母が入院して、老人ホームってありがたいな…とあらためて思った。
おとといの夜、
お世話になっている老人ホームの
スタッフの方から電話があった。

母の咳がおさまらず、
内科の先生に診ていただいたところ、
血中の酸素濃度が低いということで、
大きめの病院に入院することになったそう。

診断は、肺炎と心不全。

ただ、意識はあり、様子をきくかぎり
そんなに重篤な状態ではなさそう。

翌日の朝、病院に電話を入れる。
まだ担当医や治療方針が
決まっていない段階だったので、
あとで連絡をくださるとのこと。

で、昼過ぎに医師から電話が入る。

熱はさがってきたそうが、
まだ酸素濃度は低いらしい。
不安要素はあるけれど、
命に別状はないだろうとのこと。
(大丈夫だと“思います”
 としかいえない状況だということの
 説明はあった。)

よくても2〜3週間の入院になる。
元気になって施設にもどれる可能性は
十分にある、とのお話。

となると気になるのは、入院中のあれこれ、
たとえば洗濯物などはどうしたらいいか、
どこまで施設でやってもらえるのか、
ということ。

で、結論から言うと、
洗濯物は契約している業者が
病院まで行ってくれるそうで、
日用品は施設の方が届けてくれるし、
特に家族がしなければならないということは
書類の提出以外はなさそうだった。

姉と電話で相談したのちに
どうしたものか…と思いながら
施設に問い合わせたのだけれど、
先方はわりと日常的な雰囲気で、
ちょっと安心した。

考えてみれば、こういうことは
珍しくないのかもしれない。

姉に報告をしながら、
「あの施設に入れてもらえて、よかったね」
という話をした。

母がお世話になっているこの老人ホームは、
大事なことはもちろんちゃんとやってくださるけど
基本的にほんわかムードで、
あまりきちっ、きちっとはしていない。

なお、ここに入る前に、別の施設に体験入居して、
入居を断られたことがあるのだけれど
もしあそこに無理にお願いして入っていたら
こういう状況のときに、
退所しなくてはならなくなったかもしれない…と、
契約も何もしていないので勝手な推測なのだが、
あのときの雰囲気から、そんな話にもなった。

ちなみに、昨年の秋に、母の友人から、
「施設を変わったらどうか」
というアドバイスがあった。

たびたび母を訪ねてくれる友人なのだが、
いろいろ思うところがあるらしい。
(一応、その内容もきいている)

「いまは、いいところがたくさんできているから」と。

それを見つける作業、検討する作業、
申し込みする作業、手続きする作業、
母に希望をきく作業、説明する作業、
こんなにお世話になった施設に事情を説明する作業、
引越し作業、環境がかわるリスクを負うこと、
それを一体、だれがやるんでしょう…

まあ、娘になかなか会えないと言っていたらしいので
(去年も2度帰省しているんだけど)
私が現状を知らないと思ったのかもしれない。

なお、母に何かあったときには、スタッフの方から
いつも細やかに連絡をいただくのだけれど、
2週間ほど前にはインフルエンザにかかり、
去年は気管支炎で、数日間、入院したこともあった。

こういうときの通院や入院や看病を一切まかせられること、
細やかに連絡をいただけて、
こちらは電話で確認すればいいだけの状況を、
とてもありがたいと思うのだけれど、
もしかしてもしかすると、人によっては
「あそこの健康管理はどうなってるんだ」
というふうに思うのかもしれない。

あるいは、「こういうときに病院がやっている
施設のほうが、安心だ」と。

でも、かつてのアレコレを思うと、
ここに入れたことは本当にありがたいと感じるし、
現にこうやっていろいろケアをしてくださっている。

それに、もう81歳。
リスクも低くない身体の状態。
何もないわけはないと思う。

もちろんお金を払っているわけであり、
それも仕事の一環ではあるだろうが、
それでもやっぱり、ありがたい。

ちなみに、家族の入院という事態は
わりと経験しているほうだと思うわが家。

手術をともなうものや、容態がわるいもの
長期に渡るものの場合、
家族の生活そのものが変わっていく。
泊り込みもよくやった。
あるいは、「長期帰省」という事態になる。

