願いごと手帖、2018年に向けて
年の変わり目が近いので、
願いごと手帖をざっと読み返し、
来年に向けての願いごとを書き足している。

ずっと印がついていないものをながめてみて気づくのは、
書き方が曖昧だったり抽象的だったりするということ。
たとえば2011年6月17日に私はこんなことを書いている。↓

「住んでいる部屋を、もっと好きになれる。」

これ、いったいどうなったら○をつけられるのだろう・・・?
何をどうしたら“もっと好きになった”と言えるのか。
書いた自分もよくわからない。
また、それより前の2009年5月5日には、
こんなことも書いている。↓

「姿勢に気をつけるようになる。」

これもまた、何がどうなった時点で○をつけられるのか、
判断が難しい。

願いごと手帖は、かなった願いにしるしをつけるのが
基本のアクションのひとつなので
かなったかどうかわかりやすい書き方をするのがミソだと
あらためて思ったしだい。

ちなみに本には、かなう時点が判別しにくい願いへの対応
(一区切りの○をつける)も書いてあることは書いてあるし、
その方法を採用したこともある。

でもやっぱり基本は、「そうなったとき」をイメージして、
「○○という状態になる」というより
「○○になった」という書き方をしたほうが、
この手帖の効果が発揮されるように思う。

そのためには、抽象的な表現になりがちな願いを
解きほぐす必要がありそう。

「住んでいる部屋を、もっと好きになれる」
と願っているということは
いまはそれほど好きではないということであり、
それはなぜなのか、どんなところが好きではないのか。
そしてなぜ、「好きになる」ではなく
「好きになれる」という表現になっているのか。

姿勢をよくしたいのは、
見た目の問題なのか、健康上の理由なのか。
そもそも、姿勢が恒常的によくなったとき、
姿勢に「気をつけて」はいないのではないか?

などなど、さらに自分に問い続け、
願いの“根底”にあるものをクリアにしていく。
その作業が願いごとをかなえるための一歩となり、
願いごと手帖の“魔法”につながっていく・・・

具体的に書くのがコツだということは、
この手帖を書き始めたころからわかってはいたが、
長く続けてみて、
そのことをあらためてしみじみ感じるのだった。

とはいえ。

2018年に向けてやっている作業は、
昔の願いを解きほぐすことより、
いまの願いを新たに見つめることだったりする。

さらに、しるしがつけやすい書き方を心がけるあまり、
願いごとを書くのが窮屈になっったり難しくなったり、
億劫になったりするのも本末転倒なので、
あまりこだわりすぎないように…とも思っている。

ひとまず、先の注意点を踏まえて、新しい願いでは、
「○○という状態になる」系の願いには、
具体的な数値や期間を入れるようにした。

さて、来年はどんな願いがかなうでしょうか。
 2017.12.23 Saturday 14:53 願いごと手帖 permalink  
「願いごと手帖」、10年めに突入
2008年の9月に始めた「願いごと手帖」が、
9年の月日を経て、ついに10年めに入った。
>カテゴリー:願いごと手帖
最初の記事はこちら→『「願いごと手帖」のつくり方』

同じノートをずっと使っていて、
これまでの願いごとは全部で595個。

願いの数自体は通し番号でわかるのだが、
かなった願いの数を数えたい気持ちがもはやない。
数の問題ではないといまは思う。

何度も書いていることだけれど、
もうほとんど「思い出手帖」。

たまに見返すと、
そのとき自分が何を望んでいたのか、
何が負担だったのかよくわかる。

日記とは別の濃さで
「そのとき」が刻まれているように思う。

そしてこのたび、新しいペンの○が加わった。
それはつまり新しい意味の○ということになる。

これまでは基本的に、
かなった願いに赤系の○、
かなってはいないが少し変化があったものに
青系の○をつけていたのだが
それに太緑の○が加わった。

何かというと、願いそのものは消えていないが、
それを願いごと手帖に書きたいという気持ちが解消したもの。

なお、かなわなかったものや
望みが消えたものは線で消しているのだが、
太緑の場合、私が知らないところで
かなっているとうれしいけれど
それを確かめられなくてもよしとする、
という意味での解消。

