喪中はがきの作業中に、意外な法律を知った。/満年齢と数え年
8月に母が亡くなったので、今年は喪中の私。

私自身は年賀状を出す相手は限られてきているので、
寒中見舞いという道もないことはないのだが、
母の関係者で、母が亡くなったことを知らない可能性がある方々
(数年前まで、年賀状をくださっていた方々など)に
母の訃報を知らせる機会でもあるため、
喪中はがきを印刷してもらうことにした。

で、考え込むと困ってしまうのが亡くなった年齢。
ネットで調べると数え年を書くのが一般的とある。
そういえば、墓碑も数え年で彫ってもらった。

が。

ここにきて、その数え年の数え方が間違っていたと判明。
どうやら生まれたときにすでに1歳になっていて、
お正月のたびに1歳としをとるので、
その年の誕生日を迎える前に亡くなった場合は、
満年齢+2才ということになるらしいのだ。
http://en-park.net/words/2395
http://zoto.jp/faq/answer.html?id=271&c=sou&text=

石材屋さんに依頼したとき、
数え年で入れるという話になったが、
そんな数え方は言ってなかったぞ〜〜
(内容をFAXしたとき母の生年月日も入れておいたのだが)

っていうか、それならば父の享年も間違っていることになる。
(どちらも、誕生日を迎えていなくて満年齢+1歳)

で、あれこれ調べていたら、質問掲示板経由で、
「年齢のとなえ方に関する法律」なるものがあることを知った。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1037293620

ウィキペディアの説明のなかの「背景」の1と4を読んで、
「おお〜〜」と思いましたよ私。

1.「若返る」ことで日本人の気持ちを明るくさせる効果

4.配給における不合理の解消

当時切実だった理由は4の「配給」の問題であったそう。
12月に子供が生まれ
翌年2月に「2歳だ」という理由でキャラメルが配給されたり、
「満年齢」では50代であるのに
「数え年」では60代という理由で配給量を減らされたり。

なるほど、そういう歴史があったのかぁ、
と思うことであった。

私自身、これまでいただいた欠礼状で、
実年齢かな?数え年かな?と
疑問に思ったことはないし、
それで何か困ることは起こらないですよね?

お墓のことはともかく、もう満年齢でいいかしらん!?

で、姉と相談して、新聞に出したときも満年齢だったし、
満年齢でいくことにした。

数え年を気にするのは娘の七五三以来()だと思うが、
それにしてもどうしてこういうときには、
こういうことが気になるのだろう?
 2014.10.30 Thursday 09:08 生と死について考える permalink  
「忌中」の忌
9月に、とあるママランチ会のお誘いをする予定でいたのだが、
「あれ?いまそういうことやっていいのかな・・・」
とふと気になりはじめ、お祝い事ではないにしろ
少なくとも意気揚々と企画するのは控えるべきかもしれない、
と思うにいたり、関係者2人にその旨メールした。

もう1件、別のランチも、事情を話して欠席にした。
(他の事情もあり、延期)

意外と気にするタチなんだな…と自分で思ったが、
こういう面でも祖母・父のときと事情が異なるかもしれない。
祖母・父のときには、こんなふうに、あっというまに
普段の生活にもどることはなかったので。

これまで喪中と忌中の違いさえ知らなかった。
というか、忌中の読み方さえわかっていなかった気がする。

忌中と喪中の違いについては、こちらをリンクさせていただきます。↓
http://www.sohappydays.net/archives/120

他にも、忌中にやってはいけないことなど
あれこれ検索してみた。

確か娘に漢字をきかれて気づいたと記憶しているが、
忌中の「忌」って、己の心と書くのですよね。
おのれの、こころ・・・?

