母を送る夏(気持ち篇)
母を送る夏(概要篇)



母の訃報をきいて空港に向かう間、
自分のなかに妙な感情が生じていた。

悔しさと言うと大げさだが、
ある種の″ヤラレタ感″。

それは、母がベストなタイミングで
逝ったことに対して。

姉の仕事が忙しくない時期だったこと。
娘がまだ夏休み中だったこと。
そして、8月上旬に私と娘は母に会えている。
私の仕事も一段落していた。
これがたとえば娘の高校入試の直前だったりしたら、
大変だっただろう。

私の勝手な妄想のなかで
「tataちゃんどうよ?」という
母のドヤ顔が浮かんでくるような気がした。

それが今度はそのまま
自分へのプレッシャーとなる。

私はこんなふうに、
ベストのタイミングで逝けるだろうか?



病院の霊安室で眠る母に会ってから
お葬式のすべてが終わるまで
私が泣いたのは4回くらいだったと記憶している。
(時折、鼻くらいはすすっただろうが)

母との別れを惜しんでというより、
母との別れを惜しむ人のこみあげる悲しみに
感応しての涙だった。

うち2回は、母とつきあいの深かった
教師仲間の方々の悲しみ。

1回は、参列してくださった
老人ホームのスタッフの方の悲しみ。

そして告別式のあとの姉の挨拶中には、
さすがに涙の筋が頬を伝った。

しかし、母の顔を見ても、遺影を見ても、
直接的な悲しみはこみあげてこない。

なぜなのか。

まず、祖母・父のときと違って、
亡くなるまでの数ヶ月を
ともに過ごしていない、
そのことがとても大きいと思った。

それに加えて言えることは、
私は時間をかけて少しずつ、
母とお別れをしてきたということ。

8月上旬に会ったとき、
ずいぶん衰えてきたなとは感じていたものの、
これが最後になるとは思っていなかったので、
急といえば急なことだったのだが、
それでもやはり私は5年ほどかけて、
母とゆっくりお別れをしていったように思う。

晩年、母と私の間では、
いろいろなことがありすぎた。

遺影の母はもういないということを、
私はだいぶ前から知っていた。

さらにもうひとつ、
祖母・父のときと違う事情がある。

それは、私の年齢。

祖母・父のときには、
まだまだこれから生きていくものとして
近しい人との別れを悲しんでいたと思うが、
今回はそんな若さはない。

ぼちぼち自分のことも考えていかないとなぁ…
そんなことを時折思ったのだった。

母に最後にかけたことばは
「ありがとう」だったと思うが、
そのひとつまえ、お棺に花を入れているときに
「いろいろあったけど、まあ引き継いでいくよ」
という言葉が、口をついて出たように記憶している。

なお、私は母に似ているらしく、
何人かの方からそう声をかけられた。

もしかすると棺のなかの母の顔より、
今の私の顔のほうが、
参列した方々が接していた頃の母の面影を
濃く宿していたかもしれない。

何をどう受け継ぐのか自分でもよくわからないが、
すでに受け継ぐともなく受け継いでいるような、
いやおうなく意識せず受け継いでいるような、
そんな気がしている。
 2014.08.30 Saturday 09:04 生と死について考える permalink  
母を送る夏(概要篇)
8月22日深夜、携帯電話の呼び出し音が鳴る。
発信者は母がお世話になっている老人ホーム。

時間帯から考えてただごとではないとわかるが、
ただごとのなさにもいろいろあるわけであり。

約1時間後、最大級のただごとのなさだと確定。

姉と連絡をとりあいながら帰省の準備。
遺影にできそうな写真を選び、
荷物をまとめる。

朝、娘を起こし、空港で姉と合流。

病院で親戚と合流。

霊安室で眠っている母に会えたのは
お昼前後だった。

 なお、このときの病院の対応が、
 その後も、姉と私のなかであとをひくことになる。

実家はもうないので、斎場内にて仮通夜。

葬儀社の対応は完璧。
迅速かつ滞りがなく、説明もわかりやすい。
細やかな気遣いとあたたかさ。



翌日の午前中、
母がお世話になった老人ホームに行き、
いそいで荷物の整理をする。
お葬式のあとでもかまわないとのことだったが、
相談の結果、この日の午前中に行くことにした。

午後、斎場にて「湯灌の儀」。

身体を洗い清めていただき、装束を着て、
口元を整え、お化粧をしていただく。

納棺。

通夜、葬儀・告別式。

葬儀は父のときと同様、神式にて。
 
 というわけで、
 お坊さんではなく宮司さん、
 木魚や磬子ではなく太鼓、
 お経ではなく祭詞、
 焼香ではなく玉串奉奠。
(ちなみにどれも正式名称はよくわからず)

