お名前間違い訂正
仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想
―ポストモダンとは何だったのか―』より
において

   (誤)安部 → (正)安倍

m(__)m
 2012.11.28 Wednesday 17:53 シンプルライフについて考える permalink  
仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか―』より
少し前から、ポストモダンについて考えている。
TETRA’S MATH
ポストモダン、構造主義、ポスト構造主義

で、こんな本を読んでいる↓
『集中講義!日本の現代思想
―ポストモダンとは何だったのか―』
(NHKブックス/仲正昌樹著/2006)

ポストモダンについて考えるようになって、
この本のことは気になっていたのだが、
私が苦手なタイプの文体かもしれないと思い、
躊躇していた。

そうしたら松岡正剛さんが、
仲正昌樹を読むならこれがいいんじゃないか、
なんて書いているものだから、
じゃあ読んでみようということで購入したしだい。
http://1000ya.isis.ne.jp/1375.html
(【参考情報(2)】)

確かに面白い。
空回りしたマルクス主義の分析から始まり、
「現代思想」の背景と“終焉”の内実にせまっていく。

松岡正剛さんが
「ぼくの見方とは異なるところも多々あるが」
という、その異なる部分をきいてみたいが、
これだけ書いてあれば、
なんかかんか違ってくることだろう。

文体は大丈夫だった。
少なくとも本文には、
斜に構えた感じや衒い、
傍観者的エラそうな感じはない。

「あとがき」は少しくだけた文体になっているが、
内容は本文とは別の意味で面白かった。

で、私は序文から、なるほどと思ってしまったのだ。
・・・、ポストモダン思想あるいは日本の「現代思想」では、絶え間なき記号の戯れを通して再生産され続ける「流行」という消費社会的な現象を批判的に分析することが大きなウェートを占めていたが、日本の場合、「現代思想」自体が“流行商品”として消費され、使い捨てにされたきらいがある。思想自体が“流行商品”になってしまうというのは、ある意味、ポストモダンの最先端をいくような話にも思えるが、完全に使い捨てにしてしまうのは、「思想史」的には損失である、と-----依然として、近代的な節約の精神を捨てられない-----私は思っている。
  (p.23〜24)

これは、私の
“シンプルライフに対する不安”
にとても近い話で、
そして反対になっているのが面白い。

私は、シンプルライフは流行・消費と対極にあり、
したがってシンプルライフが流行・消費されると
他のものが流行・消費されるよりも
ややこしくなる、と思っていた。

しかし、ポストモダンは、
自分自身が流行・消費されることで、
自己消滅しながら自己証明していった、
と考えることもできるかもしれないなぁ・・・
なんてことをこのたび思った。

それはそうとしても、
あとがきを読むにつけ、
やはり書かれた時代のことを思う。

刊行は6年前だから、
そんなに大昔じゃない。

大昔じゃないけれど、
「安倍新総裁・新首相」という文字を見ると、
「おおっ」と思ってしまいませんか?

あれから時代は何巡りしたのだろう。
あるいは、まったく巡っていないのか。

とにもかくにも思うことは、
高度経済成長期に子ども時代をすごし、
ポストモダン花盛りの頃に
大学生時代を過ごした私って、
なんてシアワセモノで、
そしてもしかすると、
とんでもない時代を生きてきたんだろう・・・
ということ。

そのなかで、いったい私は
自身に何を育んできたのだろうか。

なお、仲正さんとは1歳違い。
したがって、ともにシアワセで
とんでもない時代を生きてきたお仲間。

あとがきには、こんなことも書いてあった。
 私にとってマジで気持ち悪いのは、「安倍の「美しい国」は危ない!」と叫んでいるサヨクの人たちが、やたらと生き生きしていることである。
  (p.249)

こういうときに「マジ」という言葉を使われると、
個人的に(感性として)引用が憚られるので、
もっと普通に書いてほしいと思うわけなのだけれど、
そういう瑣末なことをおいといて、
この指摘は印象的だった。