成立ちを調べてみたら、
次のようなことが書いてあった。
http://www.navitown.com/fukusenji/qa2/qa2.cgi?mode=dsp&no=20&num=
「心」と「己(キ)」という音符が組み合わさった形声文字 「己」には押さえつけられたものが 起きあがるという意味があることから 心中にハッと抵抗が起きて 素直に受け入れられない気持ち すなわち肉親などの死を表すようになりました

一方、ウィキペディアで「己」は次のように説明されている↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B1

「己」という文字を見ると
「自己」という熟語を思い出して
「おのれ」と思ってしまうのだが、
もしかするとこの漢字に
直接「おのれ」の意味はないのだろうか。

いずれにせよ、
「忌」を「おのれのこころ」と解釈するのは
早とちりという気がしてきた。

ところで、「忌む」という言葉には、
こういう意味があるらしいのだが↓
http://www.weblio.jp/content/%E5%BF%8C%E3%82%80
そもそも忌中にお祝い事をしてはいけないのは、
自分の近親者が亡くなって死によって穢れているからなのかしらん?
と思っていたのだが、
上記の意味で考えると、むしろ穢れを避ける、
ということになりそう。

いま私は穢れているの、穢れを避けているの、
どっちなの?

自分のための忌中なの、
他者(社会)に向けての忌中なの、
どっちなの?

弔いに専念するための「忌中」ととらえればわかりやすいが、
そもそも「死」というのは穢れなんだろうか。

あ、穢れって、のぎへんに歳なんだ・・・
 2014.09.06 Saturday 11:28 生と死について考える permalink  
母を送る夏(気持ち篇)
母を送る夏(概要篇)



母の訃報をきいて空港に向かう間、
自分のなかに妙な感情が生じていた。

悔しさと言うと大げさだが、
ある種の″ヤラレタ感″。

それは、母がベストなタイミングで
逝ったことに対して。

姉の仕事が忙しくない時期だったこと。

娘がまだ夏休み中だったこと。

そして、8月上旬に私と娘は母に会えている。

私の仕事も一段落していた。

これがたとえば娘の高校入試の直前だったりしたら、
大変だっただろう。

私の勝手な妄想のなかで
「tataちゃんどうよ?」という
母のドヤ顔が浮かんでくるような気がした。

それが今度はそのまま
自分へのプレッシャーとなる。

私はこんなふうに、
ベストのタイミングで逝けるだろうか?



病院の霊安室で眠る母に会ってから
お葬式のすべてが終わるまで
私が泣いたのは4回くらいだったと記憶している。
(時折、鼻くらいはすすっただろうが)

母との別れを惜しんでというより、
母との別れを惜しむ人のこみあげる悲しみに
感応しての涙だった。

うち2回は、母とつきあいの深かった
教師仲間の方々の悲しみ。

1回は、参列してくださった
老人ホームのスタッフの方の悲しみ。

そして告別式のあとの姉の挨拶中には、
さすがに涙の筋が頬を伝った。

しかし、母の顔を見ても、遺影を見ても、
直接的な悲しみはこみあげてこない。

なぜなのか。

まず、祖母・父のときと違って、
亡くなるまでの数ヶ月を
ともに過ごしていない、
そのことがとても大きいと思った。

それに加えて言えることは、
私は時間をかけて少しずつ、
母とお別れをしてきたということ。

8月上旬に会ったとき、
ずいぶん衰えてきたなとは感じていたものの、
これが最後になるとは思っていなかったので、
急といえば急なことだったのだが、
それでもやはり私は5年ほどかけて、
母とゆっくりお別れをしていったように思う。

晩年、母と私の間では、
いろいろなことがありすぎた。

遺影の母はもういないということを、
私はだいぶ前から知っていた。

さらにもうひとつ、
祖母・父のときと違う事情がある。

それは、私の年齢。

祖母・父のときには、
まだまだこれから生きていくものとして
近しい人との別れを悲しんでいたと思うが、
今回はそんな若さはない。

ぼちぼち自分のことも考えていかないとなぁ…
そんなことを時折思ったのだった。

母に最後にかけたことばは
「ありがとう」だったと思うが、
そのひとつまえ、お棺に花を入れているときに
「いろいろあったけど、まあ引き継いでいくよ」
という言葉が、口をついて出たように記憶している。

なお、私は母に似ているらしく、
何人かの方からそう声をかけられた。

もしかすると棺のなかの母の顔より、
今の私の顔のほうが、
参列した方々が接していた頃の母の面影を
濃く宿していたかもしれない。

何をどう受け継ぐのか自分でもよくわからないが、
すでに受け継ぐともなく受け継いでいるような、
いやおうなく意識せず受け継いでいるような、
そんな気がしている。
 2014.08.30 Saturday 09:04 生と死について考える permalink  
母を送る夏(概要篇)
8月22日深夜、携帯電話の呼び出し音が鳴る。
発信者は母がお世話になっている老人ホーム。