なのに今は、遠く離れたところで、
あした届くであろう書類に記入して郵送し、
他の家族に連絡をしたり、
スタッフや病院と折にふれ連絡をすればいいという
そういう状況でいられる。

やはりこの状況を、
ありがたいと思わずにはいられない。

で、さっそくきょう、同じ市内にすむ叔母が
お見舞いに行ってくれたもよう。

酸素吸入の管を鼻から入れていて、
ときどき咳をしていたらしいが、
顔色もよく、食欲もあり、夜も眠れるし、
元気そうだったとのこと。

2週間で退院かな。
 2014.01.30 Thursday 18:03 老いについて考える permalink  
実家からひきあげてきた大量の切手の意外な解決方法
実家とりこわしの際にひきあげてきた
35,000円分の切手は、
その後、ちまちまと使っていたのだが、
どうにもこうにも数が減らず、
特に金額が小さいものはやっぱり使い道がなくて、
ずっとファイルに入れっぱなしだった。

それがひょんなことですっかりかたづいて
ほんのちょっとうれしいきょうこのごろ。

姉が以前、お茶か何かを購入していた
ティーライフという会社が
10月末まで商品券セールというのをやっていて、
切手を使えるというのだ。

どういう仕組みかはさっぱりわからないけれど、
このチャンスを逃すのもなんなので、
姉といっしょに相談して、
これからも使えそうな80円切手や50円切手は残し、
そのほかの中途半端な額の切手を総送りして、
(ついでに自分で購入したけど未使用になっていた
ハガキも送ることにして)
クッキーやらお茶やらだしやらを購入したしだい。

とるスペースとしてはこちらのほうが大きいが、
こちらは確実に消費できる(使える)ものなので。

こういうこともあるんだなぁと思った。

なお、商品券の金額が注文金額を超えたときには、
余剰金額を東日本大震災の義援金として
寄付することもできるらしい。

ちなみに、アクリルたわしとアクリル毛糸は、
あともうひといき。
1年以内には使い終わるかな。
…って、それでも1年!?
 2013.10.28 Monday 11:00 老いについて考える permalink  
ふりかえったり、先をみたり
きのういったん、
「実家のその後」という記事を書いたのだけれど、
夜になって、な〜んかひっかかるものがあり、
とりあえず下げることにした。

ものすごく大きな仕事は
(特に姉の頑張りで)終わったのだけれど、
まだあれこれ残っている。

まずは、娘の春休みに帰省して、
2つの事柄の整理をする予定。
あとの2つは夏休みだな・・・

とにかく、母にまつわることは、
母がいると話がはやいというのが
何につけても言えること。

なので、母に、外出する体力があるうちに
あれこれやっておかなくちゃ。

無理は禁物だが、悠長にもしていられない。

なお、春休みの帰省のことを
きのう老人ホームに連絡したあとで、
数日前に届いていた郵便に
介護保険証が入っていることに気づいた(>_<)

きょうまた電話して、
ケアマネさんにも連絡。

とりあえずお渡しするのは
帰省したときで間に合いそう。

とにかく、郵便物はまず開封!>自分

きのう、久しぶりに、
カテゴリー「老いについて考える」の中の
記事を読み直したのだけれど、
読んだだけでなんだかへとへと・・・
けっこう、働いてきましたよね・・・
片付けてきましたよね・・・
 2013.03.19 Tuesday 11:06 老いについて考える permalink  
実家から持って帰ってきた外付HDDの動画と涙の意味
ゆうべ父が久しぶりに夢に出てきた。
年が暮れ始めると来ることになってるのかしらん?(^^;

父の大事なものを捨ててないかどうかを
父が心配するという夢。

大事なものというそれは古びたノートだった。
夢の中では捨ててなかったけど、
現実で何か捨ててしまったんでしょうかねぇ私・・・

実家から持って返ってきたものはまだある。
たとえば、外付HDD。
これは、父が亡くなったときに、
父のパソコンのデータを
(元)夫が保存してくれたものだと思う。

自分のパソコンの中身だって
把握のしかたがわからないわけであり、
父のパソコンの全容を把握しようがないのだが、
デスクトップからたどっていくと、
娘が赤ちゃんのころの動画などにたどりつけたので、
ちょっとのぞいてみた。

