40代で始めた歯列矯正のその後
私は44歳で歯列矯正を始め、
その経過をブログで書いてきた。
>カテゴリー:40代の歯列矯正

歯が整うまでに4年くらいかかり、
保定期間に入ってからもうすぐ5年だが、
いまでも2日に一度は、寝るときに
リテーナー(保定装置)をつけていて、
1年に1〜2回は検診に通っている。

ちなみに、最初に作ったリテーナーは、
紛失することなく現在も稼働中。

矯正が終わってからしばらくは、
ほんの少しの歯の動き、
あるいは動いているのではないかという不安が
生じることがあったが、
いまはほとんど気にならない。

ただ、せっかく矯正したのだから、
できるだけもとにもどらないようにとは思っていて、
言われたようにリテーナーをつけ、
検診に通っている。

ふりかえるにつけ、
あのとき矯正をしてよかったと思う。

見た目の問題はもちろん、
歯のメンテナンスもしやすくなっているように思うし、
歯医者さんに行くのが特別ではなくなっているし。

かつて、歯医者に通うと人生を考える
と思ったことがあるのだが、
いまもしみじみそう思う。

人生には限りがあり、
歯は消耗品であるということ。
そして、歯は使うものであるということ。

たとえば、現在の歯に関する懸念の1つに
着色のことがあるのだけれど、
もし歯に色をつけたくないのであれば
歯に色がつくものを
口に入れないのがいちばん。

しかし、私はコーヒーが好きなのだ。
コーヒーを飲みながら好きなことをするひとときは
人生のなかで大切な時間。

ならば、コーヒーのあとで水を飲めば
着色がおさえられるという話もあるようなのだが、
コーヒーが飲みたいときにはコーヒーが飲みたいのだ。

その場合、コーヒーを選ぶか、非着色を選ぶか、
ということになる。

さらに、ついてしまった汚れへの対応にもいくつか道があり、
歯への負担と経済的負担を考えて選んでいくことになる。

要は、そのバランスをどうするかということなんだと思う。

何をどこまで大切にして、
何を少しあきらめるかということ。

それがつまりは、人生というと大げさだけど、
限りある時間の過ごし方、暮らし方を
考えて選んでいくことなんだろうなぁ…
なんてことをあらためて思うのだった。

 2017.09.21 Thursday 16:04 40代の歯列矯正 permalink  
エンディングノートを買った話
夏のはじめに、エンディングノートを買った。
ふとそんな気持ちになって。

フォーマットがあったほうがよかろうと思い、
専用のノートをAmazonで購入↓
コクヨ エンディングノート もしもの時に役立つノート B5 LES-E101

いざというときのため…
という気持ちはもちろんあるけれど、
エンディングノートという形で
いまの自分の状況を整理するため
書き始めてみたしだい。

ROOM MAP は“もの”の書き出しだが、
エンディングノートは情報の書き出しということになる。

ある程度記入してわかったのは、
今後は上記のような立派な専用ノートは
必要なさそうだということ。
「なし」と書き込んだページがけっこうあるので。

逆に、用意された欄を使いきった項目、
たりない項目などもあった。

たとえばWebサイトのID。
書き出してみるとほんとうにたくさんあって驚く。
このページは直接記入するのではなく、
プリントアウトして貼り付ける方向で準備中。

各種IDについては、比較的よく使うものは
スケジュール帳のうしろのほうに書いていて、
たまにしか使わないものを
古いスケジュール帳でさがすということがあったので
ひとつにまとめておくと便利そう。