時間帯から考えてただごとではないとわかるが、
ただごとのなさにもいろいろあるわけであり。

約1時間後、最大級のただごとのなさだと確定。

姉と連絡をとりあいながら帰省の準備。
遺影にできそうな写真を選び、
荷物をまとめる。

朝、娘を起こし、空港で姉と合流。

病院で親戚と合流。

霊安室で眠っている母に会えたのは
お昼前後だった。

 なお、このときの病院の対応が、
 その後も、姉と私のなかであとをひくことになる。

実家はもうないので、斎場内にて仮通夜。

葬儀社の対応は完璧。
迅速かつ滞りがなく、説明もわかりやすい。
細やかな気遣いとあたたかさ。



翌日の午前中、
母がお世話になった老人ホームに行き、
いそいで荷物の整理をする。
お葬式のあとでもかまわないとのことだったが、
相談の結果、この日の午前中に行くことにした。

午後、斎場にて「湯灌の儀」。

身体を洗い清めていただき、装束を着て、
口元を整え、お化粧をしていただく。

納棺。

通夜、葬儀・告別式。

葬儀は父のときと同様、神式にて。
 
 というわけで、
 お坊さんではなく宮司さん、
 木魚や磬子ではなく太鼓、
 お経ではなく祭詞、
 焼香ではなく玉串奉奠。
(ちなみにどれも正式名称はよくわからず)

仏式に慣れた方にとっては
少し不思議な雰囲気かもしれない。

そして最後のお別れ。

出棺。

火葬場へ。

祖母のとき、ボタンを押したのは私。
今回、母のボタンを押したのは娘。

いちど式場にもどり、
不浄払いと繰り上げ十日祭。

火葬場にもどり、拾骨。

葬儀場にもどり、お葬式はおわる。



翌日と翌々日は、
市役所での各種手続きのほか、
あれこれ相談。

東京へ。



「気持ち篇」を別に書こうと思っているので
淡々とした書き方になったが、
実際、終わってみれば、
あっというまの4泊5日だった。

一睡もせずに故郷入りして迎えた仮通夜では、
これから先、各種行事を乗り切れるだろうかと
体力的に少し不安だったが、
結局、夜は十分に眠ることができたし、
体調をくずすことなく、
務めを果たせてよかった。
 2014.08.28 Thursday 22:06 生と死について考える permalink  
補足
大内さんの被曝治療を通して考えた、免疫力のこと
において、

放射線被曝というのはそういうものなのだと、
しみじみ感じた。

と書きましたが、
もちろん一言で放射線被曝といっても
いろいろなレベルがあるかと思います。

大内さんの場合、
20シーベルト前後の放射線を浴びたと
推定されているようです。
(ミリシーベルトではなく、シーベルト)

ものすごい量です。
 2011.09.23 Friday 09:24 生と死について考える permalink  
大内さんの被曝治療を通して考えた、免疫力のこと
『朽ちていった命―被曝治療83日間の記録―』(新潮文庫)
に綴られている、
大内さんの被曝した身体の状態の記述で
最も衝撃的だったのは、
ばらばらに破壊されて同定できない染色体の写真だった。

染色体がばらばらに破壊されたということは、
今後新しい細胞は作られないことを意味する。

たった零コンマ何秒かの瞬間に、
すべての臓器が運命づけられる。

放射線被曝というのはそういうものなのだと、
しみじみ感じた。(>補足

染色体が破壊されたことによって
大内さんの体に最初に異常が現われたのは、
血液の細胞だった。

なかでも白血球への影響は深刻で、
白血球のなかで重要な働きをするリンパ球は、
被曝数日後にはまったくなくなったという。
白血球全体も急激に減少していた。

したがって、大内さんは体の抵抗力(免疫力)を、
ほとんどなくした状態になってしまっており、
健康な人であれば問題のない
ウィルスや細菌などが異常に増える
「日和見感染」を起こしやすい、
きわめて危険な状態に陥っていた。

大内さんを感染症から守るためには、
一刻も早く体に入り込んだ細菌やウィルス、
真菌(カビ)を見つけて、
体の中で増えないうちに薬を投与する必要がある。

しかし、大内さんの体にはリンパ球がないので、
「抗体検査」ができない。

もう1つ、PCR(「核酸増幅検査」)という方法があり、
これはウィルスの核酸を特殊な装置で増やす検査だが、
結果が出るのに数日かかるので、
感染が見つかっても手遅れになる恐れがある。

