生活費を総点検している話
今年の夏、あることがきっかけとなって、
生活費を総点検することになった。

あることというのは、
認識していない出費に気づいたこと。

もう少しはやく気づいていたら
無駄な出費をおさえることができたと思う。

というわけで、おおいに反省して、
今後のことを考えるにあたり、
これまでのことをふりかえってみたしだい。

まずやったことは、銀行の明細をもとに、
2016年度のおおまかな生活費を算出すること。

現金で支払ったものは細かいチェックはせずに、
銀行からおろした金額だけを確かめた。
あとは口座振替やクレジットカードでの支払いを確認。

これまでも、生活費にどれくらい使っているかを
計算してみたことはあるのだが、
「だいたいこのくらいだろう」と
おおざっぱに出した数値だった。

実際にはそれよりかなり多く使っていることがわかって、
自分でびっくりした。

実際の結果を確かめてみるというのは大事だと
しみじみ思ったしだい。

で、表計算ソフトに入力したそれらの数値を眺めながら
あれこれ自分へのツッコミどころをさがしている。

まずなんといっても多いのが
クレジットカードによる支払い。

これはつまり、
ネット経由の買い物が多いということだと思う。

いったい何を買ってきたのか
ざっとのぞいてみたのだが、
半分は買ってよかったと思えるもので、
残りの半分はいまなら買わないと思えるもの。

もっとも、買ってからわかることもあり、
本などは中身を読んでみないとわからないので、
手にしたあとでの「いまなら買わない」だけれども。

とにかく出費をおさるには、
ネットによる買物の見直しが
ひとつの対策になりそう。

また、現金で払っているものについては、
何にどれだけ使っているのか把握したいので、
この9月からは食費、おやつ、飲み物、…といった
項目別の数値も出してみている。

ちなみに昨年度と比べるため、
2016年9月の現金支出もおおまかにチェックしてみた。
レシートが残っているので
おおまかな項目別ならやれる。

そんなこんなでいろいろ計算しているのだが、
なんだか計算すること自体が楽しくなってきて、
あれこれ数字をいじって遊んだりもしている。

たとえば料理ごとの単価とか、
何に電気料金を使っているのか、とか。

この作業は実益のために始めたはずなのに、
結局また趣味の領域に入りつつある予感がするのだった。
 2017.09.29 Friday 20:00 その他 permalink  
うちにあるもの全リスト化をめざしている話
うちにあるものを
すべてリストアップしたいという願いをかなえるべく、
昨年くらいから「ROOM MAP」なるものを作っている。

部屋の間取り図に番号をつけ、
番号ごとにあるものをすべて書き出す作業。

最初は手書きでメモ用紙に書き、
ライフログノートに貼っていたのだけれど
これがまあ、やってみるとすごくあることがわかって
メモ用紙じゃおいつかなくなったのだ。

そのあと、薄めのノートに手書きでやろうともしたが
結局いまはパソコンで作ってプリントアウトしている。
見た目もいいし、修正も簡単だし、
バージョンアップさせるのにとても便利。

そして、できたものを見ながら、
対応をあれこれ書き込んでいる。

こういうことしているあいだに掃除でもしろよ〜〜〜
と自分で思うのだけれど
どうにも私はこういう作業が好きらしい。

なぜこういうことをしたいと思ったのか
もともとの動機の記憶をたどってみると、
金子由紀子著『持たない暮らし』に示されていた
雑誌「婦人之友」のデータがきっかけだったように思う。
ある家族の、家中すべての持ち物をカウントした数。

それで、自分が生活するために
いったいいくつのものを使っているか
できるものなら数えてみたいと思ったのが
始まりだったような気がする。

いまは、数を数えたいという気持ちはなく
うちにあるものすべてを把握したいという願いから
こういうことをやっている。

わが家は1LDKの親子2人暮らしで、
ものはそんなに多いほうではないと思うのだが
それでもまあ、部屋のなかには
たくさんのものがあることに気づく。

ちなみに、同じようなものがたくさんある場合は
まとめて示すこともある。

容器や種類などもいろいろと階層があって
最初は書き方が難しかったのだが、
何度か書くうちにようやく落ち着いてきた。

たとえばこんな感じ↓
(ちょっとアレンジしてあります)