でも、せっかくカバーつきの専用ノートを買ったし、
それなりのページ数があるので、
これを上書きしたりカスタマイズしていこうと思う。

そういえば、母もエンディングノートを
書いていた記憶がある。

見つけたのが生前だったのか他界したあとなのか
いまとなっては思い出せないのだが、
とにかく参考にしてはいなかった。
母には申し訳なかったけれど。

そんな経験もあってか、
介護や葬儀のページは当分書けそうにない。
「おまかせする」の欄もあるにはあるのだが。

ただ、延命処置については
ひとこと書いておいたほうがいいのだろうか…
という考えもあり、迷うところ。

全体的に折に触れ見返して、
更新したりバージョンアップしていきたい。

いずれにせよ、ROOM MAP とは少し違う形の
自分の状態の把握になると感じている。

 2017.09.19 Tuesday 09:31 ノート術 permalink  
続かなかったノート術から
とにかく私は「書き出す」ことが好きだ。

  10年めに入った願いごと手帖
  我流で1年半続いているライフログノート
  3代めに入った ROOM MAP

あと1冊別のノートがあるのだが(まだあるんかい!)
それは次回書くことにして
今回は、やろうとしたけれど続かなかった
とあるノート術について書いてみたい。

実は、続かなかった日記術やノート術は、
少し記憶をたどっただけでも5種類はある。

それはもちろん、ノート術に問題があるのではなく
自分に向いていなかった、
あるいはそのときの自分に向いていなかったという、
ただそれだけのことだと思う。

そのうちの4種類は、
たぶんこれからもやらない気がするけれど、
うち1種類はもしかしたら今後やるかもしれないので
本を読み返す意味も含めて、
ブログに書いてみることにした。

それは何かというと、永谷研一さん提案の
1日5分 「よい習慣」を無理なく身につける できたことノート

久しぶりに書影を見て、
いかにも自分が買いそうな本だとしみじみ思った。
ちなみにkindle版で購入。

とにかくなにかにつけ思うことは、
習慣づけの大切さと難しさ。

習慣になってしまえばラクだということと、
よい習慣をつけることの難しさおよび
わるい習慣をなくすことの難しさ。

それが無理なく身につけられたら
こんなうれしいことはない。

しかも、「できたこと」を記録していくというのが
なんともポジティブじゃないか。

で。

ライフログノートでやりかけたはいいのだが、
皮肉なことに、私の場合、
「できたことノート」を書く
習慣がつかなかったのだ。

願いごと手帖の場合は
開きたいときに開けばいいが、
できたことノートは定期的に記録して、
定期的に分析していかないと
ノート術の力が発揮されないと思う。
これがなかなか難しい。

ちなみに「できたこと」というのは、
いつも通りこなした「したこと」ではなく、
よりよくできたこと。

それを見つけようとすることに、
まずは意味があると思った。
おそらく、意識しておかないと
キャッチできないことだと思うので。

そのためにどうしたらいいのかが
本に書いてあるのだが、
そういう“もっていき方”自体は
「願いごと手帖」に相通ずるものがあると思った。

「願いごと」も「できたこと」も、
すぐにたくさん思いつく人はいいけれど、
そうじゃない場合、どうやって見つけたらいいのか、
そのアプローチのしかたが示してあるという意味で。

また、うまくやれない人の対処方法も書いてあったりして、
なかなか親切だとあらためて思った。

なのになぜ続かなかったのだろう?

考えてみてひとつ思いついたのは、
「自分に向きあう度合の高いノート術」
だからかもしれないということ。

願いごと手帖は棚ぼた精神が基本だし、
ライフログノートはやったことを書けばいいし、
ROOM MAP はうちにあるものをひたすら書き出すだけだし。

久しぶりに読み返してみても、
「ちょっと億劫だな…」という感覚がある。

とはいえ、ライフログノートを書いているのだから、
その延長でやろうと思えばわりとすぐにできそうな気がする。

その気になったらやってみよう。
 2017.09.17 Sunday 14:23 ノート術 permalink  
うちにあるもの全リスト化をめざしている話
うちにあるものを
すべてリストアップしたいという願いをかなえるべく、
昨年くらいから「ROOM MAP」なるものを作っている。

部屋の間取り図に番号をつけ、
番号ごとにあるものをすべて書き出す作業。

最初は手書きでメモ用紙に書き、
ライフログノートに貼っていたのだけれど
これがまあ、やってみるとすごくあることがわかって
メモ用紙じゃおいつかなくなったのだ。

そのあと、薄めのノートに手書きでやろうともしたが
結局いまはパソコンで作ってプリントアウトしている。
見た目もいいし、修正も簡単だし、
バージョンアップさせるのにとても便利。