書き方がまずかったことに気づいたものなども。

なんのことはない、そのほとんど…というか、
もしかしたらすべてが
強迫神経症的気質の自分の「不安」からくるものだと、
あらためてわかった。

過去には細い緑のペンを別の用途で使っていたこともあり
もはや色がいりみだれて
全体的にはよくわからないことになっているのだが
そういうことも含めて過去の記録になっているように思う。

それはそうとしても、やっぱりこれは、
過去の「思い出」ではなく
未来へ向けた「願いごと手帖」として
続けていきたいなぁとあらためて思う。

 2017.09.08 Friday 09:46 願いごと手帖 permalink  
「願いごと手帖」8年めに入っています

このブログで、
カテゴリー:願いごと手帖を作って
経過を書いてきた「願いごと手帖」が、
はや8年めに入った。

こうなるとますます、
記録帳みたいな存在になってきて、
読み返すと懐かしい。

同じMDノートをいまも使っている。

「使う」といっても、
開く機会は限られているのだけれど。

8年数ヶ月のあいだに書いた願いごとは541個。
2015年の願いごとは55個。
うち赤丸がついているのは20個、
青丸がついているのが9個。

ちなみに青丸は、
そのまま叶ったわけではないけど
動きがあったもの、
気持ちがおさまったものなどにつけている。

いまだに思うことは、
ペンの色をどうしたものか、
ということ。

統一したほうがきれいなんだけど、
年を越して叶う願いもあると思うので、
その場合、年によって色を変えたほうが、
今年叶ったものがわかって楽しいのではないか?
と思ってみたり。

ただ、すでにいろんなペンを使ってしまっているので、
いまから決めてもあまり意味はなさそう。
しばらくは赤&青でつけようと思う。

なお、約2年前の段階では、
で、願いごと手帖をしばらく経験したのち、
私が自分に課していることは、
かなわないとすごく困ることは逆に書かない、
不安解消のためにこの手帖を利用しない、
ということ。
という状態だったけど、
もういまはあまりそういうことも考えず、
書きたいことを書いている。

その結果、今年一年の願いごとの根底には、
共通して私の不安のクセが含まれていると感じる。

昨年以前のものを見返してみても、
丸がついていない願いごとには
ある種の傾向がある気がする。

これらの願いごとを、
そのまま願いごとにしておくのもいいけれど、
具体的な対策を立てるのもいいかもなぁ…
と思っているところ。

と同時に、棚ぼた精神も忘れずにいたい。

さすがに8年めに入ると、
以前のような葛藤もなく、
静かに淡々と続けている感じ。

このMDノートを使い終わるころ、
いくつの願いごとが叶っているかな?
 2016.01.01 Friday 14:14 願いごと手帖 permalink  
「願いごと手帖」6年目に入っています。

願いごと手帖、6年目突入。
こういうことは続くんだなぁ、私。

出会いは2008年の9月

あのとき見つけたシンプルな白いノート
いまではおなじみのMDノートをまだ使っている。

6ヶ月めの感想はこんな感じ

願いごと手帖をとらえなおす機会もあった。

また、おととしの暮れには、
2つのことを考えた。>(1)(2)

何度か、やめようかな…と思ったこともある。

そして3年9ヶ月め

それがいつのまにか5年たってるし。

これまでの願いごとは445個。
(通し番号をつけているのだ)

今年の願いごとは110個。

(ただし、気がかわったか何かで
 消している願いごともある)