そこで導入されたのが、1ヶ月あまり前に完成された
「リアルタイムPCR」という機器だった。
原理的にはPCRと同じ仕組みだけれども、
DNAが増えていく様子を
リアルタイムで追跡することができる。

また、検出用の「プライマー」
(検出したいウィルスやカビなどのDNAと結合する塩基)
も工夫した。

そんなふうにして無菌治療部の担当チームは、
5種類のウィルスと2種類のカビを監視することにした。

私がこれらの記述を読んで感じたことは、
大内さんの体に大変なことが起こっている、
ということと同時に、
人間の体って、もともとなんてすごいんだろう、
ということだった。
さらには、私たちが生きている環境には、
なんと敵が多いのだろう、ということ。

人工呼吸器や胃ろうのことを考えるときは、
生命維持のために必要な事として、
呼吸や栄養補給のことに気持ちが向かうのだが、
それは、生き物が生きていくために、
必要なものを取り入れるという発想だ。
しかし、生きていくためにはそれだけではなくて、
敵から身をまもらなければならない。

生きていくというのは、なんというすごい作業なのだろう。

実は、ついこのあいだ映画「ライフ」を観に行って、
本編は面白かったのだが、
最後のまとめにちょっと残念なものを感じてしまった私。
こうまとめるしかないのだろうなぁ・・・とは思ったが、
そこにある「ライフ」に、
人間の“ライフ”は含まれていないのではなかろうか、
という気がした。
そして、含まれていないこそのこと自体よりも、
そこを意識できているかどうかが気になった。
(まあ、それを求める映画でもないとは思うが、
人生変わるかな?という気持ちをもって観にいった私は、
ついつい贅沢になってしまったのだった)

でも、上記のような免疫の話をきくと、
人間の体だって、生きようとしている、
生き抜こうとしているじゃないか、と思えてくる。

必要なものを取り入れようとし、
自分の身に害を及ぼすおそれのある敵と戦いつつ、
その緊張感のもとで命をつないでいる。

その営みに、私の「意思」は関与できているか?

自己と他者、医療の発展と過剰医療、
老いと寿命、病気、障害、
安楽死と延命治療拒否の問題などについて考えていると、
「自然ってなんだろう?」ということと、
「いろいろなものの線引きはどこにあるのだろう?」
というところに考えはいきついて、袋小路にはまる。

そうして思う。

生きていくのには覚悟がいる、と。

その覚悟を、どんなふうにもてばいいのか?

以前、別のブログの、
姜 尚中 『悩む力』---「老い」について
という記事において、こんなことを書いたことがある。
 最近、思うんですよね。「老い」をなめちゃいかんのじゃなかろうかって。食習慣や医療や文化が変わっても、人間の身体そのものの生物的な耐性は、それに見合うほどは変わらないのではないのだろうかって。その結果、かなり身体に無理をさせて、私たちは老いを生きることになるのではなかろうかって。
ALS患者の生き方や、
大内さんの被曝治療の話をきくと、
人間は、身体そのものの生物的な耐性は
変化させることはできないが、
その耐性を、身体の外部にもつことはできるのかもしれない、
と思えてくる。
 2011.09.22 Thursday 11:26 生と死について考える permalink  
大内さんの一周忌のあと、妻から医師に届いた手紙

『朽ちていった命―被曝治療83日間の記録―』(新潮文庫)
の最後の部分、大内さんが亡くなったあとのところを
読み直している。

大内さんの死から1年が過ぎたころ、
治療を担当した医師のもとに、
大内さんの妻から手紙が届いた。

無事一周忌の法要をすませたことや、
大内さんの実家を出て息子さんと二人で
暮らすようになったことなどを報告したあと、
手紙にはこう綴られていたという。
(ルビ省略)