================

4.洗濯機まわり

衣類乾燥機・スタンド
マグネットフック2個
靴用ハンガー
洗濯機

洗濯かご
  洗剤・詰め替え用
  カビ取り剤
  せんたくもの

3段引き出し
  バスタオル 8枚
    ピンク無地2枚
    チェック/厚手花/亀模様
    茶ピンク/プーさん黄色

       ・
       ・
       ・

================


衣類は別のページにまとめて一覧を作っている。
私と娘それぞれで、大きなくくりが
「下着」「トップス」「ボトムス」「アウター」
「小物」「パジャマ」「制服」などで、
季節の書き分けはこんな感じ↓


================

トップス

夏:めがねTシャツ
夏:ボーダーTシャツ
     ・
     ・
     ・
春・秋:ボーダースキッパ―
春・秋:白VネックTシャツ
     ・
     ・
     ・
冬:グレータートル
冬:茶色ドットタートル
     ・
     ・
     ・

================


洋服の場合、実際に収納している場所には
「季節のトップス」「オフシーズン上着」
などと書いている。

現在、95パーセントくらいまでできていて、
全リスト化まであとひといき。
なお、A4用紙27枚を2つ折りしての1冊で、
できあがりは
願いごと手帖」「ライフログノート
と同じA5サイズ。
ちなみに私はスケジュール帳もA5サイズ。

いま稼働中の「ROOM MAP 2017(下半期)」 は、
KINGSOFTのエクセルを使って
A4横置きサイズに、中央をあけて4列に入力し、
プリントアウトしたあと半分に折って、
パンチで穴をあけ、
ペーパーファスナーでとめている。

部屋を整えたいという気持ちは
もちろんあるけれど、
この作業はもう完全に「趣味」。

私がこういうことをやってると、娘から
「ママはしあわせそうでいいなーー」
とよく言われる。

確かにそうなのかもしれない。

いつか、趣味が実益につながりますように…!?
 2017.09.13 Wednesday 12:09 その他 permalink  
「いい人」のようにふるまうと、「いい人」になる。
先日、佐々木俊尚さんが
自分の10代の思い出を語る(語らされる!?)
次インタビュー動画を観た。

【大人だって】
作家・ジャーナリスト 佐々木俊尚さん 秘密の10代

http://buff.ly/1hLs9RI

     *     *     *  

 ネタバレというのもあれですが、
 最初から最後まで先入観なしで聴きたい方は、
 まず全部通して聴いてくださいね!

     *     *     *

いろいろ興味深かったのだけれど、
特に印象に残ったのは、
後編の3分15秒後くらいの話と、
それをふまえたラストの話。

佐々木さんは大学に入った頃、
村上春樹のデビュー作を読んで、
「ほんとに強い人間なんていないなんだ。
 自分が強いというふりをしている人間だけが
 強くなれるんだ。」
というような台詞を読み、感動して、
そうしようと思ったのだそう。

7分10秒後くらいにもう一度その話になり、
佐々木さんが
「最近、自分はいい人になろうと思っている。
 もともといい人じゃないんだけど、
 自分はいい人だと思い込んでいるうちに、
 いい人になれるんじゃないかな…」
という話をされている。

これは、つい先日読んだ森田療法の本の
「外相整えば内相おのずから熟す」―――形から入る
につながる話だと思う。

思いやりのある人間になろうとすることは、
思いやりのある人間になってから、
思いやりのある行動をとろうとすることであり、
そうではなくて、
実際に思いやりのある行動をとれば、
思いやりのある人間になるということ。