そして、できたものを見ながら、
対応をあれこれ書き込んでいる。

こういうことしているあいだに掃除でもしろよ〜〜〜
と自分で思うのだけれど
どうにも私はこういう作業が好きらしい。

なぜこういうことをしたいと思ったのか
もともとの動機の記憶をたどってみると、
金子由紀子著『持たない暮らし』に示されていた
雑誌「婦人之友」のデータがきっかけだったように思う。
ある家族の、家中すべての持ち物をカウントした数。

それで、自分が生活するために
いったいいくつのものを使っているか
できるものなら数えてみたいと思ったのが
始まりだったような気がする。

いまは、数を数えたいという気持ちはなく
うちにあるものすべてを把握したいという願いから
こういうことをやっている。

わが家は1LDKの親子2人暮らしで、
ものはそんなに多いほうではないと思うのだが
それでもまあ、部屋のなかには
たくさんのものがあることに気づく。

ちなみに、同じようなものがたくさんある場合は
まとめて示すこともある。

容器や種類などもいろいろと階層があって
最初は書き方が難しかったのだが、
何度か書くうちにようやく落ち着いてきた。

たとえばこんな感じ↓
(ちょっとアレンジしてあります)

================

4.洗濯機まわり

衣類乾燥機・スタンド
マグネットフック2個
靴用ハンガー
洗濯機

洗濯かご
  洗剤・詰め替え用
  カビ取り剤
  せんたくもの

3段引き出し
  バスタオル 8枚
    ピンク無地2枚
    チェック/厚手花/亀模様
    茶ピンク/プーさん黄色

       ・
       ・
       ・

================


衣類は別のページにまとめて一覧を作っている。
私と娘それぞれで、大きなくくりが
「下着」「トップス」「ボトムス」「アウター」
「小物」「パジャマ」「制服」などで、
季節の書き分けはこんな感じ↓


================

トップス

夏:めがねTシャツ
夏:ボーダーTシャツ
     ・
     ・
     ・
春・秋:ボーダースキッパ―
春・秋:白VネックTシャツ
     ・
     ・
     ・
冬:グレータートル
冬:茶色ドットタートル
     ・
     ・
     ・

================


洋服の場合、実際に収納している場所には
「季節のトップス」「オフシーズン上着」
などと書いている。

現在、95パーセントくらいまでできていて、
全リスト化まであとひといき。
なお、A4用紙27枚を2つ折りしての1冊で、
できあがりは
願いごと手帖」「ライフログノート
と同じA5サイズ。
ちなみに私はスケジュール帳もA5サイズ。

いま稼働中の「ROOM MAP 2017(下半期)」 は、
KINGSOFTのエクセルを使って
A4横置きサイズに、中央をあけて4列に入力し、
プリントアウトしたあと半分に折って、
パンチで穴をあけ、
ペーパーファスナーでとめている。

部屋を整えたいという気持ちは
もちろんあるけれど、
この作業はもう完全に「趣味」。

私がこういうことをやってると、娘から
「ママはしあわせそうでいいなーー」
とよく言われる。

確かにそうなのかもしれない。

いつか、趣味が実益につながりますように…!?
 2017.09.13 Wednesday 12:09 その他 permalink  
ライフログノートは1年半経過
2016年4月に、「1冊にまとめるノート術」を始めた。

これは何かというと、奥野宣之さん提案のノート術。
情報編、読書編もあるが、
ここでリンクするとしたら人生編になるだろうか↓
人生は1冊のノートにまとめなさい―体験を自分化する「100円ノート」ライフログ

一言でいえば日々の行動記録ノートなのだが、
日記のように、あとでふりかえって
文章として書き綴るのではなく、
いまやったことを空き時間に
ちょこちょこメモしていくもの。

書くだけではなく、
いろいろ貼っちゃってもいい。

そのためのコツと、
書いたものの活かし方などが
上記の本に書いてある。

とはいえ、私の場合、1年半の間にすっかり我流になって、
もう細かくは書いていないし、索引化もしていないし、
書いたものをほとんど活用できていないので、
奥野さん提案のノート術からは遠くはなれてしまった。

