そういえばランドセルカバーは手づくりなのだった
マイ傘袋をどうするか検討中のきょうこのごろ。

傘の生地がないのなら古いレインコートはどうだ?
と考えていたら、
娘の雨用ランドセルカバーは手づくりだったことを思い出した。

生地として使ったのは、
小さくなった娘のレインコート(ポンチョ式)の生地。
ざっくり型紙を作って、うまく模様をあわせて切って、
背面部分に左右の側面部分を縫い付けて、
内側にゴムを通したもの。
きわめてテキトーに作ったけれど、
それなりの仕上がりで、一応カバーになっている。

でも、よほどの雨でないと使わないし、
あんまり出番がないなぁ…
逆いえば、だからこそリメイクでよかったかも。

で、傘カバーをどうするか、だ。

いま、私がもっているレインコートは、
自転車に乗っているときのためのレインコート(上のみ)。
こちらも本当に出番がなくて、
過去2〜3年の間に数回しか使っていない気がする。
絶対使わないとは言わないけれど、
その頻度はきわめて少なさそう。

どうしようかな〜と迷いつつ中身を確認したら、
外袋はすすけているけれど、中はけっこうきれい。
ファスナーもついているし、
これをリメイクするのはまだしのびないな…
それくらいなら傘袋用の生地を買ったほうがいいな。

っていうか、傘袋を買ったほうが早いか。

おしゃれでなくて、無地の黒でいいんだけどな。
できれば透明がいいけれど、縫い目やカビ対策が大変かな。

学習机マット用の透明カバーがあれば(
作ってみるのにな〜〜たらーっ
 2010.04.13 Tuesday 12:03 子どものもの permalink  
やっと、お人形を捨てる。
押入れの衣装ケースの中でずっと眠っていた、
抱っこサイズの人形2体()。
(1体は、すでに捨ててしまっていたらしい)

年末に子どもと相談して、
そろそろ捨てようということになった。
娘としては、昨年、ことあるごとに展開された
私との「おもちゃ論争」を経て、
使わないものを捨てれば、
使うものの置き場が確保できるということが
わかってきたらしいし、
私としては、もうボロボロになったこのお人形を、
とっておくほうがかわいそうになってきたのだ。

ちなみに、日本人形のほうは、
「ござるぴん」と命名されていた。
(この命名からしてどうよポロリ
髪も切っちゃって、えらいことになっている。
写真を残すのにも抵抗があるくらい。

しかし着物を捨てるのはさすがに気がひけたので、
裁縫上手な姉にたのんで、
マリアちゃん用の着物にしてもらった。
姉の話だと、縫うときに生地の経年を感じたそう。
ざっと計算しても60年近く前の生地だものね。

はだかんぼになった「ござるぴん」が寒そうなので、
とりあえず大判のハンカチで包む。

さて、このお人形たちをどう捨てようか。

その姿からして人形供養にお願いするのははばかられる。
これはもう、燃えるゴミしかなかろう。
(ちなみに、この地域では燃えるゴミの区分になる)

しかし、そのままゴミ袋というのも切ない。
で、以前、ぬいぐるみを捨てるときには
飴を添えるといい、
という話をきいたことがあるのを思い出し、
何を添えるか娘と相談する。

途中経過をはしょって結果だけをいうと、
「唐揚げ(の切れ端)」になった。たらーっ

なんかちがうよな〜〜
こういうことじゃないよな〜〜と思いつつ、
夕食のおかずの残りの唐揚げの切れ端を
サランラップに包んで人形に添え、
中身が見えない袋に入れる。

「遊んでくれてありがとうね」
と言いながら袋詰めをしていると、娘いわく、

「プロレスごっこしてくれてありがとうね!」

……あなたはこのお人形でそんなこともしていたのね。(ーー;

本来は飾って愛でる人形かもしれないが、
本望だろうな、とも思う。
だれにとっての本望かはわからないけれど。

しかし、今回は娘と相談して捨てたが、
いろいろ考えるにつけ、大事なものだからこそ、
やっぱりだまって捨てたほうがいい場合もあるな…と
最近よく思う。

捨てることにとらわれている気がしてきたから、
少なくとも娘の前では、
捨てたい気持ちをトーンダウンすることにした。
 2010.01.17 Sunday 07:49 子どものもの permalink  
鉛筆削りのゴミを集める紙
現在小2の娘が入学するときに買った
電池式鉛筆削りの切れ味(削り味)が、
だいぶ前からよくない。
いったん分解して我流で刃を研いでみたりしたのだけれど、
改善せず。

お気に入りだったし、
買ってしばらくは便利に使っていたのだが…

削れないわけではないものの、
鉛筆の芯が折れたり、木の部分が崩れたりする。
ひょっとして鉛筆のせいもある?