どんなに心のなかや頭のなかで
善意をこねくりまわしても、
善意のある行動をとらなければ、
そこに善意はない。

逆に、心のなかで「本当は立ちたくないなぁ」
と思っていても、実際に席をゆずれば、
それは思いやりのある人間のとる行動。

つまり、そのように装えば、
そのようになる、ということ。

自分は強いのか、自分はいい人なのか、
と考えて結論を出すのではなく、
強くなろう、いい人になろうと目指すのではなく、
自分がそうなりたいという状態に
実際に自分がなっているように振舞う。

思い込むうちに、そうなっていく。

おそらく、最初は「思い込み」でも、
そこから生じる自分の言動が、
フィードバックされていって、
自分が作られていき、
実際にそうなるのではないかと感じている。

逆のことも言えるんだと思う。

攻撃的な言動を繰り返すうちに、
攻撃的な人になる。

自分はくだらない人間だと自分で思い込むと、
くだらない人間になってしまう。

人間ってたぶん、とまっていないし、
固まっていないんだと思う。

ずっと、つくられていくんだと思う。
 2014.05.19 Monday 15:03 その他 permalink  
電子レンジの点検に来てもらってよかった〜
坂口恭平『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』
を読んでいるところだけれど、
電子レンジの点検のことを早めに書くことにした。

というのも、
シンプルライフの一形態としてのニート暮らしで、
「うちの電子レンジは道端で見つけて
 もらってきたんだよ(エッヘン!)」
みたいな感じで、若干ドヤ顔で(!?)書いていたので、
その自分の脳天気さを、早めに回収しておきたいがゆえ。

あの記事を書いた少しあと、
電子レンジでちょっと気になる症状が出た。
(正確にはオーブンレンジ)

扉が上から下にあく方式なのだが、
その日、たまたま扉の前に、ハンカチで包んだ
小さな保冷剤をおきっぱなしにしてしまっていて、
扉をあけて中のものを出すときに、
扉の表面が保冷剤に接触する形になってしまったのだ。

そうしたら、表面の一部が白濁したような状態になった。
内部で結露したのかとも思ったのだが、妙に白い。
しばらくすると白濁は消えた。
割れたりヒビが入ったりはしていない。

で、そのあとも電子レンジは使ったのだけれど、
だんだん不安になってきて、翌日からは使うことをやめ、
メーカーのサイト経由で問い合わせをしてみた。

お返事によると、この症状に関しては
直接見てみないとわからないとのこと。なるほど。

お返事を読んで気づいたのだが、私はおそらく、
「これこれこういうことが起きたのだと思います、
 心配ありません」
の一言がほしくてメールしたのだ。
でも、お返事を読んで、確かにそうだとしみじみ思った。

で、帰省直前だったこともあり、
点検・修理をお願いするときには
あらためてメールしますと返信して、
そのあとしばらくオーブンレンジなしの生活を送ってみた。

温めたいものは、鍋に入れて火にかけたり、蒸したり。
オーブンのかわりに魚焼きを使ったり。

しかし、オーブン機能はわりと大丈夫なのに対し、
やはり解凍したり温めたりするときに
電子レンジはあったほうが便利だなぁ・・・
という結論が出つつあった。

なので、
路上生活者の、電気とのつきあい方
を書いた日に、点検の申し込みをしたしだい。

もちろん、有料だということはわかっていて、
その料金も納得したうえで。

で、きのう見てもらったのだが・・・

来てもらって本当によかったと思った。

古いのが気になっていたこともあり(1987年製!)
安全に使えるかどうかも確認してほしくて、
それはなかなか難しいというお話だったのだけれど、
見た目にあきらかな不具合があれば、その限りではないわけで。