しかし、記していくことそのものに安心感があり、
いまとなっては書かずにはいられない状態。

私にとってこのノートの利点は
なんでも書いていいところにある。
自分を丸ごと受け入れてくれる存在。

たとえば、50代のダイエットを一石三鳥でやるで書いた
体重や摂取カロリーと消費カロリーも、
このノートに書いている。
家計簿もこれ。

懸念はノートの置き場所。
無印良品のA5・100枚・ベージュを
ずっと使っていて、現在12冊め。
過去に3年日記などを書いていたことを思うと
増殖の仕方がはんぱじゃない。

もしずっと続いたらどうなるんだろう・・・

まあでも、続けたいうちは続けてみようと思う。

始めたころの記事をnoteに書いています
ノート術お試し中

 2017.09.10 Sunday 09:58 ノート術 permalink  
「願いごと手帖」、10年めに突入
2008年の9月に始めた「願いごと手帖」が、
9年の月日を経て、ついに10年めに入った。
>カテゴリー:願いごと手帖
最初の記事はこちら→『「願いごと手帖」のつくり方』

同じノートをずっと使っていて、
これまでの願いごとは全部で595個。

願いの数自体は通し番号でわかるのだが、
かなった願いの数を数えたい気持ちがもはやない。
数の問題ではないといまは思う。

何度も書いていることだけれど、
もうほとんど「思い出手帖」。

たまに見返すと、
そのとき自分が何を望んでいたのか、
何が負担だったのかよくわかる。

日記とは別の濃さで
「そのとき」が刻まれているように思う。

そしてこのたび、新しいペンの○が加わった。
それはつまり新しい意味の○ということになる。

これまでは基本的に、
かなった願いに赤系の○、
かなってはいないが少し変化があったものに
青系の○をつけていたのだが
それに太緑の○が加わった。

何かというと、願いそのものは消えていないが、
それを願いごと手帖に書きたいという気持ちが解消したもの。

なお、かなわなかったものや
望みが消えたものは線で消しているのだが、
太緑の場合、私が知らないところで
かなっているとうれしいけれど
それを確かめられなくてもよしとする、
という意味での解消。

書き方がまずかったことに気づいたものなども。

なんのことはない、そのほとんど…というか、
もしかしたらすべてが
強迫神経症的気質の自分の「不安」からくるものだと、
あらためてわかった。

過去には細い緑のペンを別の用途で使っていたこともあり
もはや色がいりみだれて
全体的にはよくわからないことになっているのだが
そういうことも含めて過去の記録になっているように思う。

それはそうとしても、やっぱりこれは、
過去の「思い出」ではなく
未来へ向けた「願いごと手帖」として
続けていきたいなぁとあらためて思う。

 2017.09.08 Friday 09:46 願いごと手帖 permalink  
50代のダイエットを一石三鳥でやる

この夏、これまで見たことのない数値が
体重計に認められる日が続いた。
そしてそれは確実にのびている予感があった。

まずい。

運動不足は認めるものの、
特に食べ過ぎている自覚はない。

で、あれこれ調べたり考えたりした結果、
いちばんの原因は加齢だろうという結論にいたる。
これはなんとかしたほうがいいかもしれない。

過去に何度かダイエットに挑戦したことはあり、
体重を落とすという意味で成功したことはあるのだが、
それらの方法はいまの年齢には適していない気がした。

その結果、とてもオーソドックスなやり方で、
ダイエットを始めることになった。

まず、すぐにはかれる場所に体重計を置き、
朝起きてすぐとお風呂上がりのほか、
思いついたときに体重をはかるようにした。
(洋服がどのくらいの重さになるかは最初にはかっておく)

あとはとても単純な話で、
摂取カロリーと消費カロリーを記録している。
あくまでもざっくりと。
いままでこういうことをやったことがないのだが
けっこう性に合っているらしい。