仏式に慣れた方にとっては
少し不思議な雰囲気かもしれない。

そして最後のお別れ。

出棺。

火葬場へ。

祖母のとき、ボタンを押したのは私。
今回、母のボタンを押したのは娘。

いちど式場にもどり、
不浄払いと繰り上げ十日祭。

火葬場にもどり、拾骨。

葬儀場にもどり、お葬式はおわる。



翌日と翌々日は、
市役所での各種手続きのほか、
あれこれ相談。

東京へ。



「気持ち篇」を別に書こうと思っているので
淡々とした書き方になったが、
実際、終わってみれば、
あっというまの4泊5日だった。

一睡もせずに故郷入りして迎えた仮通夜では、
これから先、各種行事を乗り切れるだろうかと
体力的に少し不安だったが、
結局、夜は十分に眠ることができたし、
体調をくずすことなく、
務めを果たせてよかった。
 2014.08.28 Thursday 22:06 生と死について考える permalink  
どの時点での私の意思が、私の意思なのか。

たとえば延命治療拒否願いを
しっかりと書面でつくっておいたけれども、
いざそのときになったら、
やっぱり延命治療をしてほしいと思うことって、
ないだろうか。

その逆も。

しかし、事前に意思表示をしたのは
その段階で十分な意思表示ができない可能性が
高いからであり、
意思表示ができない段になって意思を変えても、
その変更を人に伝えることはできないということになる。

そう考えると、(受け取る側から見た)私の意思は、
すでに表示しているもの、
現在にもっとも近い過去の私の意思ということに
なるのだろうか。

延命治療拒否というような深刻な問題ではなくても、
日常的にこういうことってよくあるような気がする。

「あのときは気が動転していたので、判断力が落ちていた」
とふりかえってみたり、
「いざそのときになって、ようやく自分の本心がわかったよ」
と思ってみたり。

本当の自分の気持ちってなんだろう?



たとえば、いったん安楽死に賛成の意見を出した人が、
しばらくして反対の意見に変えた場合、
どちらがその人の意見になるのだろうか?
いまは反対ならば、それがその人の意見だろう。
では、その人がまた賛成に転じたら?

あんまり短期間に頻繁に2転、3転させると、
その人はもう信用してもらえないかもしれない。
いまはこう言っているけれど、
またすぐ意見が変わるにちがいない、というふうに。

では、意見を変えない人は、
変えないということだけで信用されうるか?

変わらないものだけが、本物であるか?

もし、変わらない意見だけが信用されるとしたら、
意見の交換や話し合い、
議論の意味はなくなってしまうと思う。

人が意見を変えるのは、
新しいことを知ったり、経験したり、
これまでよりも深く納得できる筋道に
出会ったりしたときだと思うけれども、
それを知らなかったり、経験していない自分は、
まだ本当の自分ではないのか?

意見を変えるということは、
自分の考えすべてが変わるということではなく、
自分の中にある確固たる“変わらない”大事なものに、
より近づく作業であるか?

安楽死に賛成でも反対でも、
その大事なものは変わっていないのか?

本当の自分の意見ってなんだろう?



そんなふうに考えていくと、
本当の自分って、
ないのかもしれないと思えてくる。

 2011.09.17 Saturday 07:12 生と死について考える permalink  
人生を人生に刻む、2つの方向。

この記事は、
大津秀一『「死学」 安らかな終末を、緩和医療のすすめ』
を読み終わった頃に書きかけて、
結局書き終われずに未投稿になっていたのだけれど、
やはりいったんこの記事を書いてしまわないと、
先に進めない気がしてきた。