私はまったく気がついていなかったのだが、
扉の上の端が両方とも、少し欠けていたのだ。

何しろもらってきてからもう10年使っているし、
そのあと何度か引越しもしているので、
そういうことがあってもおかしくないかもしれない。

で、例の白濁は、同じ状況を再現してみせて、
最初は結露でしょうと言われたものの、
しばらくおいておくとやはり結露にしては白くて、
何かをこぼしたのか、ガラス向こう側に
何かが付着しているのかもしれない、とのこと。

表面のガラスと内側のガラスの間には空間があって、
そのあいだに黒い網状のものがあり、
(このあたりについてはネットでさんざん調べ済み)
そこはあけることができないので、
掃除もできないわけだけれど、
もともと、ゴムパッキンの隙間から
水分が入り込む可能性はあるうえに、
扉が欠けて隙間があるんだから、
それ以上入ってもおかしくないわけであり。

こういう状態のときには、
あまり近づいてのぞいたりしないほうがいい、
というお話だった。
(っていうか、基本、あんまり近くで
 のぞきこまないほうがいいんだと思う。)

さらに、アースの線が根元から切られていることもわかった。
幸い、事故も不都合も起きてないからよかったけれど、
知らない人からもらってくると、
こういうことがあるんだなぁ・・・と思った。

で、この機会に、
電子レンジにまつわる不安や気になりごとを、
あれこれあれこれたくさん質問した。

マイクロ波の話はもちろんのこと、考えられる事故の話など。
(お味噌汁とか牛乳を温めたときの、
 いわゆる突沸現象によるヤケドなどがあるらしい)

それから、買い替えはすでに考えていて、
近所のリサイクルショップに売っていることも
確認してあったのだけれど、
電子レンジは中古ではないほうがいい、
という結論も出た。
(これは考え方によるみたいで、
 私はこういう結論を出した、ということ)

また、オーブンレンジではなく、
レンジはレンジ、
オーブンはオーブン(あるいはナシ)で
いくことにした。

私が電子レンジに求めるものから、
どのくらいの値段の電子レンジを買えばいいか、
の目安もわかった。

そのほかも、昔の電子レンジといまの電子レンジの違いや、
ターンテーブルのことや、マグネトロンのことや、
音についてのことや、修理代のことなどなど。

そこで聞いた話を、
こと細かにここに書くわけにはいかないけれど、
とにかくこれだけ話をきいて3,360円なら高くない、
としみじみ思うことであった。

説明嫌いな人じゃなくてよかった。
(って、そういう人ならこの仕事つかないか・・・)
あと、へんに営業営業もしてなかった。

とにかく、なんでもかんでももらえばいいや、
ということではなくて、
ある程度、そのものについての知識があることと、
ちゃんと確認することできて判断することができる、
というのが、
「どういう使われ方をしてきたのかわからない」
ものをもらってきて使っていい人の条件かもしれないなぁ、
と思うことであった。

保冷剤を置いてしまったときには、
失敗した〜〜と思ったのだけれど、
それがなかったらずっと使っていた気がするので、
いい機会になって、本当によかったと思う。

 2013.09.06 Friday 10:38 その他 permalink  
食品品質保持剤の場合はどうなるのか
先日久しぶりに、
1個だけで包装されて売られている洋菓子を買った。
パウンドケーキとワッフル。
どちらにも食品品質保持剤が入っていた。

パウンドケーキのほうは「オイテックL」。
日本化薬フードテクノ株式会社の製品で、
シリカ・エタノールと書いてある。
エタノールガスを蒸散させてカビを防ぎ、
食品をソフトに保つのが目的であるらしい。

ワッフルのほうは「アンチモールド・テンダー」。
こちらはフロイント産業株式会社の製品で、
エタノール・吸液ポリマーと書かれてある。
こちらもエタノールガスの蒸散が目的であるらしく、
食品の保湿と防カビを目的としたものであるらしいが、
ジェル状のエタノールを使っているとのこと。