商品に示してあるカロリーのほか、
料理したものについては、
ネットで調べてだいたいの見当をつけている。

夕食を7割程度にしておくと、
3食はそれぞれ350〜450kcalになることがわかった。

最初は夜に多少の空腹感があったが、
いまではちょうどいい。
これまでが多かったんだろうと思う。

ちなみに、私の基礎代謝量は1200kcalくらいらしい。
ということは、いまの感じで1日3食少なめに食べていれば、
生命は維持できることになる。

しかしもちろん、それだけでは終わっていない。
お菓子やら飲み物やらをけっこう体に入れている。

たとえば、私のいちばんのおやつはミックスナッツで、
一見、健康によさそうだが、1小袋で54kcalなので、
大袋を2日で消費すると、1日に432kcalとることになる。
食事1食分。

それ以外にも、砂糖入りのカフェオレを飲んだり、
チョコレートやらアイスクリームやらを食べたりすると、
どんどんカロリーは増えていき、
結局、1日5食分くらい食べていることになってしまう。

もちろん、必要なカロリーのほうも、
1200kcalですむわけではないのだが、
1日の運動量が少ない私の場合、
1900kcalカロリーもあれば足りそう。

オーバーした分で太ってしまうんだな、きっと。

そうなると、次はどう消費するか、だ。

これについては、『最後のダイエット』で知った
「メッツ」という単位を手がかりにしている。

  本の感想をnoteで書いています↓
  石川善樹『最後のダイエット』を、まずは読む。

「メッツ」というのは、運動の消費カロリーを算出させる単位。
厚生労働省のサイトより↓
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/11/s1109-5g.html

これに時間と体重をかけると消費カロリーが出る↓
http://club.panasonic.jp/diet/exercise/mets/about_mets.html

『最後のダイエット』では、
「掃除機をかける」や「調理や食事の準備」など、
日常的な家事についてもメッツが示してあるのだが、
細かくやるとたいへんなので、
きわめてざっくりと使っている。

たとえば、基本の家事は2.5メッツで扱うことにして、
多少、体力を使うような掃除系は3メッツにしている。

時間は、1/2時間、1/3時間、1時間という感じ。

体重を60kgとすると、基本の家事1時間で
2.5×60×1=150(kcal)消費することになる。
(本来はこれに1.05をかけるらしい)

たった150kcalではあるけれど、
「カフェオレ+ミックスナッツ1つ」とか
「アイスバー1本」くらいのおやつを
ちゃらにしてくれるのだ。

しかも、家事も進む。
いままでもやっていたことではあるが、
消費カロリーを意識すると、ちょっとやる気がふえる。

買物に行って夕食をつくれば−150kcal、
気になるところの掃除は3メッツの30分で−90kcal
という具合に。

すべてにおいて数字がテキトーなので、
積み重ねればけっこうな誤差になってしまうだろうけれど、
とりあえずいまのところその記録が苦痛ではない。

過去には、高いお金を払って
ダイエット食品を買ったこともあったけれど、
もう、そんなことはしない。

かけるのは時間だけ。

お金をかけない(ある意味ほんの少し減る?)
家事の苦痛が減る、
生活習慣の見直しができる。

そんな一石三鳥の50代ダイエットを
ゆるゆると続けている。

さて、結果はいかに。

 2017.09.06 Wednesday 09:12 健康 permalink  
「こんまり流」片づけ、本の段階でさっそく行き詰まったけれど、やろうとしてみてよかった話
近藤麻理恵さんの本を買ったのはだいぶ前なのだが、
(そしてKindleでもう1冊買っちゃったのだが)
こんまり流片づけの実践はしていなかった。

