様の催しが他でどのくらいあるのか、
  内容を調べる。

という項目を示している。

私の願いごととはずいぶん雰囲気が違う。

で、今年「願いごと手帖」について、
こんなことを考えたのだ。

この手帖って、がんばる人、向上心の強い人、
あるいは To Do の多い人に
より向いているんじゃなかろうか?
(=私には向いていないんじゃなかろうか?)
ということ。

さらに派生して、次のようなことも考えた。

こういう「生活」「生き方」などについての
なんからのメッセージを本として出す人は、
ある程度ポジティブな人が多く、
忙しい人が多い、ということ。

もちろん、いろいろな生活形態の人が参考にできるよう、
普遍的なこと、共通していることを取り出して
書いてくれているとは思うのだが、
(ももせさんもそういうふうに書いているし)
たとえば近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法』
で示してある「やっかいな書類」の筆頭は、
「セミナー資料」なのだ。
私の人生にまったく関係のない書類。

年齢の違いや、家族構成のことよりも、
この「セミナー資料」という6文字で、
近藤麻理恵さん(あるいはそのお客さん)と
自分の人生の違いを感じた。

つまり、「企画」や「セミナー」ということと
縁が深いような人たちが、
世の中にメッセージを出しているのではなかろうか。

ももせいづみさんの例でいけば、
母親交流会に“参加する”人ではなく、
“企画する”側の人が、
こういう本を出しているのではなかろうか。

いや、それで全然別にかまわないのだが、
時々はそういう、「感覚の違い」「生活形態の違い」を意識して、
いろんな人が出してくれるメッセージを、
自分の感覚と生活形態にそくして読み替えて、
取り込んでいったほうがいいかもなぁ、
というようなことを感じたのだった。

これは、
70代後半の大原照子さんが書いているシンプルライフ術
の感想に通じる話だと思う。

そこにあって金子由紀子さんは、
あれだけの本を世に送るライターさんでありながら、
私のような---講座にも資格にも企画にも縁がない、
ひょっとしたら興味もない---人間に近い
感覚を維持しているのが、すごいかもしれない。
(って、褒め言葉になってるかな!?)

で、とりあえず出した結論は、
向いている・向いていないかどうかはひとまずおいといて、
とりあえず「願いごと手帖」を続けてみよう、ということ。

枡野俊明さんも書いていたが、
「自分はこういう人間だ」と
あまり決めつけないほうがいいかもしれない()。

ただ、自分自身の願いごと手帖について思うことは、
To Do に落とせるものが、
けっこう含まれていないか?ということだ。
もしかするとこれらの願いごとは、
もう少し努力すれば実現できるかもしれないし、
努力しないと実現されないかもしれない。

願いごと手帖って、
今の自分の力だけではどうしようもできないこと、
チャンスや機を待つこと、
かなったらもうけもののようなことを、
書いていくといいんじゃないかな・・・と
確か1年前にも思ったおぼえがあるのだが、
とりあえず今年は、
3アクションで様子をみる、という感じになった。

 2011.12.21 Wednesday 11:15 願いごと手帖 permalink  
久しぶりの「願いごと手帖」

ももせいづみさん提案の
願いごと手帖」を使い始めて2年半。

最初はなんでもかんでも書いていたけれど、
その後いろいろ考えて、
「かなったらもうけもの」の願いごと
 (「かなわないとマイナス」ではなく、
 「かなったらプラス」の願いごと)
を書くというのを、
基本スタンスにしている。

  というわけなので、
  原発事故収束のことなどは、
  「祈り」はしても、
  願いごと手帖には書いていない。

で、きょう、ちょっと、「できればかなってほしい」という、
ものすごく小さな願いごとがあって、それは
ある1本のメール連絡がほしいというものだったのだが、
どうしようかなぁと思いつつ、
まあ、書いてみっか・・・と思い立って書いていたら、
書いている途中でその連絡が入った。

時間的に偶然の一致である可能性は非常に高いのだけれど、
それでもやっぱり、うれしかった。

 2011.05.14 Saturday 19:50 願いごと手帖 permalink  
願いごと手帖の定期メンテナンス2011

願いごと手帖」を書き始めて2年と3ヶ月。
恒例の・・・といっても2回目だけれど(^^;
定期メンテナンスを行った。

去年の願いごとは63個、
そのうち叶ったのは、
2010年OK!のものも含めて22個。

1年目より願いごと自体が少なかった。

過去の願いごとを振り返ってみると、
そのときの状況や自分の精神状態がよくわかって、
日記がわりにもなっている。
ばらばらに書いた願いごとだけれど、
大きく5つくらいのカテゴリーに分けられそう。
それがつまりは私の生活、今の私ってことなんだろうな。
って去年とまったくおんなじこと書いているやん!
そして書いたことを忘れてるやん!(^^;