「事故以来、ずっと思うことは、自分勝手と言われるかもしれませんが、例え、あの事故を教訓に、二度と同じような不幸な事故が起きない安全な日々が訪れたとしても、逝ってしまった人達は戻って来ることはありません。逝ってしまった人達に“今度”はありません。
 とても悲観的な考えなのかも知れませんが、原子力というものに、どうしても拘わらなければならない環境にある以上、また同じような事故は起きるのではないでしょうか。所詮、人間のする事だから・・・・・・という不信感は消えません。
 それならば、原子力に携わる人達が自分達自身を守ることができないのならば、むしろ、主人達が命を削りながら教えていった医療の分野でこそ、同じような不幸な犠牲者を今度こそ救ってあげられるよう、祈ってやみません」
 2011.09.20 Tuesday 12:46 生と死について考える permalink  
東海村臨海事故で亡くなった大内さんの遺体から、司法解剖を担当した医師がきいた声
久しぶりに、NHK「東海村臨界事故」取材班による
『朽ちていった命―被曝治療83日間の記録―』(新潮文庫)
を開いている。

東海村臨界事故による被曝で亡くなった大内さんの遺体は、
検察官の指揮下で司法解剖がおこなわれた。

担当した医師は、
これまで3000体余りの遺体を解剖してきたが、
大内さんの遺体を見たとき、
驚きを隠すことができなかったという。

正面から一見すると真っ赤に火傷をしたような状態だったが、
全身が真っ黒になった焼死体とは違っていて、
放射線が当たったと思われる体の全面だけが
ひどい火傷のような状態になっていた。
皮膚の表面が全部失われ、血がにじんでいた。
背面はあくまでも白く、正常な皮膚のように見えた。
放射線が当たったところと、
そうでないところの境界がくっきりと分かれていた。
このような遺体を見たのは初めてだったという。

臓器の変化もいままでに見たことのないものだった。
腸はふくらんで大蛇がのたうちまわっているように見えた。
胃には2040g、腸には2680gの血液がたまっていた。
また、体の粘膜という粘膜が失われ、
腸などの消化管粘膜のみならず気管の粘膜もなくなっていた。
骨髄にあるはずの造血幹細胞もほとんど見あたらなかった。

担当医師がもっとも驚いたのが、筋肉の細胞だった。
通常、筋肉の細胞は、
放射線の影響をもっとも受けにくいとされているが、
大内さんの細胞は繊維がほとんど失われ、
細胞膜しか残っていなかった。

そのなかで一つだけ、筋肉細胞が鮮やかに赤く、
きれいに残っていた臓器があった。

心臓。

心臓の筋肉だけは、放射線に破壊されていなかった。

担当医師は、後にこのことを振り返って、
次のように語っているという。
(かなり長くなりますが、そのまま引用します。
 ルビ省略→匂(にお)い)

「どうして心臓だけが、しっかりとした筋肉を保ちつづけ、他の筋肉細胞は破壊されたのか、文献を調べても臨床医たちと議論しても、その理由はわからなかったんです。放射線の影響なのか、それとも被曝治療に使われた薬剤の影響なのか。結論はいまだに出ていません。
 ただ、私には、大内さんが自己主張をしているような気がしました。
 大内さんにかぎったことでなく、亡くなった方はいつも、自分の意思に反して解剖されます。だれも解剖されることはおろか、亡くなることさえ望んでいなかった、予想もしていなかったはずなんです。それを、いわば国家権力によって解剖するのが、自分の仕事である司法解剖だと私は常々思っています。
 だからこそ、ご遺体が何を言いたいのか、その声を聞き取らなければならない。それは自分たち解剖医にしかできないことなんです。集中力をもって観察し、記録することで、その人の声に必死で耳を傾けるのが私たちの仕事だと思っています。
 大内さんの痛々しい臓器の状態から、ああ、大内さんは一生懸命生きてきたんだな、本当にがんばってきたんだな、と感じました。
 そのなかで、一つ鮮やかに残っていた心臓からは「生きつづけたい」という大内さんのメッセージを聞いた気がしました。心臓は、大内さんの「生きたい」という意志のおかげで、放射線による変化を受けずに動きつづけてこられたのではないかという気さえしました。
 もう一つ、大内さんが訴えていたような気がしたことがあります。
 それは放射線が目に見えない、匂いもない、普段、多くの人が危険だとは実感していないということです。そういうもののために、自分はこんなになっちゃったよ、なんでこんなに変わらなければならないの、若いのになぜ死んでいかなければならないの、みんなに考えてほしいよ。
 心臓を見ながら、大内さんがそう訴えているとしか思えませんでした」
 鑑定人として、通常は解剖の詳細を語ることはできない。しかし、三澤は自分が大内の遺体から聞き取った声を、可能なかぎり社会に伝えなければならないと思った。
 2011.09.19 Monday 12:42 生と死について考える permalink  
どの時点での私の意思が、私の意思なのか。