で、この冬の間に本を読み返してみて思うところがあり
実践してみることにした……のだが。

洋服はきわめて順調だったのに、
本の段階ですでにあっさり行き詰まってしまったしだい。

ときめかない本がどうしても捨てられない。

もしかして自分にとって、
本は「思い出品」のカテゴリーに入るのではないか?
と、無理やり解釈してみようともしたが、
そうではない本も結局捨てられない。

捨てられないのならときめいているのでは?
と自問してみても、
やっぱりときめいていないと答えが出る。

図書館で借りられそうな本、
再び入手することが困難でなさそうな本も、
どういうわけか捨てられない。

そういう本ほど逆に手元にあれば、
ちょっと参照することができて
便利そうな気がするのだ。

あのとき手放さなきゃよかった・・・
と後悔しそうな予感がどうしても払拭されない。
実際、それに近い経験をしたこともあるし。

というわけで、
ひとまず本の整理はあきらめることにした。

が、ちょっといいこともあった。
本を全部出して並べ替えたおかけで、
読みたい本がすぐにとれるようになったこと。

わが家は埃とカビ対策のため、
2年半前頃から、本棚をやめて、
ラックコンテナに移行する試みをしている()。

その後、完全に本棚は撤去し、
同じサイズのラックコンテナ12個を、
いくつかの場所に分けて、
上下2段に積み重ねて使っている

本のみならず、いろいろな保管品も入れている。

本棚ではないので、
効率よく本を並べるには工夫が必要になる。

で、ブックラックを新たにいくつか購入し、
資料としてとっておきたい本を背面に並べ、
前面にブックラックを倒した状態で置いたなかに
読み返す可能性の高い本を並べ、
ブックラックの上にも何冊が本を置いておくことにした。

そうすると、ブックラックの中に並べている本も、
ブックラックの上に置いている本も、
無理なくとることができる。

そして、空間ももったいなくない。

さらに、資料としてとっておきたい本だけを、
平積みにして置いておくスペースも作った。

もはや完全にこんまり流片づけからははなれてしまったが、
持っている本を確認できたことと、
少ないながらも何冊か手放すことができたこと、
本の並べ方がよい方向にむかったのはよかったと思う。



という記事を書き始めたのが約1ヶ月前。

その後、本ボックスが視野に入るたび
並べ替えてよかったなぁ…と思う。
だからきっと、意味はあったのだ、うん。
 2017.05.02 Tuesday 11:34 近藤麻理恵 permalink  
予定変更
魚川祐司『仏教思想のゼロポイント』第八章について書いていましたが、
ぱったり更新がとまってサクっと約2ヶ月。

続きのテキストを書きかけていたものの、
書き上げられず現在にいたります。

ちょっとこれはいったん封をしますです。

ちなみに、少し前に、
『アップデートする仏教』(藤田一照、山下良道)
をKindle版にて購入しました。
 2016.04.24 Sunday 13:53 『仏教思想のゼロポイント』 permalink  
魚川祐司『仏教思想のゼロポイント』第八章について(1)/「大乗」の奇妙さ
『仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か』
(魚川祐司著/新潮社/2015年)
を読んでいる。

きょうとりあげる第八章はこの本の最終章であり、
「余談」として書かれたものなのだけれど、
「気軽に目を通していただきたい」
と書いてあるにも関わらず、
がっつり取り組むことになった。

というのも、自分のテーマと並行して
考え始めてしまったので。

自分のテーマというのは、
例の「縁起」のこと

といっても、
『仏教思想のゼロポイント』の第八章に
縁起解釈の変遷の話は出てこない。

なので、先日までは、ここをひととおり読んだあと
別の文献で「縁起」について検討するつもりでいた。

しかし、ゴータマ・ブッダ入滅後の
仏教史を考える視点として、
何かヒントが含まれているのではないか…
含まれているといいな…
と思いながら読み始めたら、
「気軽に」読めなくなったしだい。

というわけで、第八章だけで
連続記事を書くことになりました。

◆◆◆

魚川さんは仏教の勉強をはじめた頃、
いわゆる「大乗」の徒が、
なぜ「仏教」を称する必要があるのかが
わからなかったとのこと。

入門書を読み、研究書を読み、
そして直接に大乗経典を読んでみると、
そこに説かれている教えは、
ゴータマ・ブッダの直説を最もよく伝えるとされる、
いわゆる「初期経典」の教えとは少なからず乖離しており、
場合によっては、それと矛盾しているようにすら思えたから。

例としてあげられているのは、
ゴータマ・ブッダの臨終のシーン、
『大パリニッバーナ経』。

比較されている大乗経典は『法華経』。

簡単にいうと、『法華経』においては、
ゴータマ・ブッダの入滅(般涅槃)は
方便に過ぎないとされているらしい。
(つまり、亡くなったのではなく、
 常にこの世に存在していて、
 説法を続けているのだということにされる)