あれから状況は変わったが、
いまも“生き生きと”叫んでいる人はいるだろうか。

すべてが変わらないということはないし、
すべてが変わるということはない。

いつでも何かが変わり、
何かが変わらない。

ということだけは、変わらないのかもしれない。
 2012.11.28 Wednesday 12:49 シンプルライフについて考える permalink  
2冊め出ちゃってるし>ときめく片づけ
「断捨離」批判について考えるにおいて、
近藤麻理恵さんの2冊めの本は
たぶん出ないだろうと書いたけれども、
きょう書店で続編を見つけた。
1冊めと同じサンマーク出版からで、
タイトルも「人生がときめく片づけの魔法2」。

2012年10月発行だと思う。

うー、なんだろうこのタイミング・・・

 2012.10.06 Saturday 19:30 シンプルライフについて考える permalink  
お名前の漢字間違い
『人生がときめく片づけの魔法』の著者のお名前を、
記事のあっちこっちで「近藤真理恵さん」と書いていました。
「近藤麻理恵」さんですね。“あさ”なのね。
失礼いたしました。
 2012.09.24 Monday 08:37 シンプルライフについて考える permalink  
補足→「断捨離」批判を考える>資格について

「断捨離」批判について考えるについて、
資格のことを書きましたが、
このあたりは詳細に調べたわけではないので、
何か勘違いや、私が把握していないことも
あるかもしれません。

たとえば、それぞれの資格が、
それこそ登録商標的なものなのかどうかも
(ある特定の団体しか認定できないのか)
よくわかっていません。

 少なくともコーチングは一般名詞かな?
 あ、ライフオーガナイザーは商標登録済みだって↓
 http://jalo.jp/lifeorganizers/

それから、ハウスキーピング協会
「特定非営利活動法人/一般社団法人」
とのことなので、講座・認定というサービス(?)の提供は
利益を目的としていないのでしょうね。
そういう意味では、ビジネスという言葉を
使って語ってはいけないのかもしれません。
(ついでに念をおしますと、
ビジネス化=いけないこと、
という意味ではまったくありません)

このあたりのことは、
機会があったらまた考えたいと思っています。

 2012.09.23 Sunday 08:18 シンプルライフについて考える permalink  
「断捨離」批判について考える
いつだったか姉と、
近藤麻理恵さんの本の続編は出るだろうか?
という話をしたことがある。

たぶんないだろう。

2冊目を出した時点で、
1冊目の価値がむしろさがってしまうと思うから。

もしかしてもう出てる?と思って、
ご本人のサイトを確認したが、
いまのところ1冊のもよう。
http://konmari.com/work.html

  〔2012年10月6日追記〕
  2冊め出ちゃってるし>ときめく片づけ

ただし、10年後くらいに、
別の視点での本が出るのはアリかな、
と思っている。

ところで、断捨離のやましたひでこさんは
何冊本を出しているのだろう?と思って
公式ページで確認したところ、
最新のスケジュール帳を含めて19冊だった。
http://www.yamashitahideko.com/books/

これ以外に、川畑のぶこさんが、
何冊か断捨離本を出しているのだろう。

書店では、
影をひそめてはいないけれど
勢いを感じることもなくなった断捨離本だが、
web上での広告は、健在というか、
むしろ以前より活発になっている印象がある。
(私の目につきやすいだけかもしれないが)

やましたひでこさんの公式サイトを見ても、
セミナーが段階的になっていたりして、
すっかりシステマチックというか、ビジネスチック。
http://www.yamashitahideko.com/seminar/

でも、そのこと自体は、けしてわるいことじゃないと思う。

たとえばYahoo!知恵袋に
「“断捨離”のやましたひでこさんは
金に目がくらんでしまったのですか?」という質問があるが、
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/
qa/question_detail/q1280981762

これはれこれでとても率直な疑問・意見だと思うものの、
著者はあまりブレていないのではないか、
むしろ当初からある程度予定していたことではないか、
と勝手に想像している私。

ご本人がどこまで絵に描いていたかはわからないけど、
少なくとも、「意図せぬところでもっていかれちゃった」
ということはないような気がしている。

だから、登録商標をとっておいたのではなかろうか?
「断捨離」とマーケティング

そういえば私は、
シンプルライフのランキングに登録して
他の方のブログを読むようになってから、
世の中にはシンプルライフにつながる
いろいろな資格・肩書きがあることを知った。