最初は、懐かしく、ほほえましく、
かわいらしく、時に笑いながら観ていたのだが、
だんだん切なくなって、そのうち泣けてきた。

涙の意味が、自分でもよくわからない。

まず、いまは亡き父への想い、
老いる前の母への想いなのかどうか
自問してみたが、
そういうことでもないらしい。

もちろん、そのような面が
まったくないはずもないだろうけれど、
メインではなさそう。

では、赤ちゃんの頃の娘が
かわいいあまり、なつかしいあまり
切なくなったのだろうか?
がしかし、娘は現在小5で、
そのような感傷にひたるのはまだ早かろう。

いったい、何に涙しているのか・・・

動画のなかの私は、しあわせそうだ。
そして今より若い。

でも、あのころ、心の奥底に、ベースに、
淡いけれども深い憂鬱が流れていたことを
忘れてはいない。

それは、子育ての大変さ、ではなかった。
もちろん、子育ての大変さ、はあった。
でも、それは大前提のことであり、
それとは別の大変さが、ずっと根底にあった。

ひとことでいえば、家族のダイナミズムの変化。
結婚や、出産などで、家族に変化があると、
それにともなって、
必ず家族のダイナミズムに変化が訪れるということを
身をもって知った30〜40代。

まず、結婚して、なんだかんだあって、
姉と疎遠になった。

そして、出産して少したったころ、
母が大病で入院した。
そのころはまだ姉とは疎遠のまま。

私は結局、帰省せずに
父と姉に看病をまかせたのだが、
母から届いた手紙のある一言に、
深いショックを受けた。

よかれと思って送った孫の写真
・・・当時の私にできることはそれしかなかった・・・
あるいは幸せそうな娘の姿は
病床の母に力を与えるどころか、
力を削ぐものであるらしい。

娘におっぱいをあげながら、
生き地獄という言葉が
思い浮かんだのをよく覚えている。
いまだったら、右から左に流せるだろうが、
あのときの私にはなにげないその一言が
とても重かった。
つまり、親離れしていなかったのだ。

なお、あまりにショックだったので、
後日、そのことを母に問いただしたら、
受け取り方が違うといわれた。
でも、私はその手紙をとっておいたので、
母のいうニュアンスは後付だと感じた。
(ちなみに、その手紙はもう捨てた)

しかし、赤ちゃんを抱いている若い母親は、
ときとして幸せの真っ只中にいるように見える。
人によっては、回顧のなかの自分と重ねあわせて。

娘を抱っこして買い物に行くと、
信号の待ち時間で、通りすがりのおばさまに、
にこやかに話しかけられるのだ。
「いまが、いちばん幸せなときよね〜(^^)」と。

私は微笑んで頷くしかなかった。

「生き地獄」の状況からはしだいに脱し、
姉と疎遠になっていること以外は
だいたい落ち着いていた娘の1才前後の様子が
HDDの動画におさめられている。

以前より状態が落ち着いたとはいえ、
心の奥底に、いつもなにかが淀んでいた。
でも、それを表面に出てこさせないようにしていた。

だから、動画のなかの私の声や姿に、
そんなことはまったく感じられない。

短く切り取られた「いちばん幸せな時間」に、
陰鬱な空気はにじまないものらしい。

実際、それなりに幸せだったのだ。

そうこうするうち、父が入院となり、
これをきっかけとして、姉との仲がもどる。

で、父が亡くなってしばらくすると、
今度は離婚という事態になる。

離婚の一件が落ち着いて、
新しい生活のベースができると、
母との例の怒涛の日々。

そんなふうにして、私の30〜40代は、
家族のダイナミズムの変化とともにあった。

もちろん、いつだって、どんな状況だって、
娘は成長したし、家族と楽しい時間を過ごした。

だから、辛さを思い出してというよりは、
そういうもろもろを含めた
過ぎていく時間へのいとおしさのようなものが、
ぐわ〜んとうねり、せまってきて、
涙になったのだろうと思う。