というわけで、最近は手でちまちま削る
小さな鉛筆削りで対応している。
(自分が何かの作業でこまめに削って使いたいときには、
 電池式を使っている)

で。

小さな鉛筆削りを使うにあたり、
ゴミを集めて捨てるための紙を机の脇に用意することにした。
これが便利便利。

とりあえず、チラシなどを切って、
クリアファイルに入れてあるのだけれど、
最近では、学校からもらってきたプリントのうち、
地域のイベントや一般的なもので保管の必要がないものを
その場で「ゴミ集め用」ファイルに入れてしまっている。

まず使うことのないプリントでも、
これまでは、一応ファイリングしておいたのだが、
1年+1学期の経験を経て
やっぱりいらないものはいらないのだ
という結論に達したしだい。

鉛筆削りのくずがすぐに捨てられることより、
不要なプリントの行き先が決まったことのほうが
うれしい気がするきょうこのごろ。

電池式鉛筆削り、復活。
 2009.09.08 Tuesday 08:34 子どものもの permalink  
名前スタンプ(失敗)
先日、「おなまえスタンプ」を捨てた。
これ、(私にとっては)失敗だったなぁ。

鉛筆削りをさがしに行ったとき、
文具売り場でつい目に入って買ってしまったのだ。
大小2サイズのひらがな&数字のゴム印パーツを
自分で組み合わせてスタンプ台に設置し、
インクをつけて押すというもの。
紙だけではなくプラスチックや金属もOKとのことで、
なんだか便利そうに見えたのだ。

単純に考えても、使わないひらがなのほうが多いし、
後悔するのは目に見えているはずなのだけれど、
真新しい学用品にきれいな文字で名前を入れられると
うれしいなぁ、手間もなくなるなぁ、なんて思ってしまって。
何しろ、たくさんのものに
名前を書かなくてはいけないだろうから。

でも、たくさんのものに名前を書かなくてはいけないからこそ、
スタンプではなく手書きのほうが早いということに
やってみたあとで気づいたのだった。おそい>私。

名前を入れる部分のスペースが様々で、
スタンプできれいに名前が押せるものが限られていたのだ。
問題は材質ではなく大きさであった。

一応、スペース的にOKなものはスタンプを使ったが、
色鉛筆やクレヨンなどは紙に書いて張ったし、
あとのものもほとんど油性ペンで書き入れていった。
これだけ数があると
「きれいに書かなくちゃ!」の緊張感もなくなるというもの。
それに、自分のひらがなの練習にもなるし。たらーっ
学用品のみならず、体育着や水着やその他もろもろ、
どうしても手書きにならざるを得ないものはあるのだから、
どうせなら手書きに慣れておいたほうがいいというもので。

それでも捨てるのはもったいなくてしばらくとってあった。
でも、夏休みに持ち帰った学用品の名前の欄を見てみたら、
スタンプで書いた(押した)名前は消えかかっていたのだ。
確かに紙以外のものでもインクはのったけど、
あまりもたないみたい。

これはもう捨てなくちゃ。
というわけで、捨てた。

ちょっと考えれば失敗するってわかりそうなものだけど、
入学式前でテンションあがってたんだろうなぁ。
 2008.09.09 Tuesday 10:55 子どものもの permalink  
学習机の回転椅子(やや失敗)
学習机と椅子は通販で買った。
だいぶ前から目をつけていた机セットが
在庫切れになってしまっていたので、別のお店で。
(こういう季節もの?は早目に買うのがいいとしみじみ思った)