私ってば、こういう食品の袋に入っている小さい附属物は、
乾燥剤以外は脱酸素剤的なもので、
「脱」を目的にしていると思っていたのだけれど、
これらは「蒸散」するのですね。 

ほんでもって、
「あんまり意味はないんだろうな」と思いつつ、
吸着型乾燥剤だろうか品質保持剤だろうが、
ビニール袋に入れるなどして、
水気に触れないようにして捨てていたのだが、
どうやら上記のアンチモールド・テンダーや脱酸素剤は
不燃ゴミとして捨てたほうがいい(場合が多い)らしいのだ。

脱酸素剤といえば、いま手元にエージレスがある。
http://www.mgc.co.jp/seihin/a/ageless/
鉄が錆びる時に酸素と結合する働きを応用したものらしい。
なるほど。中身が鉄粉なら、不燃ごみだな・・・
でも、包装材は可燃ごみなんじゃなかろうか。

鉄系のほか、有機系と言われる脱酸素剤もあるらしい。

ううむ。

こういうものの捨て方が気になるなら、
食品品質保持剤が必要な食品を
あまり買わないようにするのが、
いちばん話は早いのかもしれない。

でも、今回検索してみて、勉強になったし面白かった。

身のまわりのものの仕組みが1つわかると、
安心が1つ得られる。

と同時に、なぜこんなにいろいろな
「食品を守る化学テク」が必要なのか、
ということを考えるきっかけにもなりそう。
・・・だったのだが、
今回はそこまで思いをめぐらせられなかった。
また今度。
 2012.06.26 Tuesday 16:10 その他 permalink  
石灰乾燥剤を生ゴミといっしょに捨ててはいけないことについて

強迫神経症気質のワタシ、
「ゴミ出し」にはけっこう神経を使う。

その神経の使い方はいろいろで、
意味ある使い方と意味のない使い方があるわけなのだけれど、
意味ある使い方のひとつは、「乾燥剤の捨て方」だったりする。

海苔などに入っている石灰乾燥剤は
水気にふれると発熱するので、
生ゴミと一緒に捨ててはいけないというのは
常識だと思うのだけれど、
ならばいっそ水に入れて反応させてから
捨てるという方法もあるらしいということを知っていて、
一度試してみようかと思い、結局実践していなかった。

で、ちょっとやってみようかと思い立ち、
念のために検索して勉強しておこうと思ったのだが、
以下の動画を見て、やっぱりやめようと思った。

http://science.wao.ne.jp/experiment/
recipe.php?contents_no=50765


なぜかというと、袋から出してまで
実験しようとは思っていなかったから。

どうやら乾燥剤の袋は
けっこう考えられて作られているらしく、
そのままどぼっと水に入れても、
水温は急には上昇しないらしい。

しかし、中身に直接水を反応させると、
やはり発熱して温度は急にあがるものらしい。
(自分ではやっていないが)

確かにあの紙がある程度工夫されていないと、
もっと事故は起こっているかもしれないし、
もっと世間の話題になっているかもしれない。
http://www.ohe-chem.co.jp/qa.html#1-10

やっぱりこれまでどおり、
ビニール袋に入れるなどして
水に触れない状態で捨てようと思うのだが、
うちはそれでいいとしても、
ゴミ収集車の中で袋がやぶれて、
他の人の生ゴミとまざったりしないのだろうか?