そのうちかなったものが19個。

今年の願いごとをながめてみるにつけ、
TO DO リスト、
あるいは努力による習慣づけで
対応できるものが
けっこう混ざっているのではないか?
ということ。

で、実は11月ごろ、別の本を参考にしながら、
期間限定で願いごとをかなえるための
ノートを作ってみたのだが、
うまくいかなかった。

アレンジすればそれなりに意味がある気がするので、
気が向いたらまたやってみよう。

ふりかえって思うに。

毎日のように願いごと手帖を広げる時期もあれば、
ぱったり開かなくなって忘れている時期もある。

そういうもんなんだろうな。

それにしても、ももせさんの「願いごと手帖」
けっこう普及しているような気がする。

 2013.12.28 Saturday 16:24 願いごと手帖 permalink  
「願いごと手帖」をはじめて3年9ヶ月めに思うこと

願いごと手帖」をはじめて約3年9ヶ月。
自分でも忘れていたのだけれど、
わざわざブログにカテゴリーを作っていたんですね私。

どうやら定期的に---1年に1〜2回くらいの割合で---
「願いごと手帖」をやめようかな、と思う時期がくるらしい。
2週間くらいまえにまたその時期がきたのだけれど、
結局また続けている。

そんな状態なので、
自分でも面白いというかめんどくさい話なのだが、
メタな願いごとも書かれるようになった。
書かれるようになったっちゅーか、
自分で書いているのだが。

たとえばこんなふうに↓

・「願いごと手帖」やっぱり続けてよかった!
 と思えるようになる。

・「願いごと手帖」を発展的解消しようかと思った意味が
 自分で腑に落ちる。

めんどくさいでしょ?(^^;

どんなときに、
「願いごと手帖」を発展的解消しようかと思うかというと、
たとえばこんなとき>「願いごと手帖」をとらえなおす

つまり、何か「願いごと」がかなったあとで、
不都合なことが起こったときなのだ。

「願いそびれていたことが、かなわなかったとき、
それがかなわなくて、
願い忘れていたことを自覚したとき」
と言い換えることもできる。

いや、そもそもそれは願ってもいないのだから、
かなわなかった、ということでもないのだ。

ついでに言えば、約2年前に、
こんな願いごとも書いている。

・願い事がかなったあとで嫌なことが起こらない。

つくづくめんどくさいでしょ?(^^;

あとから思い返すと、それも1つの勉強になって、
そこから何かを得ているのだけれど、
起こった瞬間には、それが起こったことのみならず、
自分がそこに思いいたらなかったことに対して
二重に落ち込むのだ。

それはいつもいつも些細なこと、
小さなことなのだけれど、
願いにあんまり焦点をあてすぎて
具体的にそれを描きすぎると、
その少しまわりの視野がぼやけてしまい、
そのぼやけた視野のなかで起こったことが、
逆に浮き彫りになってしまうというような、
そういう感覚。

なんでこういうことになるんだろうと考えてみたとき、
おそらく、不安解消のために「願いごと手帖」を使ったときに
そういうことが起こるのではないかという気がしている。

この手帖は、もっと、
「棚からぼたもち」で書かなきゃ意味がないと、
自分でもわかってはいるんだけれど。

さて、そんななか。

ちょっと面白いことが起きた。

ある土曜日の朝、
きょうは可燃ゴミの収集車がはやいなぁ、
と思っていたら、
ゴミ収集車の音ではなかったらしく、
なにやらマンションまわりで大掛かりな作業が始まった。