本当は直接目で見て確かめてからのほうがいいのだろうが、
なんだかんだで通販にした。
そのかわり、かなり比較検討した。

私が求めていたのは、
「いかにも学習机」というデザインではなく、
「大人のパソコン机にもなります」というものでもなく、
子どもっぽくなくて、重々しくないもの。

という条件をほぼ満たす机が見つかって、
しばらく迷ったあと購入。
届いたものをみて、「うん、正解だった!」と思った。

がしかし、失敗だったのは回転椅子。
商品としては特に問題ないと思う。
でも、小学1年生の娘にとって、
回転椅子に座って身体をきちんと前向きに支えるというのは、
けっこう大変なのかもしれないと、
使い始めてから気づいた。

商品の比較検討していた段階から、
どっしりとしたタイプの椅子は避けていた。
その昔、重厚なベビーチェアーを買って、
安定感もあってよかったのだけれど、
椅子の横にあるつまみに子どもがよく頭をぶつけていたのだ。
丸みのあるつまみだからケガはしないし、
子どもはよくあちこちにぶつかるものだけれど、
どっしりしているぶん、ぶつかると痛そうなのだ。
そういうことが何度かあって、
「この椅子は鬼門だな〜」なんて思っていた私。

それ以来、どっしりとした椅子に
抵抗感をおぼえるようになった。
見ていると、安定感よりも移動するときの重さや
ぶつけたときの痛みを想像してしまう。
座ったあとの位置の前後を自分で調整できないとも思ったし。

しかし、小さい子どもにとって、
字を書くときに身体が安定しているというのは
大切かもしれない、と
今頃になって思うようになった。
椅子の位置の前後はこちらで調整してあげられても、
座っているときの左右のぶれはどうにもできないわけで。
(ずっと支えているわけにもいくまい)

でもまあ、椅子のせいにせず、きれいな姿勢が保てるよう、
なんとか習慣づけをがんばりたいと思う。
というか、がんばれ。>娘
 2008.06.25 Wednesday 08:40 子どものもの permalink  
学習机用マット(失敗)
この春そろえた学用品の中で失敗したなぁと思うのが、
学習机用マット。

机を買ったばかりのころは、マットは使わない予定だったのだ。
見た目がイマイチなので。

がしかし、新品の机に日々傷がついていくのを見ていたら、
これはなんとかしなければ!!と焦りが出てきて、
ある日、娘にも相談せずネットショップで注文した。

いわゆる昔ながらの学習机用マットで、
緑のシートに透明のシートがかぶせてあり、表裏に
日本地図と世界地図が書いてある紙がはさんであるもの。

で、さっそく届いて、しばらくは敷いておいたのだけれど、
どうやら娘は気に入らない様子。
地図もさほど喜ばない。

時間割や大事な書類をはさめるかなぁと思っていたけれど、
机の上にものがあるとかえって見えなくなりそうだし、
弾力があるので下敷きも必要。
ならば、机面で書くときにも
下敷きを敷く習慣をつければいいのではないか・・・

それに、買った私自身も、やっぱり見た目がイマイチだなぁ、
と感じてしまったのだった。

というわけで、マットははずすことになった。
今は丸めて押入れにいれてある。
開封する前ならばバザーに出せたけれど、
ちょっと使っちゃったし、どうしたものか。

焦って買わずに、娘と相談しながら、
もう少し検討すればよかった。

なお、あくまでもわが家では失敗だったということで、
商品自体はよいものだと思います。

重曹の詰め替え用「ろうと」
 2008.06.25 Wednesday 08:16 子どものもの permalink  
人形供養のこと
先日、紙物の整理をしているときに、
あるお寺の「人形供養祭」のチラシが出てきた。
1年半くらい前のもので、
郵便受けに入っていたものをとっておいたのだと思う。
インターネットで検索してみたけれど、
今年もやっているかどうかはわからなかった。
このお寺では1年に1回のようだったが、
特に日取りを決めずに受け付けているお寺も多いと思う。

人形供養って、ガラスケースに入っているような立派な人形が
おもな対象なのかなぁ〜と漠然と思っていたのだけれど
人形の種類というより
供養したい人の気持ちの問題だろうと思うので、
小さな人形やぬいぐるみもけっこう多いのだろう。