たとえば延命治療拒否願いを
しっかりと書面でつくっておいたけれども、
いざそのときになったら、
やっぱり延命治療をしてほしいと思うことって、
ないだろうか。

その逆も。

しかし、事前に意思表示をしたのは
その段階で十分な意思表示ができない可能性が
高いからであり、
意思表示ができない段になって意思を変えても、
その変更を人に伝えることはできないということになる。

そう考えると、(受け取る側から見た)私の意思は、
すでに表示しているもの、
現在にもっとも近い過去の私の意思ということに
なるのだろうか。

延命治療拒否というような深刻な問題ではなくても、
日常的にこういうことってよくあるような気がする。

「あのときは気が動転していたので、判断力が落ちていた」
とふりかえってみたり、
「いざそのときになって、ようやく自分の本心がわかったよ」
と思ってみたり。

本当の自分の気持ちってなんだろう?



たとえば、いったん安楽死に賛成の意見を出した人が、
しばらくして反対の意見に変えた場合、
どちらがその人の意見になるのだろうか?
いまは反対ならば、それがその人の意見だろう。
では、その人がまた賛成に転じたら?

あんまり短期間に頻繁に2転、3転させると、
その人はもう信用してもらえないかもしれない。
いまはこう言っているけれど、
またすぐ意見が変わるにちがいない、というふうに。

では、意見を変えない人は、
変えないということだけで信用されうるか?

変わらないものだけが、本物であるか?

もし、変わらない意見だけが信用されるとしたら、
意見の交換や話し合い、
議論の意味はなくなってしまうと思う。

人が意見を変えるのは、
新しいことを知ったり、経験したり、
これまでよりも深く納得できる筋道に
出会ったりしたときだと思うけれども、
それを知らなかったり、経験していない自分は、
まだ本当の自分ではないのか?

意見を変えるということは、
自分の考えすべてが変わるということではなく、
自分の中にある確固たる“変わらない”大事なものに、
より近づく作業であるか?

安楽死に賛成でも反対でも、
その大事なものは変わっていないのか?

本当の自分の意見ってなんだろう?



そんなふうに考えていくと、
本当の自分って、
ないのかもしれないと思えてくる。

 2011.09.17 Saturday 07:12 生と死について考える permalink  
発信する身体、受信する身体。
川口有美子『逝かない身体―ALS的日常を生きる』
のあとがきに、小泉義之さんという方のお名前が出てくる。
私は以前、まったく別のことで、
ちょっとだけこの方の文章に触れる機会があったので、
「え?」と思ったのだけれど、大きなくくりで見れば、
まったく別のことでもないのかもしれない。

『逝かない身体―ALS的日常を生きる』は、
あるイベントの資料集に収録されている
川口さんの文章がきっかけとなって
企画されたものであるらしいのだが、
川口さんはその文章を、
次の一文に触発されて書いたという。

「病人の闘病の経験、病人における病んだ肉体の経験、
これを心理化することなく、的確に記述する理論と倫理
を獲得する必要がある」
(小泉義之「受肉の善用のための知識―生命倫理批判
序説」より/『現代思想』2003年11月号)

なお、上記の論文名で検索してみると、
おそらく同じ文章からの引用と思われるものが
いくつか書かれてあるページにたどりつくことができる。
果たしてそれは川口有美子さんの抜粋だ。

p85からは、次の部分が抜き出されている。
いまや苦笑をもってしか受け止められない陳腐な言い方になるが、現在の生命科学技術と医療の水準は過去の病人たちの闘病の成果である。そして、現在の病人は、自己の肉体のためだけでなく、将来の病人の肉体のためにも闘病している。病人は、受肉の次元においては、自己のためにではなく、他者のために生きているし、そうならざるをえない。そのような病人たちの肉体の絆を肯定すること、それに見合う仕方で、肉体についての知識探求を始めること、これが生命倫理にとっては「超倫理的」であらざるをえない、受肉の善用のための知識の探求の方向である。