あのころを思うと、いまの私って、
なんてラクなんだろう、と思う。
たとえ子育ての大変さは続いていても・・・

アルバム整理では
20歳以前の生き直しをしたけれど、
外付HDDの中身チェックでは、
30代後半の生き直しをしたのかもしれない。

実家取壊しに付随する回想の時間は、
まだ続いているらしい。
 2012.12.07 Friday 13:22 老いについて考える permalink  
実家から見つかった古いお金と記念硬貨への対応
実家の最後の片付けにおいて、
いくつかのものを救いあげることになったのだが、
切手外国のコインのほかにもうひとつ
地味な作業をしなくてはならないものがあった。

それは何かというと、古いお金たち。
もしかしたら、おばあちゃんの
コレクションだったのかもしれない。

マッチ箱に入れられた一銭硬貨や十銭硬貨のほか、
穴なし50円玉を含む昭和の硬貨、
皇室関係などの記念硬貨など、合計236枚。

そのほか、紙幣も5枚。
5銭、10銭、100円、500円。

どうしたものかと思い検索してみたりもしたのだが、
古銭商にひきとってもらえるほど
価値があるものには思えないし、状態もよくない。

もとより換金したいという希望もないのだ。

要は、そのまま捨てられなくて、
困ってしまっているのだ。

何しろ硬貨とはいえ、お金を捨てた経験がない。
たとえもう流通していないものだとしても。

確かお金って、加工すると違法だったよな・・・
廃棄はどうなんだろう?なんてことも心配だった。

 まあ、札束をダンボール箱に入れて
 山林に放置するわけじゃないのですが(^^;

これはもう、迷惑覚悟で
銀行にもっていって相談してこようと思い、
ようやく行ってきたしだい。

最初に対応してくれた若い女性は
それなりに好意的だったが、
実際に対応してくれることになった
ベテラン風の女性に、最初、笑顔はなかった。

  ・・・やっぱ迷惑でしたか・・・(しゅん)

この時点ですでに、
流通していない「銭」のものは
両替不可ということがわかった。

そのままお返しすることになります、とのこと。

「中身が見えないようにして
捨てちゃえいばいいんですかね・・・」ときくと、
「そういうことはこちらからお伝えできません。
お客様の判断で・・・」との返答。

  ・・・はぁ・・・

そうですよね、
銀行はお金を預かるプロだけど、
お金を捨てるプロではないですものね。

少しお時間かかると思いますので・・・
と番号札を渡され、
ソファーにすわって待つことになる。
もとより、そのつもり。

こちらとしても、
この仕事をお願いするのは気がひけたので、
一応、銀行に行く日付、曜日と時間帯には
それなりに気を遣った。
(検索して判断したのだけれど、
銀行の混雑予報を参考にすればよかったな)

給料日になりそうな日付を避け、
月曜日を避け、月末を避け、昼休みを避ける。

で、火曜日の1時半すぎに行った。
午前中だともっとよかったのかもしれない。
2〜3時はまた混むらしいので。

でもまだ2時前だし、わるくはなかったかな・・・
と思っていたら、
結果的に閉店間際に銀行を出ることになってしまった。
確認作業に40分近くかかったのだ。

つまり、それだけ手を煩わせたということ。
担当者のほかにもう1人、
数えている人がいるようだった。

 すまんことですm(__;)m

確認作業が終わって私の名を呼ぶ担当者の方は、
同じ人だったが、まるで別人のようだった。

まずは、時間がかかったことを
申し訳ないと思ったのだろうし、
確認作業をするなかで、
私は私なりに最大限の準備をして
銀行を訪れたことを
感じてもらえたのかもしれない。

硬貨は種類ごとに小さなビニール袋に小分けし、
マジックで記入し、
さらに3種類の大きなビニール袋に入れ、
紙幣はクリアケースに並べ、
すべてのお金の種類と枚数を書き出した
一覧表を持参した。

「こんなことで(手を煩わせて)すみません・・・」というと、
「とんでもございません」というお返事。

やはり○銭のものは返却となったが、
その他のものはすべて両替OKで
(穴なし50円玉も100円札、500円札も記念硬貨も)
計25,833円が新しいお金で返ってきた。