で、いろいろ検索しながら供養の写真を見ていたのだけれど、
祭壇にさまざまな人形やぬいぐるみが並んでいる様子は、
それなりにかわいらしい(といったら語弊があるかな)のだが、
燃え盛っている炎の近くで待機している
大きなぬいぐるみたちのお焚き上げの写真を見たときには、
なんだか切なくなった。

たとえば、群馬県の大黒山東泉寺
人形供養の模様の画像などで、その様子がわかる。

一度手放すと決めれば、
直接お寺に持って行って預けることや、
宅配便で送ったりすることに、
それほど抵抗はないかもしれないけれど、
あの燃え盛る炎に
自分の手で人形やぬいぐるみを葬る場面を思うと、
その時期を自分が決めるということに怖ささえ感じて、
ものを捨てるということはそういうことなのだ、
と思い知らされた気がした。

大した場所をとるわけでもないし、
そんな思いをするくらいなら、もう少しとっておこう・・・
という気持ちになってくる。

これまで、たくさんのぬいぐるみを捨ててきたけれど、
いつもごみ袋にぽいぽい詰めていたのだった。
引越し前で忙しいということもあったし、
あえて感情移入をしないようにして・・・。

あのお人形たちも、もしかすると、
ゴミとして捨ててしまうのかもしれない。
そうできるときになって、捨てるのかもしれない。

ものを捨てるって、ほんとに大変だわ・・・
 2008.06.16 Monday 16:48 子どものもの permalink  
子どものおもちゃの捨て方と、私の態度 (2)
うちには抱っこサイズの人形が3体ある。

1体は(娘の)ひいおばあちゃんからいただいた市販品の人形、
1体はおばあちゃんからいただいた日本人形、
1体はひいおばあちゃんの知り合いからいただいた
布製のお人形。

どれも小さい頃からよく遊んでいて、髪も身体もぼろぼろ、
関節部分のゴムが緩んだところは
いったん分解して苦労して修理したこともあるし、
日本人形の着物を
裁縫上手の姉に縫い直してもらったこともある。

もう十分に使ったと思うけれど、簡単には捨てられない。
人形だということもあるし、
いただきものだということもあるし、
娘にとって存在感がそこそこ大きい、ということもある。

ちなみに、日本人形が着ている着物は、
おばあちゃんがお宮参りに着た着物(の端切れ)を使って、
ひいおばあちゃんが縫ったものだそう。
(って私側ではなく元夫側の)

何十年とたっているだろうに、
きれいな状態で保たれていたその人形を
「こういうの怖がるかしらねぇ」というような感じで譲り受け、
娘に渡してみたところ、
人形は人形なのであり、思い切り遊びまくって、
髪は切っちゃうし着物はほどけていくし、
こんな使い方でいいのだろうか!?と不安になりつつも、
基本的には「いいのだ」と思っていた。
本望だろうな、とも。
(人形にとっても、義母、義祖母にとっても)

ただ、あまりに遊びすぎてボロボロの姿を見るにつけ、
むしろこれはもう、捨てたほうがいいのではないか、
と思うようになっていったわけなのだった。

しばらくは3体をカゴに入れて、棚の上に置き、
娘が要求するときだけ棚からおろして
(あるいは自分でおろして)遊び、
そうこうするうちほとんど遊ばなくなったので、
押入れの奥の衣装ケースに入れておくことにした。

それから半年くらいたったころ。
カメラ事件から1週間くらいのころ)

娘が「ねえ、お人形どこだっけ?」ときいてきた。
私は心で(待ってました!)と叫んだ。
そして自慢げに、
お人形たちはちゃんととってあるよ!
ママ、とっておいたの、えらいでしょ、えらいでしょ、
いまご飯作っているところだから、あとで出してあげるね〜〜
と興奮ぎみに娘に伝えたのであった。

その様子に、娘も
(なんだかよくわからないけれどママがうれしそうだし、
とりあえずよかった)
ってな感じで喜んで(半ばあきれて?)いた。

ごはんを食べた頃にはお互いすっかり忘れてそれっきり。

それ以来、「人形どこ?」とは一度もきいてこない。

そんなもんなんだなぁ〜〜たらーっ

子どもにとって(もしかすると私にとっても)、
「かけがえのないもの」って、本当に少ないのかもしれない。
けしてゼロではないし、
絶対に捨てられないおもちゃというのはあるけれど、
持っているおもちゃの95%くらいは、
なければないですむもの、ほかのもので代用できるもの、
ではなかろうか。