マンションまわりの木の枝を、
かなり大胆に、ばっさばっさと切っているのだ。

その結果、夕方にはベランダの向こう側が
すっかすかになった。
ワイヤーの塀越しにむこうの通りが見える。

そして、べランダに少しだけ陽がさすようになり、
ほんの少し部屋が明るくなった。

そのとき私は、「願いごと手帖」に書いた
ある願いごことを思い出したのだ。
2010年6月14日、つまりほぼ2年前に、
私はこんな願いごとを書いている。

・部屋が明るくなる。

さらには、もう1つ別の願いごとも思い出した。
それは2011年1月12日に書いた

・いつかきれいなキッチンのある部屋に住めるようになる。

という願いごと。
これは、

・キッチンがきれいになる

とは書かなかったわけで、
逆にいうと、前者の願いごとは

・いつか明るい部屋に住めるようになる。

とも書かなかったわけだ。

この微妙な違いが、自分でもなんだかおかしい。

おそらく、このマンションのこの部屋にいる間は、
キッチンが新しくなるということはないのだろう、と
私はそれをのぞんでいないのだろう、と、
そんなことも思った。

ふと気になって「叶」の漢字を調べてみたら、
「協」の異体字と知って、ちょっとびっくり。
「十」は「あわせる」という意味らしい。
そうなんだぁ・・・

 2012.06.17 Sunday 14:50 願いごと手帖 permalink  
久しぶりの「願いごと手帖」

ももせいづみさん提案の
願いごと手帖」を使い始めて2年半。

最初はなんでもかんでも書いていたけれど、
その後いろいろ考えて、
「かなったらもうけもの」の願いごと
 (「かなわないとマイナス」ではなく、
 「かなったらプラス」の願いごと)
を書くというのを、
基本スタンスにしている。

  というわけなので、
  原発事故収束のことなどは、
  「祈り」はしても、
  願いごと手帖には書いていない。

で、きょう、ちょっと、「できればかなってほしい」という、
ものすごく小さな願いごとがあって、それは
ある1本のメール連絡がほしいというものだったのだが、
どうしようかなぁと思いつつ、
まあ、書いてみっか・・・と思い立って書いていたら、
書いている途中でその連絡が入った。

時間的に偶然の一致である可能性は非常に高いのだけれど、
それでもやっぱり、うれしかった。

 2011.05.14 Saturday 19:50 願いごと手帖 permalink  
願いごと手帖の定期メンテナンス2011

願いごと手帖」を書き始めて2年と3ヶ月。
恒例の・・・といっても2回目だけれど、
定期メンテナンスを行った。

去年の願いごとは63個、
そのうち叶ったのは、
2010年OK!のものも含めて22個。

1年目より願いごと自体が少なかった。

過去の願いごとを振り返ってみると、
そのときの状況や自分の精神状態がよくわかって、
日記がわりにもなっている。
ばらばらに書いた願いごとだけれど、
大きく5つくらいのカテゴリーに分けられそう。
それがつまりは私の生活、今の私ってことなんだろうな。

「願いごと手帖」2年目で感じたことは、
この手帖は、確かにももせさんが言っているように、
「棚ぼた式」で書くのがミソだなぁ・・・ということ。

もっと言うと、「叶わないとても困る!」
あるいは、叶って当たり前の願いごとは、
あまり書かないほうがいいのかもしれない。

それよりも、「叶うとうれしい」願い、
「叶ったらもうけもん」「叶ったらすごいなぁ」
「これ、叶うのか!?」
というくらいの願いごとがいいのかもしれない。

もう1つ思うことは、
そろそろペンの色を安定させなきゃなぁ〜ということ。

最初は、叶ったものに赤で印をつけると、
テストっぽいというか原稿の校正っぽいというか、
とにかくあんまりいい感じがしなさそうだったので、
緑色のペンで印をしていたのだ。
しかし途中で気がかわってピンクにしたりして、
途中経過は濃い水色で書いたりしているもんだから、
なんだかカラフルになってしまってよくわからない。

そろそろ安定させないと、
手帖の効果が半減するというか、
本来の意図が活かされないぞ〜〜>自分

ちなみに今回のメンテナンスでは、
きっぱりとした太めの赤と青を使った。
これで定着させようかな。

 2011.01.01 Saturday 18:05 願いごと手帖 permalink  
「願いごと手帖」をとらえなおす

先日、娘の遠足があった。
遠足は体調をくずすことなく参加させたい行事の1つ。
昨年、運動会に参加できなかったこともあり、
行事に対してちょっとナーバスになっていた私は、
「願いごと手帖」に娘の遠足のことを書いていた。

娘の体調もさることながら、
久しぶりのお弁当づくりは大丈夫かな?
集合時間に間に合うかな?
と、1週間くらい前から緊張していた。
娘の遠足で緊張してどーするんだ。

そして無事に、寝坊もせず、お弁当も作り、
娘の体調もよく、ごきげんに出かけていった。

しかし、帰ってきたときの娘の顔はくもっていた。
そして、涙。
理由はよくわからないけれど、
たぶん自分の遠足のイメージと違う部分があったのだと思う。
遊び足りなかったらしいし、
靴下のかかとがやぶれて歩いているときに足が痛かったり、
お茶が飲みたいけど飲めない状況があったりとかで、
何かとマイナス要素が多かったもよう。