額が大きいのは、
皇室関係の記念硬貨で
10000円のものがあったのと、
議会開設百年の記念硬貨で
5000円のものがあったから。

待ってる間は、
「切手も外国コインも古いお金も、
 さっさと捨てちゃえばよかったのかしらん・・・」
とふてくされそうになったが、
担当者の笑顔も救ってくれて
懸念の作業がひとつ終わって、
それなりにほっとして、
銀行をあとにした。

また、こんなことも思った。

だれのお金だったかはわからないけれど、
おばあちゃんの密かな、ささやかな、
楽しみだったのかもしれないなぁ、と。

「円」のほうの硬貨は、
それが入っていた封筒から察するに、
昭和21年から50年までの硬貨を、
1枚ずつ集めようとしていたものと思われる。
(集まったものには○印がついていた)

また、皇室関係の記念硬貨も、
おばあちゃんにとっては
意味があるものだったのかもしれない。

これもまた、
回想の時間だったのかもしれない。
 2012.12.04 Tuesday 16:42 老いについて考える permalink  
実家から見つかった(+α)外国の硬貨を日本ユニセフ協会に寄付する
実家を取り壊すことになったので、
先月、大急ぎで最後の片づけをすませた際に、
外国の硬貨がたくさん見つかった。
数えてはいないが、100枚以上あったと思う。

おそらく、海外旅行のときに残ったものを
保管してあったのだろう。
袋に小分けして保管してあった。

海外旅行といっても、
家族で行ったヨーロッパ旅行が1回と、
あとは父や母が別々にグループで
台湾や韓国に旅行に行ったときのものだと思う。

で、どうしたものかと思い、検索してみたら、
日本ユニセフ協会
募金として受け付けていることを知った。
ユニセフ外国コイン募金

なお、私はこのたび初めて知ったのだけれど、
国際連合児童基金(UNICEF)の日本事務所と
日本ユニセフ協会は別組織であるらしい。
(日本ユニセフ協会のQ&Aに書いてあるが、
イマイチよくわからない^^;)

ついでに、姉が昔、
仕事で海外に行ったときの残りのコインも
いっしょに送ることにしたのだが、
いかんせんどれも古く、
特にヨーロッパのものは
もう使えないのではないかという不安がある。

使えないものを送るのも気がひけるので、
インターネットで検索しながらチェックしようと思ったが、
1枚めですでにギブアップ。

これはとにかく問い合わせしてみようと思い、
電話してみたら、わからない場合、
まとめて送ってだいじょうぶとのこと。

よく知っている人に選別してもらうのが
いちばんだと思い、
使えるものがあるかどうかかなり心配だったが、
送らせてもらうことにした。

もちろん、ゆうパックで、例の切手を使って。

郵便局の方は、別の方法もすすめてくれたが、
「切手が使いたいのです〜」といって
ゆうパックでお願いした。

ずっと先延ばしにしていた仕事が、
1つ終わって「ほっ」。

まだまだ地道(地味?)な作業は続く。
 2012.11.30 Friday 11:30 老いについて考える permalink  
35,000円分の切手をどうするか
うちの母は、切手を集める趣味があった。
「それくらいしか(趣味が)ないから・・・」と
いつか口にしていたような記憶がある。

したがって、実家の荷物整理の際、
切手ファイルが出てきた。

がしかし、びっちり管理されているわけでもなく、
素人目から見ても、
コレクションとしてどうにかなりそうなものでもない。

とりあえずそのまま自宅に送りもどし、
こちらにもどってきてから
姉と2人で整理してみたところ、
5円切手から80円切手まで、
総計34,995円+α分あることが判明。
もちろん、41円、62円もある。