“病人”に限らず、
自己の生の意味を他者と結びつける記述は、多い。

その「他者」とは、
いまをともに生きる他者の場合もあるだろうし、
将来の他者である場合もあるのだろう。

また、特定のだれかである場合もあり、
不特定多数のだれかである場合もあるのだろう。

上記の“善用”という言葉の意味するところは
それなりに幅があるとは思うけれども、
平たくいえば、「役に立つ」と言い換えることが
できるのではなかろうか。
もっといえば、「無意味ではない、無駄ではない」と。

川口有美子さんは、
『逝かない身体―ALS的に地上を生きる』のp182において、

病人のなかには、自分では生きる意味も見出せず、呼吸する動機さえ乏しくなっていく者もいる。しかし、生きる意味は「他者」によって見出されるものでもあろう。
と書いている。

この場合、ある人の生きる意味を見出すのは、
ある人自身ではなく、他者ということになるのだろうか。
つまり、自分の生きる意味は、
他者に見出してもらわなければならない、
ということになるのだろうか。

逆にいえば、ある人が見出せる生きる意味は、
他者の生きる意味なのだろうか。

あるいは、私の生きる意味を
他者が見出してくれていると実感できることが、
私の生きる意味の見出しであるだろうか。

さらにp194においては、
 母の体験も私の苦労も無駄ではなく、誰かの役に立つかもしれない。それなら母もきっと喜んでくれるだろう。
と書いている。
真夜中に友人たちと語りあった
ハイテンションな状況でのこととはいえ、
このような発想は確かに川口さんの中に
生じただろうと思う。
そうして実際、精力的に活動されているように思う。

先日、本からの抜粋を前半後半に分けて示したが、
私のバイアスが思いきりかかっているとはいえ、
やはり前半と後半ではずいぶんと雰囲気が違う。

川口さんが、おかあさんの病気に
---刻々と進行する病状の“変化”そのものに---
慣れていったということもあるだろうけれど、
有美子さんとおかあさんのコミュニケーションは、
有美子さん側の受信の姿勢に
完全に委ねられるようになってからのほうが、
良好になっているように私には思える。

そして、その頃には
---有美子さんが温室で蘭を育てるように
おかあさんを大切にする頃には---
発信と受信の能動性と受動性が逆転している。

母親が娘に細かい注文を出すことは能動的な発信であるが、
有美子さんが母親の身体の声を直接きこうとするとき、
それは能動的な受信であり、
そこに受動的な発信が成立する。

なお、この本についての野崎泰伸さんのレビューの中に、
患者本人は世界を受信することは可能だ。発信こそ困難ではある――最近ではさまざまな工夫、機械と身体との接合によってそれも徐々に可能になりつつある――が、この世界を感受し、重力に身をゆだねながら生きることもそう悪いことではない。

と書いてあるが、
『逝かない身体』の終盤で、
この記述に対応する箇所がある。
(おかあさんがなくなったあと、
有美子さんはおかあさんが寝ていたベッドに寝て、
そこから何が見えるか、何を感じられるかを
追体験している)

しかし、意思疎通のできなくなった
有美子さんのおかあさんが、
本当は何を感じ、何を思って生きていたのか、
それはだれにもわからないと私は思う。

確かなことは、
有美子さんがおかあさんの身体から
直接きいた声があるということ。

つまり私はこの本を、
川口有美子さんのおかあさんの物語としてではなく、
川口有美子さん自身の受信の物語として
読んだように思う。

有美子さんの研ぎ澄まされた感受性、
そして懸命な受信により、
有美子さんのおかあさんの身体からの発信が、
成立したのだと思う。

さらには、その感受性に見合うだけの
表現力をもっていた有美子さんが、
今度は書き言葉を使って自らの体験を
迫力のある1冊の本として発信し、
それを読者である私が受信したのだと思う。



ところで、受信、発信について考えはじめたころ、
受肉という言葉のことは意識していなかったのだけれど、
あらためて考えてみると、
受肉という言葉にも、「受」という文字が含まれている。

さて、では受肉というとき、私たちは、
どこから肉体を受け取ったのだろう。

肉体を受け取る私は、どういう存在なのだろう。
 2011.09.14 Wednesday 08:19 生と死について考える permalink