はじめての電車での遠足で
時間的にもきびしかったのだろうし、
人数も多くて疲れたのだろう。
緊張もあったのだと思う。

そうこうするうち、肩が痛い、だるいと言い出して、
熱をはかると37.8度。その夜に38度を超えた。

疲れただけならわかるけれど、
まさか帰ってきて泣くとは思わなかったので、
なんだか私まで悲しくなってしまった。

で、「願いごと手帖」を見直してみると・・・
「2009年度1学期の遠足に○○ちゃんが行ける!」
と書いているではないか。
具体的に書くというコツを守って
年度と学期まで入れたはいいけれど、
私の願いは「行ける!」だった・・・

そう、お弁当を作って送り出すところまでしか
考えていなかったんだよね。
実際、そういう意識でいたんじゃないのかな。
娘が遠足を楽しむというより、体調をくずさせず遅刻させず、
お弁当をもたせて送り出すという
母の役目だけを意識していたんじゃないのかな。

疲れたりがっかりしたりするのも経験のうちで、
そういう経験をできたのも遠足に行けたからで、
遠足に行けなかった場合のことを思えば、
行けただけよかったのだ、
熱を出したのが行ったあとでよかったのだ、
と思えばいいことなのかもしれない。

でも、なんだか釈然としない。
大切なのは、
娘が遠足を楽しめることじゃなかったのだろうか・・・

自分でも意外なほど落ち込んでしまって、
もう願いごと手帖やめちゃおうかなぁ・・・なんて考えたりした。
 どうしてそういうところに発想がいくのだ^^;>自分
書いたことだけしか実現しないのなら、
うっかり書き忘れてしまったことが
実現されないのではなかろうか。

書いていなかったときにもいろんなことがうまくいったし、
書くようになることで、
書かなかったことが実現しなくなるのは悲しいし、
なんだかこわい。
そんなふうに感じられてきたのだ。

自分は、「願いごと手帖」にとらわれてはいないか。
意識しすぎてはいないか。
いろいろなことを気にする私のようなタイプは
「願いごと手帖」にむいていないのではなかろうか・・・

しかし、このお気に入りのノートを捨てたくはなかったし、
他に転用する気にもなれない。
また、今まで書いた願いごとをちゃらにするのも抵抗があった。

何か参考になることはないかなぁと思って
「願いごと手帖」のオフィシャルサイトをのぞきにいった。
また、もう一度、本を読み直した。
そうしているうちに、気持ちも落ち着いてきたのだった。

「願いごと手帖」には、具体的で現実的な根拠がある。
しかし、微かに魔法の要素をもっている。
それは十分わかっているつもりだった。
でも、いつのまにか私は、この手帖に「呪術」の性格を
帯びさせてしまっていたのではなかろうか。

ももせいづみさんに「願いごと手帖」のことを教えた
伊藤久美さんは、
「スケジュール帳ごときに人生を支配されてどうするの」
と言ったそうだが、
それは「願いごと手帖」にも言えることなのかもしれない。

手帖に動かされたり、
人生を決められている(と思う)ために、
この手帖を大事にしているんじゃないんだよな。
どれだけこの手帖を自分の幸せに役立てられるか、
そこがミソなんだよな。