で、額の小さな切手をどうするかについては、
過去にも困ったことがあり、
ある程度のことは調べていたのだけれど、
これがなかなか難しいのだ。

まず、交換するにはお金がかかる。
http://www.post.japanpost.jp/fee/
simulator/kokunai/charge.html


また、寄付するという道もありそうだが、
価値のあるものが含まれているようにも思えず、
もしかしたらこちらの手間を
先方に押しつけるだけになるかもしれない。

で、結局、使うのがいちばんだろうということになり、
種類別にクリアケースに入れて、
少しずつ使っていくことにした。

たとえば叔母宛に「ゆうパック」を送るときなどに
切手1000円分を使うことができるので、
地道に使っていけばいつかは消費できるだろう。

ただ、額の小さい切手
(5円切手460円分、7円切手1120円分、
10円切手920円分、20円切手1760円分)
については、やはりある程度、
形をかえたいなぁ・・・と思っているところ。

 で、さっそく、「そうだ、年賀ハガキと交換しよう!」
 と思って郵便局に行ったら、
 くじ付のものには交換できないんだって・・・(涙)
 来年は、母宛の年賀状の差出人の方々に
 事情説明のハガキを出そうと思っているので、
 そのときに使おうかな・・・

これ以外に、
切手が貼ってあるミニ冊子とカードもあり、
郵便局できいてみたところ、
観光地で買ったと思われるミニ冊子の切手は、
はがせばまた使えるとのこと。

ところが、糊がしっかりしていて簡単にははがせない。
もうそのまま捨てちゃおうかとも思ったのだが、
せっかくなので、水につけてからはがした。

それから、2000年1月1日の
メモリアルカードなるものも2枚あり、
これはそれぞれに1000切手が貼ってあり、
白い部分にわずかにかかる形で
スタンプが押されている。
こちらは使用不可とのこと。

どうしてこういうものに1000円かけるのかなぁ。
1000年に一度のことだから
気持ちもわからないでもないが、
これをどうするつもりだったんだろう?

さて、この切手を使い終わるのに、
何年かかるでしょうか。
 2012.11.17 Saturday 12:35 老いについて考える permalink  
「昭和のしあわせな家族」の図
そんなこんなでシロアリに背をおされ、
実家の最後の片付けをしてきたわけだが、
ひととおりの作業のメドがついた2日目の夜、
アルバムから写真を抜き取るという作業をした。

2年前の荷物の処分のときに、
たくさんあったアルバムを、
姉が一角にまとめて保管しておいてくれたのだ。
これを、中身も見ずに、
そのまままとめて捨てる気にはとてもなれない・・・と。

何冊あっただろうか。

ざっと50冊はあったかと思う。

もっとあったかな?

そのなかから、これはとっておきたい、
と思う写真を手分けして抜き取っていった。

何しろすごい数だし、時間は限られているので、
ざーっと見ながら、抜き出していっただけなのだが、
慌しさのなかにも、何か豊かなものがあると
感じられる作業であり、
家の取り壊しという事態にふさわしい、
濃密な時間を過ごせたように思う。

そこには、ある意味で典型的な、
「昭和のしあわせな家族」の姿があった。

昭和30年代以前のモノクロの写真は、
何がどう写っていても絵になる。

また、いちばん古い写真にも、
もう戦争の影はなく、
時代は高度経済成長期へと向かっている。

若い夫婦に子どもが生まれ、
家を買い、祖母を迎え入れ、
娘たちがすくすく育っていく様子が見てとれる。

海に行き、山に行き、旅行に行き、
幼稚園や学校の行事があり、
イベントがあり、日々の暮らしがあり。

やがて車を買い、新しい家を建て・・・

このたび取り壊すことになったその家の
真新しい姿もあった。

もちろん、幸せなことだけではなかった。
第一子である兄が生後5日で亡くなっている。
また、写真に写りこんでいない事柄も
たくさんあったはず。

しかし、だんだんと成長していく2人の娘の
はじけるような笑顔、ときにむくれ顔、
あるいはすました顔が、
家族や親戚、知人たち、
そして犬や猫たちに囲まれている情景を見ていると
「幸せ」という言葉を思わずにはいられない。

姉がふと、こんなことを口にした。
「大事に育てられてきたんだねぇ・・・」

また、こういうところが姉の偉いところなのだが、
母に関わる写真を厳選して小さいアルバムを作り、
母に持っていったりもした。
(私たちが帰省中、母は体調をくずしていて、
家を見にもどることができなかった。
その後、叔母が連れて行ってくれた。)
私にはないからなぁ、こういう発想・・・