整理収納アドバイザー(ハウスキーピング協会
くらいは目にしたことがあったが、
ライフオーガナイザー(日本ライフオーガナイザー協会)とか
コーチングとか。
日本実務能力開発協会 認定コーチ養成講座(通信講座)
JCF)(CTP)etc.?
             ↑
 この選択に深い意味はないです。
 たまたま見つけたところ。
 コーチングは幅が広すぎて、
 「シンプルライフ」につながるといっていいのかどうか、
 よくわからない・・・
 いや、他の資格もよくわからないのだけれど。

補足→「断捨離」批判を考える>資格について

また、シンプルライフにはセミナーもつきものになってきた。
関連記事>「願いごと手帖」について今年考えたこと2つ/(1)

かくしてシンプルライフは、
「サービスを提供する人」と「サービスを受ける人」の
構図のなかで語れるものになり、
もうそれはビジネス化したということになるのだろう。

まず、資格を与える(認定する)組織があり、
そこから資格を得るときに、
受講という形でサービスの提供と受領が成立する。
(認定する組織が非営利団体の場合もあるので、
単純にビジネス化という言葉は使えないかもしれないが)

そして、資格を得た人たちが、
その資格で仕事をするときに、
また、サービスの提供と受領が成立する。

このこと自体は、全然わるいことじゃないと思う。
だいたい金子由紀子さんの本を8冊もっている私が、
どうこう言えた話でもないだろう。

商品だろうがサービスだろうが、
お互いが納得したギブ&テイクなら、
ちっとも問題ではないし、
ちっとも憂うべきものではないと思う。

が。

断捨離批判には、
読むべきところもあるように思うのだ。

 ちなみに、森永卓郎が
 リスクとからめた断捨離批判を
 どこかで書いていたらしいが、
 そちらにはあまり興味がわかなかった。

たとえば、こちら↓
http://www.mightyjack.info/
2011/02/post-80.html


小乗・大乗の対比はともかく、
なるほどと思える部分はある。

(それ以外にもいくつか見つけたのだけど、
リンクにはいたらなかった)

先日は、仏教女子ブームの話を姉としたのだが、
私も仏教に興味があることを伝えたら、
「そういう風がふいていたのかもしれないね・・・」
と言っていた。

そう、結局、私たちは・・・、否、私は、
ただ風にふかれているだけなのかもしれない。

どんなに「わたしライフ」を目指しても、
主体的に生きたいと思っていても、
そして、それなりに実行しているつもりでいても、
何ひとつ自分で選んじゃいないし、
何ひとつ自分で決めてはいないのかもしれない。

だけど、ときには帆をすぼめて、
あるいは帆を張ったまま、
「ああ、いま私は風にふかれているんだな・・・」
と、感じることはできるだろうか。

かつて、

シンプルライフについてもやもや考えたいこと
                (2010年11月11日)
■(別ブログ)時代と個人/シンプルライフ志向の
考察は少しは進んだかな?
 (2011年1月7日)               
シンプルライフ志向についての思考のその後
                (2011年1月19日)

という記事を書いた。

また、

堤清二『消費社会批判』からの抜粋
                (2011年2月11日)

という記事も書いた。

シンプルライフのノウハウを提供するサービスが
ビジネス化することはかまわないというか、
それは「風」であるとしても、
ことシンプルライフは、他の商品やサービスと違って、
ある種の矛盾を抱えながら市場にのるということを、
これからも意識し続けていきたい。
 2012.09.22 Saturday 17:39 シンプルライフについて考える permalink  
母の部屋を片づけながら
4泊5日で帰省してきた。

うち1日は「実家の片づけ」にあてていた。

実家は木造2F建ての一軒家、部屋が7つある。
そのうちの6部屋とキッチンはもうほとんど片づいているのだが、
1箇所だけ、まだ2割程度しか
片づけが終わっていない部屋があった。

母の部屋。

有料老人ホームに入ってしばらくの間は、
衣類やものを取りに来ていたらしいのだが、
もうほとんどこのうちにもどることはなくなったらしい。
実際、ホームの中で生活は成り立っているだろう。

なので、そろそろ母の部屋を片づけても不都合はあるまい。
というか、それ以前に、ちょっとやそっと片づけても
全然変化がわからない状態だから、
片づけてもまったく不都合のない部屋ではあった。