魚川さんは、このような『法華経』の説が
「無価値」であるとか「間違っている」といった
判断を下したいわけではない。

「このようにアクロバティックな解釈を仏滅に施すくらいなら、
 『久遠実成(ルビ:くおんじつじょう)』の神なり教祖なりを
 別に立てる異宗教をはじめたほうがよさそうなのに、
 この人たちはなぜそうしなかったのか」

ということがわからなかった、ということなのだ。

そうなると読み比べたくなるのが
松岡正剛・千夜千冊の1300夜。

 梵漢和対照・現代語訳『法華経』上・下
 http://1000ya.isis.ne.jp/1300.html

先に縁起のことに触れておくと、
千夜千冊に出てくる「縁起」は、
どれもこれも「相互依存」の意味あいを帯びていて、
私はすっかり困ってしまっている。

何しろこれまで千夜千冊にはたびたびお世話になってきたし、
松岡正剛さんの文章も好きだし、信頼しているので。

たとえば上記リンク先ではこんな具合なのだ↓
ブッダが空じた「空」というものを、ブッダが示した世界との相互関係である「縁起」としてどのようにうけとめるか、それを法華経が登場させた菩薩行によって決着をつけなければならなかったからである、と

ブッダの段階から、
「縁起」は「世界との相互関係」
であったかのように読める。

実際、中村元『インド古代史』の段階から
そうなっているのだ。(と私には読める)

しかしそこは松岡正剛さん、何か筋道があるのだろう、
私がわかっていないことがあるのだろうと思いつつ、
他の文献もあわせながら考えているところ。

「縁起」のことをひとまずおいておくと、
千夜千冊の『法華経』の中盤で書いてあることは、
『仏教思想のゼロポイント』の第八章で書いてあることと、
内容として齟齬はない。

しかし、印象は正反対。

ちなみに、もともと正剛さんにも、
こんな疑問はあったようなのだ↓
なぜ悟りきった如来にならないで、あえて菩薩にとどまっているのか。そこにどうして「利他行」(りたぎょう)というものが発生するのか。そこがいまひとつ得心できていなかった。

しかし、そのあとの展開がまったく違う。
(追記:結論がまったく違うとはいえないかもしれないが、
 少なくともテンションは違う)

正剛さんは、法華経の構成の妙に
いたく感嘆されている。

それは、経典を読むときにおいても、
つねに「編集」という視点を携えている、
松岡正剛さんの読み方によるところが大きいのだろうか。

思うに、松岡正剛さんは、
『法華経』のアクロバットを
「面白がれた」のだと思う。

一方、魚川さんにとっては疑問の種になった。

ということは結局どっちにしろ、
『法華経』はなんらかの解釈(の努力)を必要とする、
ということなのではなかろうか。

『仏教思想のゼロポイント』第八章には
“「大乗」の奇妙さ” という項目があるのだが、
その奇妙さとは、簡単に言えばこういうことになる。

現世における苦からの解脱という
自利を追求する阿羅漢ではなく、
一切衆生を広く救済する
自利・利他の完成者としての
ブッダとなることを究極的な目標とし、
自らをその過程にある菩薩として
位置づけることをその本懐としていること。

なぜ「大乗」の徒は、
あくまで「仏教」の枠内において、
自己の立場を確立しようとしたのか。

ということを考えるためには
第七章をおさえておかねばならず、
今回ブログではほとんどとりあげていないので、
どうしたものかと迷っているのだが、
少なくとも魚川さんがいうところの
「物語の世界」という言葉の意味については
わかっておかなくてはならない。

そのうえで、第八章のタイトルにも使われている
「本来性」と「現実性」という言葉について
考えていこうと思う。

(つづく)

※ 引用部分以外は本の言葉を使いながらも私なりにまとめています。
※ 間違いに気づいたときにはそのつど訂正させていただきます。
※ 縁起についての現段階での要確認事項をnoteでまとめております↓

 「縁起」についてのメモ
 2016.02.26 Friday 10:59 『仏教思想のゼロポイント』 permalink