「遠足に行ける!」と書いた自分の意識・価値観に気づくのも、
この手帖の意味のひとつかもしれないと思いなおした。

そんなこんなで、「願いごと手帖」は続行に決定。
思いつく限り願いを書いてみよう。
抽象的なことも含め。


コツを伝授してもらいつつも、
他の人の例を参考にしつつも、
自分の手帖は自分が主体になって、
カスタマイズしていって、
はじめて自分の手帖になるのだ。

悩んでいるあいだに、願いを書き込もう。

娘の遠足がきっかけとなって、
えらいところまで思考が進んでしまった、
初夏の一日であった。

 2009.05.01 Friday 14:01 願いごと手帖 permalink  
「願いごと手帖」のその後

「願いごと手帖」を始めて6ヶ月たった。
どんどんかなっているという実感はまだ得られていないけれど、
うちいくつかは確実に解決している。

そう、叶うタイプの願いはそれほどまだ叶っていないけれど、
問題解決型の願いはそれなりに解決しているみたい。
ささやかなことばかりではあるけれど。

いちばん叶っていると思えるのは、
「家にあるのに読んでいなかった本を読んで発見がある」
という願いごと。
実はこれ、いちばん最初に書いた願いごとなのだ。

この半年、ずーっと、
「家にある本の読み直しと新たな発見」
が続いているような気がする。

それに付随して、
本を買うときの踏ん切りもつきやすくなったし、
いまうちにある本は処分しなくていいという結論も出たし、
いつでも読めるように
背表紙が見える状態に配置したくなってきて、
現在本の配置換え大作戦を計画中。

1つが動くと、
それと連動していろいろなことが動いていくんだな。

一等はじめに書く願いごとって、大事なんだなぁ〜

 2009.03.12 Thursday 12:04 願いごと手帖 permalink  
シンプルな白いノート

というわけで、願いごと手帖のためのノートをさがすことにした。
このノート選びはとても大事だそう。
うん、大事だという気がする。

一応、『「願いごと手帖」のつくり方』の本を買った日の帰りに、
お店の文具コーナーでノートを見るには見てみた。
すぐに始めたかったので。
でも、気に入ったものは見つけられず、そのまま帰宅。
うちにあったメモ帳に練習がてら“願いごと”を書きつつ、
インターネットでノートを検索。

欲しいノートのイメージはあった。
A5サイズで、リングではなく閉じてあるもの。
表紙は白で、できるだけ文字やマークがない
シンプルなデザインのもの。
できれば汚れにくい加工がしてあるもの。
ノートというより、スケジュール帳や日記のイメージ。

そして、まさにこれにぴったりのノートを発見。
ミドリMDノートのA5サイズ横罫。

世の中にこんなシンプルなノートがあったんだなぁ〜!

Amazonで見つけたのだけれど、
すぐには買わず、少し考えることにした。
画面上の写真では質感まではわからない。
検索をしてみると、
実際に購入した人の感想も読むことができて、
なかなかよさそう。
ノートなのにパラフィン紙がついているというのが新鮮。
昔の本のイメージ。
なるほどそれで写真でみると
表面がシャカシャカしているのだな。

でも、パラフィン紙は弱いんじゃないかなぁ・・・
長く使いたいのだけれどなぁ・・・
と思いきや、別売りでビニールのカバーもあるそう。
すばらしい。これで決まりではなかろうか。

がしかし、本物は意外とチープかもしれない。
このまま実物を見ずに買うのは冒険かもしれない。
調べていくうちに
渋谷のロフトで売っていることがわかったので、
何日か迷ったあと見に行ってみた。
ほぼ想像通りの質感だったけれど、
見本として置かれているカバーなしのノートがヨレヨレで、
なんだかかわいそうなことになっている。
長く使うとこうなるのかな・・・・・・

でも、お店の見本は、ものすごくたくさんの人が
毎日毎日ぺらぺらめくっているだろうから、
カバーをかけて大切に扱えば、
時間がたってもこうはならないのではなかろうか。

他のノートもひととおりながめてみたが、
やはりこんなにシンプルなノートはほかにない。
よし、MDノートにしよう。

ところが、お店に置いてあったのは
新書サイズと文庫サイズだけで、
私の希望のA5サイズは在庫がないそう。
ううむ。新書サイズで手を打とうか。どうしようか。

ここまでこだわったのだから
妥協はしないでがんばろうと思いなおし、
ロフトでは買わず、うちに帰ってからAmazonで注文した。
カバーも一緒に。
送料がかかるけど、それでもいいのだ。
私はこのノートが欲しいのだ。

1冊のノートにこんなにエネルギーをかけたのは初めて。

そして、きのうMDノートが到着。

美しいですぅ!
さっそく願いごと書きまくってます〜!

 2008.09.05 Friday 08:21 願いごと手帖 permalink