抜き出した写真は、
そのほかの保管品とともに自宅に宅配便で送り、
こちらにもどってきたあとに姉と2人で整理。

自分だけの写真はそれぞれ引き取り、
残りはスケッチブックにセロテープで
貼っていくことにしたのだが、
結果、わが家の歴史を綴る
2冊の簡易アルバムが完成した。

スケッチブックにセロテープなので、
つくりはチープな簡易だけれど、
何しろ50数年分から選ばれた写真たちなので、
中身は重厚。

このアルバムを
あのとき以上の濃密さでふりかえることは
もうないのかもしれないけれど、
とりあえず、まとまった形にできてよかったと思う。

ちなみに姉は、自宅にもどってきたとき、
ちょっとしんみりしたらしい。
また、近所で、家が取り壊されて
更地になる様子を見たりするときに。

一方私はといえば、娘がいることもあり、
次の日は学校だったし、
帰ってきた日曜日の夜に
不審者情報メールが入ってきたりしたので、
慌しく日常モードにもどった。

また、その後も、
姉や叔母ほど、しんみりしない。

なぜだろう・・・?

ひとつには、娘がいるので、
さびしさがあまりなく、
これから先のことに気持ちが向かっている、
という面があるだろう。

こちらの生活のみならず、実家についても、
やらなくちゃいけないことがあれこれあるわけで。

また、逆に、
人生における大きな「気になりごと」のひとつに
いよいよ具体的に取りかかれる、
という安堵感もあるかもしれない。

それから、
あの家で晩年に集中して経験した苦い思い出が、
感傷を鈍らせているという面もないとはいえない。

さらにもうひとつ。
意外と(意外と?)こういう部分の情緒が
発達していない自分なのかもしれず。

実家を取り壊したあとどうするか、
ということについても話し合ったのだが、
基本路線として、
「姉妹とも故郷にもどることはないだろう」
という前提で、動いていくことになった。
 2012.11.15 Thursday 09:24 老いについて考える permalink  
見つかったもの、見つからなかったもの
そんなこんなで、シロアリに背を押されて
実家を取り壊す決心がつき、
2泊3日で帰省して、
最後の片付けを大急ぎですませてきた。

といっても、まだまだ残っていた物の処分は、
いつもお世話になっている工務店の方が
またまたやってくださることになった。

ほんとにもう、どうやって御礼をしたらいいか
わからないくらい、お世話になっている。
私たちがやったのは、必要なものの選別のみ。

たくさんの用紙類、封筒、色紙その他から、
使いそうなものを一部もらっていくことにして、
重要書類が入っているかもしれない袋、
母の趣味の切手ファイル、
だれのものかわからない
硬貨のコレクション?のようなものなど、
とにかくあとでチェックしたい物を
自宅へ送り戻す宅配便の箱に入れていく。

このたびの帰省で、
私が唯一「見つかってほしい」と思っていたのが、
第一勧業銀行の私名義の通帳だった。

休眠口座の解約作業を進める際に、
不明なカードが1枚出てきたのだ。
第一勧銀の口座を2口座持っていたので、
そのどちらかに付随したカードだろうか・・・?
と思っていたら、もうひとつ口座をもっていたらしい。
つまり、カードだけあって、通帳がない。

記憶をたどるにつけ、
私が故郷を出て他県の大学に行ったときに、
当時は地方銀行だとお金がおろしにくくて、
仕送りのために第一勧業銀行の口座を作ってもらい、
入金する両親側が通帳だけを、
払い戻しする私がカードだけを持っている、
というような状態だったと思う。
たぶん、そのカードだ。