というわけで、話はいったんもどります。



大津秀一さんはこの本の締めの部分で、
「人はその生き方を他者に刻むために生きている」、
私はそう思う、と書いておられた。

きっとそうなんだろうと思う。

もっといえば、“・・・ために生きている”というより、
そこに救いがあり、
生きる意味の拠り所があるのかもしれない。

しかし、そう思ったあとに、
次のような疑念が浮かぶ。

果たして人は、
自分が刻みたかったように、
他者にその人生を刻んでいるのだろうか?と。

あるいはそもそも、刻まれているのだろうか?と。

もしかすると、
刻んでいると自分で思い込んでいるだけかもしれない。

あるいは、
自分が望まない形で刻まれているかもしれない。



そこで今度は、
その「他者」に自分を置いてみる。
つまり、他者の他者である自分について考えてみる。

そして、自分は他者の人生を自分に刻んでいるか?
と自問してみる。

この問いにはYESと答えられそうな気がする。

少なくとも、「刻む」ことよりは「刻まれる」ことのほうが、
確かなものとして感じられる。

ということはやはり、
人はその生き方を他者に刻むことが可能なのだと思えてくる。

だって私は、自分に他者の人生を刻んでいるのだもの。
ならば、私も他者に自分の人生を刻むことは
できるんじゃないかしら・・・ そう思えてくる。

ただし、「どう刻まれているか」は、
あいかわらず確かめることはできない。

人生を人生にどう刻むかの管轄区域は、
刻むほうではなく刻まれるほうに、
かなり突き出しているように思う。

 2011.09.10 Saturday 11:15 生と死について考える permalink  
大津秀一『「死学」 安らかな終末を、緩和医療のすすめ』(小学館)

もう1冊、図書館から借りていた大津秀一さんの本
『「死学」 安らかな終末を、緩和医療のすすめ』
を読んだ。

緩和医療の大切さを訴える1冊。

本の最初に、
コピーして使える「延命治療拒否願」のページがついており、
つまりはそういう本である。

『感動を与えて逝った12人の物語』同様、
具体的にいろいろな「最期」が書かれてあるが、
当然のことながら、
『感動を与えて逝った12人の物語』にはない、
“みじめな死”も綴られている。
(なお、本人から最期の気持ちをきくことはできないので
著者から見た“みじめな死”ということになるかと思う)

私はふと、伊丹十三監督の『大病人』のことを思い出した。
あれはいつだったのだろうと思って調べてみたら、
1993年とのこと。18年も前なんだ。

この本が書かれたのは2006年だから、
『大病人』から10年以上たっている。

あの映画に、
気管切開して人工呼吸器につながれた患者さんや、
モルヒネ使用に躊躇する医者の様子も
出てきていた記憶があるのだけれど、
現状はあまり変わっていないのだなぁ、
医療って、進むところはどんどん進み、
進まないところは進まないんだなぁ・・・
としみじみ思うことであった。

医療も、というか、医療こそ、
アンバランスに発展してしまったのかもしれない。

そうだよね
お医者さんは、基本的に治したいものね。

私たちも、基本的に治してほしいものね。

特に驚いたのは、
そして怒りを感じると同時に落胆したのは、
本人が事前に文章でしっかりと
意思表示をしていたにも関わらず、
そして家族が懇願したにも関わらず、
鎮静薬を投与しなかった主治医の話。

なぜそんなことになったかというと、
主治医がリスクを負うことをさけたから、
ということらしい。
一読者の私は、直接、主治医本人に、
その意図をきいたわけではないけれど、
そういうことってあるだろうなぁ、とは思う。

最期にどんな主治医につくかで、
人生の終わりは左右されてしまいそうだな・・・

あと、家族の存在も大きいと思った。
いろいろな意味で、とても大きい。

なお、この本にはAmazonで
現時点で3件レビューがついており、
緩和ケア施設で働いていて
ホスピスで身内を看取った経験があるという方から、
低めの評価がつけられていることは、
少し心にとめておいたほうがいいように思った。

そうだとしても、この本から受け取れることは、
確かにある。

 2011.08.21 Sunday 16:11 生と死について考える permalink  
大津秀一『感動を与えて逝った12人の物語』(致知出版社)

大津秀一『感動を与えて逝った12人の物語』を読んだ。
著者は緩和医療のお医者さん。

前半は図書館で読んだのだが、
図書館で落涙したのって初めてかもしれない。

人はこんなにも、
だれかに何かを遺すことができるんだなぁ・・・

著者にとって印象深い場面のディテイルが
丁寧に描かれているため、
1人1人の姿形が目にありありと浮かび、
病室の風景や季節を肌で感じることができる。
まるで私もその場にいるみたい。
私もみんなのことを知っているみたい。

著者を通して、
私も彼らから何かを受け取ったのだと思う。

そうか、こんな生き方、逝き方ができるんだ。

もちろん、そこに登場する人たちは、
みなさんそれぞれにすごい人たちで、
うるうるしながら「ちょっとできすぎじゃないかい?」
なんて思った瞬間もあったのだけれど、
何しろ著者が死を見届けた1000人のなかの
選ばれた一握りの人たちなのであり、
文字通り「できすぎている人たち」なのだろうと思う。

自分はそこまでできないとしても、
こういう終わり方ができることを知ることは、
どんな生き方をしたいかを考えることにつながるし、
勇気をもらえる。

また、経済や宗教や戦争といったような、
個の物語を超えたところにあることがらも、
それぞれの人生に織り交ざる形で浮き上がってくる。

ただ、12人目も終わったあとの、
最後の締めの部分はしっくりこなかった。

「うーん、そんなふうにまとめていいのかな・・・
その言葉でいいのかな・・・」と、
もったいなく感じた。

それにしてもこの著者、
医者としての使命感もさることながら、
文章を書くのが好きで書いているんだろうな。

彼が中学生のときに
書いていた文章はなんだったのだろう?

と、この本のオープニングを思い返すことであった。

 2011.08.18 Thursday 09:56 生と死について考える permalink