ちなみに、発熱しないタイプの乾燥剤でも
やっぱり水と触れないようにして捨ててしまう私。
このあたりは意味のない神経の使い方なんだろうな。

ちなみに、乾燥剤は、
化学反応を利用するものと、吸着方式のものがあるらしい。
http://www.ohe-chem.co.jp/qa.html#1-8

なので、化学反応を利用するタイプのものは、
簡単に再利用ができないということになるのだろう。

それにしても、化学反応利用タイプの乾燥剤を
生ゴミと混ぜて捨ててはいけないことを考えたい場合、

CaO + H2O → Ca(OH)2

という化学式だけで考えても、意味がないんだろうな。

CaO + H2O = Ca(OH)2 + 65.2kJ

で考えないと。
http://kinki.chemistry.or.jp/pre/esa-15.html

というところまでわかるのだが、
実際にこの式をみても、数字を見ても、
ちんぷんかんぷんなのであった。

しかし今回このことを調べてみて、少し安心した。
これまでよりも、神経の使い方がまともになる気がした。

 2012.06.18 Monday 11:24 その他 permalink  
目の前を幼虫が歩いていたのだ
ゴールデンウィークが明けた5月上旬、
道を歩いていたら、ふと、
目の前を幼虫が通りすぎようとしているのに気がついた。
「踏み潰さなくてよかった〜〜」
と思いながら座り込んでまじまじと眺めてみる。

カブトムシ・・・? 

まさかこんなところにはいないよね・・・

コガネムシ・・・?

近くに小さな公園があるけれど、
そこそこ交通量のある道路の向こう側なので、
公園から横切ってきたとは考えにくい。

となると、すぐそばにあった花壇からの
お引っ越しだったのだろうか。

葉っぱか何かにのせて手助けした覚えがあるのだが、
近くの植え込みまで運び、しばらく観察していると、
幼虫はわっせわっせと地中へもぐっていった。



いっしょにうつっているダンゴムシとの比較からわかるように、
3cmくらいの大きさだった。

環境から考えるとコガネムシだと思うのだが、
背中ではなく足で歩いていたような気がするので、
ということはもしかしたらカブトムシだったのだろうか・・・

なお、ここから歩いて2〜3分のところに娘の通う小学校があり、
数年前に、小学校のコンポストの中から
カブトムシの幼虫が見つかったという話はきいているので、
絶対にない話でもないのかもしれない。

さて。

もしこれがコガネムシだった場合・・・

私はわざわざ害虫を、
よそさま(そこは確かデイホーム)の植え込みに
仕込んだことになるのでしょうか・・・

いっそ踏み潰していたほうが、
世のため人のためだったのでしょうか・・・
 2012.06.07 Thursday 09:51 その他 permalink  
PTA活動をしながら感じること、考えること
PTA活動は、やれば必ず得るものはあるが、
楽しくてしかたがないというものでもない。
仕事でもなく、自発的なボランティアでもない、
独特な世界。

でも、PTA活動が完全になくなったら、
学校は成り立たないだろうと思っていて、
自分がやれることはやろうと思っていて、
娘が2年生の頃から、まあまあ働いている。

  PTA活動については、
  子育てブログ:こどものちかくに、
  カテゴリー作って書いてます。

しかし、今年はこともあろうに、
とある委員会の委員長になってしまった。

じゃんけんとかくじ引きではなく、
最終的には自分でOKしたわけなのだけれど、
ちょっと荷が重いなぁという感触が、
ずっと消せずにいた。

幼稚園のときに役員の経験はあるが、
何しろ規模が違う。
それに、幼稚園より組織立っている。

加えて、実際に活動が始まったあと、
これまでとちょっと違うことを感じるようにもなっていた。

PTA活動って本当に勉強になるんだけれど、
「この勉強が役に立つ場面が、
これから先の私の人生にあるだろうか?」というふうに。

ふだん自分が好きでやっている勉強のときには
こういうことは感じない。
ふだんの勉強は、知ることそのものが喜びだから。
たぶん、「勉強」の意味が違うのだと思う。

そんなこんなで、引き受けたはいいけれど、
4月下旬からずっと、うすーく、ユーウツだった。
毎年のことになると、さすがに疲れてくるらしい。

しかし、何かの会合に参加したり、作業をやったりすると、
参加してよかったなぁ、とやっぱり思う。
この人たちと出会えてよかったなぁと思うし、
これを知ることができてよかったなぁ、と思う。