なので、実家を整理すると、
その通帳が出てくるのではないか・・・
と期待していたのだ。
出てきそうな場所も思いついたし。

しかし、結局、出てこなかった。
唯一見つけたかったものは、見つからなかった。


一方で見つかったものはといえば。


この際、もう母への愚痴は置いておこう。
それよりも自分だよ。

卒業証書や卒業アルバム、
実家に送りつけて保存してもらった
思い出の品々がザクザクと出てきたしだい。

こんなに送りつけて、そしてほうっておいて、
忘れてしまっていた私を見つけたしだい。

ほんと、人に愚痴ってる場合じゃない。

これらもまとめて自宅に送り返し、
もどってきてから整理・保管・処分した。

確かに懐かしさもあった。
それを味わうのはよい時間だった。
そして今が、その時間を
味わうときだったのかもしれない。

だけど、そのテキトーな保管の仕方を見て、
「どこかの段階で整理・処分しとこうよ〜!!」
と、またまた30代の自分に
苦言を呈したくなったのだ。

一方で、
「今がまさにそのときだったのだろう」、
と思える作業、時間もあった。

それは何かというと、
姉の提案によって行われた、
わが家の歴代のアルバムたちから
写真を抜き出すという作業。

(つづく)
 2012.11.14 Wednesday 09:16 老いについて考える permalink  
急な事情で実家を取り壊すことになった

2年前のちょうど今頃、
実家に泥棒が入りかけたことをきっかけにして、
いったんは家を引き払う方向で動いたのだけれど、
9割ほどの荷物を処分した段階で、
ストップになっていた。

引き払うにあたっての懸念事項がいくつかあったし、
帰省したときに寝泊まりする場所としても便利だったし。

そして、今年の夏の帰省報告では、

先見るなやるべきときが来りゃわかる
ひとまず今年のミッション終了

なんてことを書いたわけなのだが、
その「やるべきとき」はすぐに来た。

8月に帰省したときは
まったくその気配がなかったのに、
9月下旬に、叔母が、
実家でシロアリ隊を見つけたのだ。
母の部屋の、窓際近くのマットの下に。

ここは増築した部分で真上にベランダがあり、
そのせいなのか、以前から雨漏りがひどかった。

初夏の大雨のときに、
雨漏りでカーテンがぐっしょりぬれて、
もともと重量のあるカーテンが水分でさらに重くなり、
カーテンレールが木枠ごと
半分くらい崩壊してしまったりしていたのだ。

そろそろ何とかしなきゃな〜と思いつつも、
まあ、寝泊まりするのに不都合はないか、と思って、
そのままにしていたのだけれど、
シロアリは見逃さなかったか。

なお、叔母がたびたびたずねてくれて、
風通しはしてくれたのだが、
やはり人が住んでいない家というのは
すぐにいたんでしまうものなのかもしれない。
シロアリは湿気を好むという話もきいたことがある。

どうしたものか、姉と相談し、
まずは、昔からお世話になっている
(そして、この家も建ててもらった)
工務店の方に相談してみた。

さっそく、工務店の方が、
専門業者さんを連れてきてくださって、
叔母の立ち会いのもとに見てもらったところ、
庭のもみじか何かの木から発生したらしく、
それが何かを伝って母の部屋の窓際にやってきて、
下の穴から中に入り込んだらしい。

応急手当として薬を撒いてもらったが、
シロアリとなると、ご近所への影響もある。

それで、姉とも相談し、
今度こそ実家を取り壊すことにしたしだい。

もちろん、母にも連絡。

9割ほどの荷物は処分していたけれど、
まだ1割残っているし、
母の部屋の夥しい量の書類も
まだほんの一部しかチェックしていないので、
これは一度帰省しなくてはいけないだろう、
ということになり、姉と打ち合わせて、
10月下旬に2泊3日で帰省してきた。

娘が、就学児健診で早く下校する日があり、
それがちょうど金曜日だったので、
金曜日の夜に帰省して、
日曜日の夜にもどってくるという
強行スケジュールだった。
(ちなみに故郷まで飛行機で約1時間45分)

だいじょうぶかなぁ、そんなことできるのかなぁ、
とちょっと不安だったけれども、
だれも体調をくずすことなく、
予定のことはすべて終わらせられて、
第一段階は無事終了。
いまは次の段階にすすんでいる。

それにしても、2年前に9割の荷物を処分しておいて
(って、私はあのときには何もやっていないのだが・・・)
本当によかった。

結果的に、泥棒とシロアリに背中をおされる形になった。

また、そういうものに背中をおされない限り、
動けなかったかもしれない。

 2012.11.13 Tuesday 08:43 老いについて考える permalink