それが“捨てられた”とわかったときに、
かけがえのないものになるのではなかろうか。

だから、もし、子どもに黙って捨てるのならば、
捨てる痛みとともに、
捨てた後ろめたさも引き受けなければいけないのかもなぁ、
それを引き受けられるものだったら
捨ててもいいのかなぁ、と思った。
ウソをつくのはいやだし、ごまかすのもそれなりに疲れるけれど、
「いまだけ必要なもの」が
「そのとき必要だっただけのもの」になるか
「かけがえのないもの」になるかは、
私の態度ひとつではなかろうか、と思った一件だった。

もし本当はお人形を捨てていたとしても、
今回と同じような反応ができるかなぁ・・・
さすがにそれは嘘つきすぎだよなぁ・・・

子どものおもちゃの捨て方を考えるのは、
自分のものを捨てるよりも難しく、ストレスフルだ。

ものを大事にしてほしい、愛着をもってほしい、
でもこの狭いおうちですっきり暮らすには、
子どものものも整理しなくちゃいけないし、
実際、今も机まわりはごちゃごちゃ、
あれがない、これがない、とさがすことがよくある。

いったんは捨てまくってすっきりしたおもちゃたちだけれど、
まだまだ道は長いらしい。ふぅ。

> やっと、お人形を捨てる。
 2008.06.14 Saturday 18:21 子どものもの permalink  
子どものおもちゃの捨て方と、私の態度 (1)
子どものおもちゃの捨て方を考える」から、はや3ヶ月あまり。
私が勝手におもちゃを捨てたことでもめたことは・・・・・・
あります。たらーっ

1回は、「捨てたら子どもが怒ったおもちゃ」のとき。
もう1回は、カメラのおもちゃを捨てられたらことがわかったとき。

テレビの影響をすぐ受けやすいタイプの娘、
何かの番組を見て急にカメラマンごっこがやりたくなったらしく、
カメラのおもちゃをごそごそと探している。
「ママ、あれ知らない? ピンクのカメラ」
「ん? あ、捨てちゃった」

この一言がいけなかった。
この、軽い軽い一言が。

普段ならば、一瞬躊躇して、
ごまかすなり正直に話すなりするのに、
どういうわけかこのときは、
スルッとこの言葉が出てしまったのだ。

ちなみにそのおもちゃとは、
キャンディ・トイだったか、ファミレスで買ったんだったか、
とにかく300円くらいのもので、
ピンクの小さい箱型プラスチックに絵がはめこんであって、
シャッターを模したボタンを押すとランプがつく、
というただそれだけもの。(私にとっては)

うまくもっていけば、それほどコトは荒立たなかったと思う。
パソコンのおもちゃのときと同様に、
別の空き箱で作って丸くおさまったかもしれない。

しかしこの日は、自分の軽い一言への後悔と、
娘の大事なものを捨ててしまったらしいことへの動揺からか、
ものを捨てるにはわけがあるのだと、
なんだか言い訳始まっちゃうしそのうち逆ギレする始末。σ(^^;

で、大喧嘩に発展してしまったのだった。モゴモゴ

この一件は、カメラのおもちゃを捨てたこと自体よりも、
私の姿勢に大きな問題があったのだ、ということを、
後日、別件で、再確認したのであった。

(つづく)
 2008.06.13 Friday 09:49 子どものもの permalink  
捨てたら子どもが怒ったおもちゃ
おもちゃを捨てようキャンペーン()が終わって1週間後、
私に「あれはどこ?」ときいてきて、
(ごまかすほどではないと思い)「捨てたよ〜」と報告したら、
娘が怒ったもの↓

紙ずもうの土俵にしていたあき箱。たらーっ

子どもって、いちばん捨ててよさそうなものを、
いちばん大事にしてるんだよなぁ〜
 2008.03.01 Saturday 20:52 子どものもの permalink