PTA活動をしていると、がんばっている人のがんばりが、
本当に身近にせまってくる。

だから、「あとに活かせるかどうか」ではなく、
その瞬間で成立、成就する喜びを感じられるよう、
なんとか1年間がんばりたいと思うきょうこのごろ。

さて、それはそうとして。

今年のPTA活動は・・・というか、何をするにも、
どうしても震災・防災のことを意識してしまうものだと思う。

たとえば、夏祭りの係の人が節電を意識したり、
地域のあれこれのお世話をする係の人が、
例年以上に防災・安全を意識したり・・・というふうに。

今年私が所属している委員会も
一時的にではあるが、
震災のことを意識する活動になっている。
しかも、かなり。

なので、学校側からの話をきくことも多く、
いろいろ考えさせられる。

そこで知ることや考えることは、
これまでブログで考えてきたこととは少し違う。

会話のなかに放射性物質の話は出てこないし、
節電対策の話も出てこない。

福島や東北、日本、世界、地球というような、
大きな話ではないし、
かといって、「私の生き方」というプライベートな話でもない。

自分が通う学校と、その近隣地域に限られた、
遠距離でも近距離でもない、中距離な話。

PTA活動というものそのものが、
中距離活動なのかもしれない。

そして、中距離の活動にまつわる思考は、地味だ。

もちろんそこから、一般的・普遍的なことを
抽出することはできるだろう。
しかし、ディテイルが大事な世界であり、
遠距離や近距離ほど理念的なものにはならない。

なので、最近、放射性物質のことや、
遠距離のことを、あんまり考えられなくなった。

でも、こんなことも思うのだ。

はじめて幼稚園の役員をやったときには、
究極の不払い労働だと感じたけれど、
その後、いろいろ考えて、
PTA活動というのはある種の社会奉仕なのだなぁ、
と思うようになった私。

ダイレクトに自分の子どものためにやるものではなく、
自分がたまたま小学生の保護者であるという立場のもとに、
学校を通してやる社会奉仕。

私は、東北にボランティア活動にも行っていないし、
なんにもしていない。

でも、困った人を助けたい、傷ついた人の力になりたい、
と思う気持ち・行動が社会奉仕なのであれば、
私は自分に与えられた場で、
やるべき仕事を地道にこなすことが、
結局、私にできることなのではないだろうか。
たとえ直接には関係しないとしても。

ということを教わったのも、
これまたPTA活動を通してなのだった。
 2011.05.21 Saturday 08:19 その他 permalink  
いまを大切にすることは、過去と未来を考えないことではない

母宅から拾いあげてきたアクリル毛糸は、
その後どういうことになったかというと、
帯がついていて新品(というか未使用)と思われるものは
学校のイベントの提供品として出し、
残りの毛糸は気がむいたときに新しいたわしを編み、
すでに編まれているものも含めて、少しずつ使っている。
が、全然減っている感じがしない・・・

ふだんよりペースをあげたとしても
(これがこわいところだけど>)、
消費するのは、1ヶ月に1〜2こ。
1玉で3こくらいあめるのだから、
単純に考えても、何年分もある。

しかも、自分が使いにくい形のものや、
自分では買わない色の毛糸も
たくさんある。(っていうか、そんなのばっかり)

たかがアクリルたわしだけれど、
こういうストックが押入れにあることを
時々思い出しては、軽〜く憂鬱になるのだった。
否、なっていた。
余計なストックのうえ、
余計なストレスも抱えるのもなんだから、
さすがにそろそろ割り切ることにした。

とはいえ、思うのだ。

母は、これだけのアクリル毛糸を、
どうするつもりだったのか?と。
そういえば、うちにもよく送られてきていたっけ。
だとしても、限度というものがあるだろうに。

たしか「アクリルたわし編み機」のようなものも
買っていたと思うから、
どんどん編めるのが楽しくて、
どんどん買っては、どんどん編んでいたのかもしれない。
ということは、母にとって、「使う」という最終段階は、
もうほとんど見えていなかったのかもしれない。