「願いごと手帖」2年目で感じたことは、
この手帖は、確かにももせさんが言っているように、
「棚ぼた式」で書くのがミソだなぁ・・・ということ。

もっと言うと、「叶わないとても困る!」
あるいは、叶って当たり前の願いごとは、
あまり書かないほうがいいのかもしれない。

それよりも、「叶うとうれしい」願い、
「叶ったらもうけもん」「叶ったらすごいなぁ」
「これ、叶うのか!?」
というくらいの願いごとがいいのかもしれない。

もう1つ思うことは、
そろそろペンの色を安定させなきゃなぁ〜ということ。

最初は、叶ったものに赤で印をつけると、
テストっぽいというか原稿の校正っぽいというか、
とにかくあんまりいい感じがしなさそうだったので、
緑色のペンで印をしていたのだ。
しかし途中で気がかわってピンクにしたりして、
途中経過は濃い水色で書いたりしているもんだから、
なんだかカラフルになってしまってよくわからない。(^^;

そろそろ安定させないと、
手帖の効果が半減するというか、
本来の意図が活かされないぞ〜〜>自分

ちなみに今回のメンテナンスでは、
きっぱりとした太めの赤と青を使った。
これで定着させようかな。

 2011.01.01 Saturday 18:05 願いごと手帖 permalink  
久しぶりに願いごと手帖を開いてみたら
久しぶりに願いごと手帖を開いてみたら、
最新の願いごとが予想外の形で叶っていて、
なんだか苦笑してしまった。

「ブログ23STYLEの書く内容が安定してわき出てくる」
                         (2010.10.8)
確かこれを書いた直後に、
引越し話がわいたんじゃなかったかな?

その後ブログの名前が変わったけれど、
いやぁ、確かに安定してわき出ていますよ…
引越したかったわけではないのだけれど。

面白いなぁ〜

なるほど、確かに願いごと手帖は、
「どうなったらうれしいか?」という視点で
書くことが大切なのかもしれない。
今回は微妙な書き方だったけれど、
結果的にはOKだった気がする。

TATA-STYLEは
自分の暮らしを見つめるために書き綴っていきたいブログで、
そこに書く話題が安定してわき出るということは、
自分の暮らしを見つめる目と気持ちと言葉が
安定して動いているということになる。

引越しをきっかけにして、
そういう目と気持ちと言葉が継続していくといいな!


それはそうとして。


2010年9月22日のこの願いごとってどうよ?


「やる気が出る。」


たらーっ


なんだか日記がわりにもなっている、
私の願いごと手帖なのであった。
 2010.11.30 Tuesday 09:18 願いごと手帖 permalink  
「願いごと手帖」と引越し
引越しが決まった日、
「ああ、これを願いごと手帖に書いておけば
うれしかっただろうになぁ」
なんて(本末転倒な?)ことを思ってしまった。

実はちょっと考えたことはあったのだ。
「現在よりひとまわり大きいお部屋が、
 家賃+3万円以内で見つかる」
というふうに書いておこうかな、と。

でも、もう少し先の話になるだろうと思っていたので、
今は書かずにいた。

書かなくても叶ったな・・・

そして運がいいと思えたな・・・

お部屋そのもののことは書いていなかったが、
願いごと手帖に書かれているうちのいくつかは、
引越しによって解決しそう。

たとえばメタルラックの棚板配置と本棚の件。
もう3列使いにはせず、追加棚も導入せず、
別々に2棟のメタルラックとして使用することにした。
これだといつでも好きなように棚板の位置を変えられるので。
そして、本はメタルラックにはおかず、
本棚を購入することにした。

そのほか、「大きな鏡のよい置き場所が見つかる」とか、
備え付け傘置きが取れてしまったあとの
「玄関の壁の穴が解決する」とか、
小さな願いがあれこれ叶うことになってうれしい。

実際に引越してみないとわからないことも含めると、
10個くらいの願いが叶う可能性が高い。
どうなってほしいか具体的に書いておいたぶん、
結果的に数が稼げたのかも!?
「お部屋を変わる」という願いこそ書かなかったけれど、
そのかわり小さくて具体的な願いがたくさん叶った。
 2010.10.17 Sunday 10:32 願いごと手帖 permalink