去年も、他の部屋が終わったあと、ちょっと作業をしたのだが、
そのときには本の整理をやっただけで時間切れとなった。

母の部屋を片づける際の課題は2つ。紙類と布類。
布類のほうは今回は手をつけず、紙類に集中。

これがまあ大変。

確認することなく、どんどん燃えるゴミの袋に
入れていけばいいだけの話なんだろうが、
そういうことができないタチの私、
一応ざっと確認して、資源ゴミにしてみたり、
細かくちぎって燃えるゴミにしてみたり。

手動のシュレッダーも見つかったので使ってみたが、
時間がかかってしかたない。
そんなに細かくするほどの個人情報でもないし。
なので、ひたすら手でちぎっていった。

まず、大量に見つかったのが、体調記録のようなもの。
病院で報告するためなのか、
自分の健康管理のためかはわからないが、
自分の体にまつわるいろいろな数値や体の変化を、
たくさんの項目に分けて、表にまとめていた。
それを、大量にプリントアウトしているのだ。

お金の管理に関わるプリントも同様の状況。

そのほか、親戚についてのあれこれをまとめた紙など。

何枚も何枚も同じものが出てきて、
途中で「いいかげんにして!」と本人不在のまま
心の中で叫んだ私。
あと、私の悪口が出てきてイラッとしてみたり。

なお、翌日、母に会って思ったのだが、
当人は生きていても、あれらのモノを溜め込んだ母は、
もうどこにもいないのだと、しみじみ感じた。
父のものを見て亡くなった父のことを思うよりも、
さらに強く「不在」を感じた。むなしい。

とにかく、実家に一歩足をふみいれたら、
「なぜ?」「どうして?」「なんのために?」
という問いは無意味となる。
禁句です。

それでも、問いたい私だった。

「いったい何がしたかったの?」と。
「どうして同じものが、こんなにたくさんあるの?」と。

ちなみに、折り紙が趣味だった母、色紙をまとめたら、
深さ15cmくらいの引出し5つ分くらいになった。

一生分ならぬ、三生分はある。
さすがにこれは捨てられず、そのまま保管することに。
今後わが家は一切、色紙買うべからずな状況。

で、せめてここから学べることを学ぼうと思った。

まず。

自宅にコピー機はないほうがいい。(参考にならんなー)
実家には、コピー機がある。それほど高性能ではないだろうが、
プリンタにコピー機能がついているという類のものでもなく、
ちょっとした事務所にありそうな、いわゆるコピー機。
これでなんでもかんでもコピーをとるクセのあった母。
しかも、何枚も。

それから、収納用品もできるだけ少ないほうがいい。

今回、すでに片づいている部屋のうちの1つを
ゴミの一時置き場にして、
不要になった収納用品のスペースを作っておいたのだが、
まあ、たまることたまること、
ファイルケースやらファイルボックスの類が。
収納用品だけで相当場所をとってるんですけどー

収納用品があると収納したくなるのが人間。
収納用品を買う前に、
その中身は本当に収納する必要があるかどうかを、
じっくり考えたほうがいいとしみじみ思った。

さらに思ったことは、何かを保存するときには、
「なんのためにとっておくか」ということを、
意識しながら保存するべきだということ。

領収証の類も山と出てきて、
全部は処分できなかったので箱にまとめておいたのだが、
確定申告に使うなら使う、自分の会計管理に使うなら使う、
用が終わったら捨てる、使わないなら捨てる、というふうに、
あまり年数がたたないうちに対応していかないと、
大変なことになる。

何かを「一応とっておく」ならば、年数で区切らないと。

まあ、でも、いちばん有効なのは
「広い家に住まない」ことなのかもしれないな。

と、ポイントをまとめたところで、自分ちをながめてみる。
上記の項目で、コピー、収納用品、広い家に関しては
すでにクリアしているので、
自分にいかせるのは「なんのために保存しておくか」を
意識すること。

で、ちょっとずつ作業を進めているところ。
「いったいどうしたいの?」
「なんのためにとっておいたの?」と自分に問いながら。

思うに。

使っていないのに捨てられないものって、
「不安」と「欲」の象徴なんだな。
 2012.08.17 Friday 10:53 シンプルライフについて考える permalink  
時間をつくるモノ、時間を食うモノ
あらまあ、気がつけば10日もたっている。