アクリルたわしだけに限らず、
すべてについてそんな感じだったのだと思う。

きのうあることを調べていて、

それはテレビで「断捨離」のことをやっていたときに、
「いまの自分を中心に考える」
といったような説明があった気がして、
それを確かめたくて検索していたのだけれど、
やはり「断捨離」には「時間軸は今」という発想があるもよう。

「現実逃避型」「過去執着型」「未来不安型」
という分析もあるらしい。

それはシンプルライフでも同じであり、
要は、過去への執着や、未来への不安にとらわれると、
「いま」が見えなくなっていく、ということなのだと思う。
しかし、人生は「いま」の連続なのだから、
「いま」を大事にしないと、快適な生活は永遠にこない。
ということになってしまう。

「いまを大切にする」という考え方には
大いに共感するというか、
学ばされるところが大きいのだけれど、
そうはいっても、母の“物”に接していると、
いろいろ考えこんでしまうのだ。

母は、自分の“この先”を、どう思い描いていたのか、と。

老後や、人生の“この先”といった大きなことは
とりあえずおいておくことにしよう。
準備したって、想像したって、
先のことはわからないのだから。

でも、たとえば、アクリル毛糸を買うときに、
その消費のペースを自分で考えて、
在庫を確認するとか、買いとどまるとか、
そういう発想はなかったのだろうか?
(皆無だったと思う)

食べきれない量のお菓子を、
そのとき欲しいという気持ちだけで、
なぜ、買ってしまうのか。

という母の生き方は生き方で、
「いまの自分の欲望しか考えていない」
ということになってしまうと思うのだ。

たぶん、いまを大切にするって、
いまの欲望に忠実に行動する、ということではないと思う。
がしかし、いまを大切にするというのは、
いまの自分の快適さを大切にするということだと思う。

その違いは、大きいのか、紙一重なのか。
あるいは、欲望それ自体を問い直していくということか。

シンプルライフの「いまを大切にする」という姿勢は、
「あとのことを考えない」ということではなく、もしかすると、
「あとのことをちゃんと考える」ということなのかもしれない。
「過去をひきずらない」ということではなく、
「過去をちゃんと受けとめる」ということかもしれない。

買ったはいいけれど、使えなかったものを、潔く捨てる。
そのときに、捨てる痛みを感じる。自分でひきうける。
そして、できるだけ、同じ“捨て”をくり返さないよう、
次の買い物のときに、
それを買った自分の未来の情景を想像する。
そして、GOサインを出すか、買いとどまるかの
判断をする。
絶対くり返してはいけない、ということではなくて、
あのときの自分も、これからの自分も、大切にしよう。
そういうことなのかもしれないなぁ、と最近思う。

これまでは、捨てない人が多かった。
だから、無駄なものを買った自分、持ち続けている自分を
知らなかったし、認めなかった。

だから、まず、知ろう。認めよう。

そして、これから先の大切なことは、
「捨て慣れない」ことのような気がする。

そう、自分に言い聞かせながら、
アクリルたわしを編む日々なのであった。

 2011.02.13 Sunday 12:42 その他 permalink  
残すもの、残るもの
「残った」ものには、
「残したもの」と、
「残っちゃったもの」があるなぁ・・・と最近思う。

そして、モノであれば、「残す」ことも可能だけれど、
人の心に残る無形のものは、
「残す」よりも「残る」ものが圧倒的に多いのかもしれない、
と思う。

どんなふうに残るかは、結局、自分が手を出せないのかも。
残したいように残す、ということはできないのかも。
そして意外と、残したかったものは残らなくて、
残すつもりがなかったものが残ってしまうのかも。

同じように、遺すもの・遺るもの、があるような気がする。

  (あら、「遺る」は変換してくれないのね…)
 
 2010.12.16 Thursday 11:10 その他 permalink