そして年は明けたのであった。

いったいどこからが年末掃除だったかわからない感じで、
なしくずし的にゆるゆると進めてきた片付け&お掃除。

とても大掃除とは呼べず、
気が向いたところ、気になったところのお掃除を
ピンポイントでやれるだけやった、という感じ。

でもまあ、満足。
また日常のなかで、ゆるゆるやっていくさ。

そういえば、失敗だったと書いた
組み立て式踏み台()は、
なんだかんだでけっこう役に立っている。

なければないで椅子ですませたのかもしれないけれど、
やっぱりあればあったで便利。
風呂場掃除でも使えるし。

で、片づけをしながら思ったこと。

モノってのは、基本的に時間を食うなぁ、ということ。

まだ年末の雰囲気になる前に、
小分けで少しずつ母の書類を整理していたときに
(実はまだやってたんですー)
そう感じた。

溜め込んでいたとはいえ、
たった引出し1つ分の書類に対応するのに、
どうしてこんなに時間がかかるんだろう?
と、不思議に思った。
溜め込むからだよね。
そして、中身をまだまだ把握していないから。
さらにいえば、自分のものではないから。

一方で、モノの中には時間をつくるものもあるんだと思う。

たとえば、シンプル生活手帳は、
「植木屋さんタイム」をつくってくれるし()。

本でも洋服でも食器でも日用品でも、
お気に入りのものは、きっと、
自分になんらかの時間をつくってくれるのだろうと思う。
でも、そういうモノって、それほど多くないかもしれない。
多くなくてもいいのかもしれない。

時間を“使う”ことでは同じなのに、
「ああ、時間とられちゃったな・・・」と思うときもあれば、
「ああ、時間をあたえてもらったな」と思うときもある。
時間をかけている、費やしているという意味では
同じことなのに、感じ方が違うことがあって、面白いな。
 2012.01.02 Monday 14:20 シンプルライフについて考える permalink  
『禅、シンプル生活のすすめ』(枡野俊明)
一般向けの“実践的な”本もちょっと読んでみようと思い、
読みやすそうな本を探しているところ。

最初に借りた1冊は、ちょっと失敗。
私には向いていなかった。

次に借りたのは、
禅、シンプル生活のすすめ』(枡野俊明) 

こういうタイトルの本ってどうなのかなぁ?と思ったけれど、
タイトルからイメージできる通りのわかりやすさ。

っていうか、「え、これ、金子由紀子さんの本?」
と思ってしまいましたよ私。
「十五分、早起きしてみる」とか
「脱いだ靴を揃える」とか
「一杯のコーヒーを丁寧に淹れる」とか。

実際、三笠書房の「知的生きかた文庫」で
金子由紀子さんの本ってなかったっけ?

あ、やっぱりあった。↓
『とびっきり居心地のいい新☆シンプル暮らし
―365日を「ハッピーデー」に変える本』


ちなみに桝野俊明さんは、
曹洞宗徳雄山建功寺住職であり、
庭園デザイナーでもあり、大学教授でもある人。

やっぱり金子由起子さんは、
曹洞宗と相性がいいのかもしれない。

思うに、坐禅をするのだったら、
完全に我流ではなくて、
一度は指導を受けたほうがいいような気がする。

でも、とりあえず、いまはその希望はない私。

日常生活の中で、自分ひとりで、何ができるか。

という視点で考えるときに、この本はぴったり。

見開き2ページ1項目で、
いろいろな「習慣」「見方」が示されている。

そばに置いといて、
悩んだときや不安になったときに
ぱっと開いて思い出す、
そういう役目の本になっている。
(とりあえず私は図書館で借りてみたけれど)

項目だけをながめていくと、
金子由紀子さんの本を何冊も読んだ私に
もはや新しいアドバイスはないように見えるが、
読んでみると、やはり発見はあるもので。

というわけで、
この本をひととおり読んでみることにする。

(つづく)
 2011.11.17 Thursday 11:41 シンプルライフについて考える permalink  
仮の宿、仮の物、本当の暮らし

きのうは、「本当の自分ってないのかもしれない」
ということを自分で書いていた記事をふりかえったが、
そういえばこんなことも書いていたんだった。↓

  どこに住んでも仮の宿

シンプルライフって結局のところ、

 住んでいるのは仮の宿、
 持っているのは仮の物、
 だけど暮らしはわたしの暮らし。

ってことなのかもしれないな。

 2011.11.15 Tuesday 10:06 シンプルライフについて考える permalink